少年と保護者(1)
青年は店を出て、とりあえず広場に向かって歩き出した。これくらいの町になれば宿も数あろうが、数があればそれぞれなのが常だ。道を往くと、何やら広場が騒がしくなっていた。大抵の町がそうであるように、広場の中央には鐘楼があって、朝と夕、門の開閉を告げる鐘が鳴らされる。日の入りと日の出を告げる鐘だ。行き交う人の話を聞く限り、誰かがその鐘楼に上っているらしかった。昼下がりだ、鐘を撞く人間ではないのだろう。広場に入って見あげて見ると、そこにいたのは十五かそこらの少年だった。明るい色の髪をひっ詰めて後ろで結い、こちらを見下ろす目は挑戦的に輝いていた。
「おれは、鳥になる!」
少年は誰に向けてか、そう叫んだ。下に集まって来た野次馬は、心配半分面白半分でいるようで、鐘楼の真下で店を構えていた果物売りの行商も商いの手を止めて上を見あげている。
「今度は鳥か! この間は魚だったな!」
野次馬の中からそう声が上がり、辺りに笑いが広がった。どうやら、町の者にとってはこれが初めてでないらしい。それが面白くないのか、少年は逆光でもわかるほど顔を赤くし、不機嫌に黙りこむ。ぎっと下の方を睨みつけると、見ていろ、と言わんばかりに後ろに下がった。ようやく野次馬の中にも、その意が汲めて慌てだすものが出たが、止める声は少年には届かない。
青年は野次馬の中へと割りいって入る。いくら鐘楼がそう高くないと言っても、石畳に落ちれば軽くは済むまい。落ちて来る少年を避けようとする者と、なんとか捕まえようとする者とで人の群れはざわざわと動く。不意に、差していた日光を影がおおう。少年が飛び出したのだ。
「うぅわっ?」
勢いよく飛び出した少年が、妙に上ずった声を上げる。撞き鐘の縄に足を取られたらしい。飛びだそうとしていた広場の中央から、予定が鐘楼の真下になる。少年の悲鳴は人々のそれと交じってわからなくなる。
鐘楼の真下にあったのは、幸か不幸か騒ぎを見物していて空になっていた、果物売りの店だ。立ててあった日よけの天幕に、少年の身体は一度弾み、布に包まれるようにして地面に落ちた。その下にあった果物の籠が弾みで倒れ、赤い果物が広場のあちこちに転がっていく。一度天幕に落ちたせいか、少年自体に目立った怪我はないらしい。痛みに呻きながら、しばらくして少年は起き上がる。
「何事です! ファン!」
広場の向こうから、厳しい声が聞こえて来る。青年が来た方とは別の通りだ。
「おい、ファン。バク先生だ」
少年に、町の者が声の正体を告げるが、言わずとも少年もそれに気付いたようだった。気まずげな顔でそちらを見やるが、どうやら逃げる気はないらしい。町の者の声を聞く限り、どうやらその者が少年の保護者であるらしかった。
広場に入って来たのは、白い上着の男。それを見る限り、どうやら医者であるらしい。男とはいえ、その者は女のようにも見えるほどに線が細く、臙脂の紐で一つに結われた長い髪は、走って来たせいか少し乱れている。
「せ、先生……」
少年は消え入りそうな声で、呟く。その場に座り直したところをみると、これから落ちる雷についても定例のことであるようだった。先生、と呼ばれた男が目の前に来ても、少年は視線を上げられずにいた。男が来たからか、野次馬が散り始める。
事態が収まって来たのを見て青年も去ろうかと思ったが、ふと思い出して立ち止まる。バクという名に覚えがあった。古い知り合いに、同じ名の者がいる。声や背格好も確かに似ていた。
声をかけて見るか。青年はまたそれぞれに戻る見物人を避けて、その場に残ることにした。