少年と保護者(2)
「怪我は?」
何も言いだせずにいる少年に、バクはそう問うた。その問いかけが意外だったのか、ようやく少年――ファンは顔を上げる。ない、と首を振ってまた俯き加減になった少年は言葉を次ぐ。
「ごめんなさい、先生、おれ……」
「これで何度目ですか! ……とはいえ、お説教は後です。お店の方に謝らなければ」
バクはファンを立ち上がらせて、伴って行商に近づく。行商は布の落ちた天幕を張り直しているところだった。
「すみません、この度はうちの子が大変ご迷惑をおかけしました。ほら、ファン! 謝りなさい」
ファンが頭を下げるのに合わせ、バクも一緒に頭を下げる。
「どうお詫びしたらよいか……。傷ついたものがあれば、買い取ります」
行商は倒れた籠を起こし、にこやかに笑った。
「いやいや、天幕も破れていないし、今日は良く売れてね、もう籠には殆ど残って無かったんだよ。そう気にしなくていいんだよ、先生。……そうだな、坊ちゃん。辺りに転がったのを拾ってきてくれるかい」
ファンはしっかりと返事をすると、すぐに転がった果物を探しに駆けていった。
「しかし、そういうわけにもいきません」
「そう済まながらないでも、坊ちゃんに怪我がなくて何よりだ。あれくらいの歳は無茶をするからね、どの道お説教するつもりなら、こっちは何もさ。そうだ、先生。気になるなら買っていきませんか。今年のは特に美味しいですよ」
行商はそう言って、いくつか色の良いのを差し出す。
「申し訳ありません、戴きます」
バクは重ねて礼を言って、それを買い取った。腕も使っていくつか抱えて、露店から離れる。ファンはまだ転がっていったのを探して広場をあちこち走りまわっていた。もうしばらくかかるだろう。天幕があったとはいえ、擦り傷一つなかったのは、本当に運が良かった。近頃は、やたらこういう無理をするから、気が気でないのだ。彼の少年がこういうことをする理由もおおよそ解っているが、困ったことにわかっていてもどうにもならない理由なのだ。だからこそ、余計になんとかしてやりたいのだが。
「――やはり、そうか。久しいな、バク」
後ろから声を掛けられて、バクは振り返る。かつての自分を知るような口ぶりに、思わず身体がこわばるのを感じた。この街に旧知のものはいないはずだからだ。
「そう警戒しなくていい。俺だ、覚えているか」
そこにいたのは、額に青い巻き布をした精悍な若者。左腕のそれも、東王の臣下を示す孔雀藍のものだ。帯びた剣は、刀剣に疎いバクにもわかるほどの業物。なにより、その青年は旧知も旧知、忘れることすら許されない人物だった。それでも、こんな所にいるわけがない、と咄嗟に思ったせいで、応えるのに時間がかかってしまった。ようやく言葉を絞りだし、青年の名を呼ぶ。
「貴方は――シンさん、ですか?」
「ああ。バクも息災のようで何より」
青年は笑み、頷いて見せた。バクは、目の前の青年が思い至った人物に相違ないことに、より驚いて駆け寄る。旅装束でいることを除いて、その面立ちや声は記憶のそれと変わりがない。しかし、何故。当たり前のようにいるその青年は、本来ならばここにいるはずがないのだ。
「どうして、こんなところに貴方が」
訊ねかけた続きは、後ろからの大きな音と、ファンの叫ぶ声に遮られた。続いて、人々からもどよめきと悲鳴があがる。微かに漂う邪気は、この場の怪異を告げている。
「後で答える。今は、そんな状況じゃあないようだ」
青年はこちらを背に、騒ぎの中心を見ながら応える。その青年を覆う気に清涼な変化を感じて、バクは息をのむ。人々は音の中心から逃れて、広場を離れて行く。青年は止める間もなく、その流れに逆らって駆けて行ってしまったのだった。