関守りの衛士
シンが部屋に入ったのを見て、ファンは辺りを見回した。預かった荷物と刀を自分の荷物と一緒に背負いこむと、元来た道を戻り始める。来る途中の階や覗き見た部屋から考えるに、上の階はあまり人がいないようだった。どの道、話が終わればシンは下へ降りてくるだろう。これで役に立てたら、もっといろいろなことをシンは教えてくれるだろうか。旅を始めてからというもの、周りは目新しいものばかりが行き交っている。色々触れてみたいとは思うが、流石に教えを請う身である以上、あんまりうろちょろしてはいけない気がして、気が引けて手が出せずにいた。
下に降りると、案内をしてくれた若い衛士が棍を支えに、だるそうに立っていた。顔色が余り良くないようだったから、具合が悪いのかもしれない。近づくと、不思議そうな顔で話しかけてきた。
「お前さんは上で待ってなくて良かったのか?」
「部屋の外だと、中の話が聞こえてしまうから。大人の話に首を突っ込んだらいけないと習ったので」
そう言うと、衛士はそりゃあ立派なことだ、とファンを見て、うんうんと頷いた。そして、とうとう傍に置いてあった椅子に腰かけると、再び話しかける。
「あの人はどういう人なんだい?」
「師匠のことですか」
「ああ、君の御師匠さんなのか。何やら町長が顔色を変えてたから、相当偉い人なんだろう?」
答えようとしたが、どう答えればいいのかわからなかった。思えば、シンがどういう人間なのか、ファンはほとんど知らないのだ。幻獣付きは都を出ないという話を聞いたし、しかも青龍の国である東の、この青の国で竜をつけているということは相当の実力者には違いない。昨日のように王と会話できたなら、尚更そうなのだろう。しかし、それは推測の域をでない。
「師匠は、あまり自分のことを話さないんです。でも、きっとすごい人なんだと思う。幻獣つきだから」
「そうか、そりゃすげぇ……」
そう言って、衛士は咳きこんだ。あまり良くない音だ。
「風邪ですか?」
「ああ、そうみたいだな。前の当番の日に雨に打たれたもんだから」
「薬を飲んでちゃんと休んだ方がいいですよ」
衛士は苦笑いをしながら、顔の前で手をひらひらやって見せた。
「俺の給料じゃ、薬は買えないよ。ま、寝れば治るさ」
そう言ってまた咳きこんだ衛士の背を、ファンはさすってやった。そう言えば、旅の荷物の中に薬も持ち出してきていたか。荷物をさっと下ろすと、小さな紙の包みを差し出した。
「使ってください。おれは丈夫だけが取り柄ですから」
衛士は最初こそ拒んでいたが、ファンはどうしても渡すつもりだったので、その後で申し訳なさそうにそれを受け取った。ちょうどいい、とファンは衛士に問いかけた。
「おれがいた町では配給の薬は普通に配られていたんですが、こっちは買わないと手に入らないんですか?」
ファンがそう言うと、衛士は途端に緊張した表情になって、ファンに黙るように合図した。周りをきょろきょろ見回すと、声を落として言う。
「そうなんだ。俺も最近知ったんだが、どうも町長と配給役の官人が仕組んでるみたいでな。しかも、中で掃除夫やってる友達がいうに、町長の部屋に頻繁に誰かいるらしいんだ」
「誰か?」
「窓から出入りする大男を見たってやつがいる。そいつもきっと何か関係してるんじゃないかっていう噂さ。あんまり他に言うなよ。お前さんだから言うんだ。お師匠さんに教えてやりな」
そう言うと、衛士は棍をつえ代わりに立ち上がり、再びいかにも衛士だという風に立ち直した。そして、ファンから貰った薬を懐にしまいこむと、ファンに向かってにっこり笑った。
「ま、いずれ悪事は露呈するさ。何やら昇化の男が配給の配り直しやってるみたいだし、王様だって今にそいつらを罰してくれるに違いないってな」
「王様が?」
「そうさ、だって王様だぞ?」
衛士の顔を見れば、その言葉に何の皮肉も疑いもないことが容易にわかる。思えば、青の国に居ながら、ファンはあまり王のことについて知らなかった。姿すら昨日初めて知ったくらいだ。旅の途中、王に関わる話は度々耳にしたが、批判など一つも聞こえてこなかった。国中が信じる王、青龍の獣人。シンに聞けば教えて貰えるだろうか。その時にシンのことについても聞けたらいい。
「で、その王様の下で働く偉い人の、その弟子がお前さんなわけだ。なぁ、素養は定まっているか?」
ファンは首を振る。それを見ると、衛士はそうか、とほほ笑んだ。
「そうか。俺もな、素養が定まったのが遅かったんだ。それに、四方を回れるほど時間も余裕もなかったからな。でも、今こうやって衛士をしていると、これでも充分なんだって思うんだよ」
衛士はファンの頭にぽんと手をおいて、微笑む。
「だけど、お前さんはきっと、獣人になるんだ。だから、お師匠さんにも恵まれる」
「本当に?」
「ああ、きっとそうさ。お前さんはいい奴だからな。俺が保障する」
ファンは衛士に礼を言って頭を下げた。なんとなく、胸のつかえがとれた気がしたのだ。さて、と言って衛士は正面を向くと、関の大門を見回し始めた。配給の値についての話と変な男の話を聞くことができた。これだけでも、何か役に立つだろうか。そう言えば、衛士の仕事中に話しかけてしまったのか。慌てて立ち去ろうとすると、ファンは衛士に呼び止められた。
「そういえば、名前も聞いてなかったな」
振り返って、ファンは応える。
「ファンです。お兄さんの名前は?」
「シュウだ。お前さんの名前、覚えておくよ」
互いの手を握って、顔と名前を胸に焼き付けた。ふと気付くと、足元に一枚の紙が落ちていた。王からの書状だ。手を伸ばした時にでも懐からこぼれてしまったのだろう。慌ててファンが拾おうとすると、薄紙のそれは風に攫われて、空へと舞い上がっていってしまった。書状は青い竜の印を翻しながら、関所の屋根の上へと落ち着いた。
「あっ! 取りに行かないと!」
「おいおい、ありゃあ書状か! 関所の裏手に上にまで上がれる梯子がある、それを使え! また飛ばされないうちにな」
ファンは頷き、シュウに背を向け走りだした。書状はちょうど町長の部屋の上辺りだろうか。建物の裏手に回りながら、ファンは風が書状を攫ってしまわないように祈った。