永い時間
檮杌の攻撃は、直線的なために避けるのは容易い。いくつかの打撃をやり取りして、数分たっただろうか。避けて、受けて、互いに有効な手を与えられずにいるが、こうして戦いに身を置くのは久方振りの割に体が動く。だが、何か胸の中に違和がある。過去の感覚と今の自分の手足にずれが生じてうまくかみ合わないのだ。鈍るというのは、こういう感覚なのか。何かを忘れている。昔あったものを欠いているような妙な感覚。
頭の上を通り過ぎた檮杌の腕を見送り、懐へと回りこむ。檮杌の体、左肩から右脇腹へ袈裟がけに奔る傷は以前シンが与えた傷だ。左脇腹から切り上げようとしたが、檮杌が退いた為に当たらなかった。数歩引いた場所で、檮杌はため息をついた。
「一万年は長かったなぁ。青龍さんよ」
「そうか? こっちはあっという間だった。顔すら忘れる暇もない」
シンがそう言い返すと、檮杌は憐れむような笑みを浮かべた。
「いいや、長かったさ。――今のてめぇとやってもつまんねぇ」
檮杌はこちらに向かって空を掻くように腕を振った。間合いの外だったはずだ。なのに、気付けばシンは弾き飛ばされ、石屑の上にうちつけられていた。服はずたずたになっていたが、鱗に覆われた体に傷はない。傷はないが、シンは動けなかった。檮杌は冷たい眼で、シンを見下ろしながら言った。
「すっかり弱くなっちまったなぁ、てめぇ。昔は向き合っただけで、塵にされそうなくらい、びりびりした空気を味わえたってのに。なぁ、なんだそのざまは」
シンは黙ったまま、檮杌をにらみ返した。再び立ち上がり、構えを取って、地を蹴る。互いの間合いには差があるが、速さはこちらの方に歩がある。間合いに入って、シンは腕をぐっと振りかぶった。
「戦ってもつまんねぇ奴なんざ生かしておくつもりはねぇよ」
檮杌は静かに言った。シンは真横から来た鋭い攻撃を受けて、関の大門に叩きつけられた。木の扉は鈍く大きな音を立てて響き、夜間は固く閉じてあるにも関わらず、衝撃で僅かに開いた。今度こそ、本当に体が動かない。見てみれば、攻撃を直に食らった脇腹から、血が溢れていた。痛みはさほどない、いや、感じられない。ただ、鱗の剥がれた部分に風がひりひりと沁みた。咳きこむと口内に鉄の味が広がる。内臓も痛んでいるようだ。
自分が巻き上げた土煙が風にさらわれて、近づいてくる檮杌が見えた。その尾の先から雫が滴っている。そこでようやく何に攻撃されたのかわかった。予想外の攻撃であったことには違いない。だが、その可能性には気付いていたはずだ。昔戦ったことがある時にも、確かにあの尾は使っていたのだから。一番の問題は、意識外の攻撃を避けられなくなっていることでない。予想外の範囲が広がっていることが問題だった。動きも感覚も何もかもが衰えている。記憶のどこかにしまい込んだのか、それとも本当に失ってしまったのか。檮杌はすぐ目の前まで来ると、その太い腕でシンの首を掴み、持ち上げた。
「あー、もともと殺せって言われてたしな。幻滅させやがって。……こいつも返してやる」
再び扉に叩きつけられて、扉の中央から下に落ちる間もなく、檮杌の持つ虎の爪がシンの体に食い込んだ。かつてシンが檮杌に与えた傷のように、左肩から袈裟懸けに激痛が走る。悲鳴をあげる余裕もなかった。ただ、自分から噴き出す鮮血が、未だに信じられなかった。
――ここで死ぬわけにはいかない。今、この命は自分だけのものではない。
シンは地面に落ちてすぐに体を起こして、扉に上体を預けた。傷を直さなければ。シンは霞む眼で檮杌を見あげる。やられるわけにはいかない。ほとんど無意識に傷を癒そうと、体中の力を集めていた。その様子を見て、檮杌はため息をつく。
「まだ息があんのか。神獣ってのも厄介だな」
憐れみに近い目で檮杌はシンを見下ろした。そして、シンの首元へ鋭い爪を向けた。