東の禍霊(2)
部屋に一人残された町長はぐったりと椅子に腰を下ろした。檮杌の言うとおりの運びになったとはいえ、あのシンと名乗った男の眼に見据えられた瞬間に、自惚れや虚偽が全て体から抜け落ちていくのがわかった。それは恐怖にも近い感情だ。額の汗を拭っていると、窓から大きな影が入ってくる。檮杌だった。下顎の歯をむき出しにしてにやにやと笑うと、大した加減もなさそうに町長の肩を叩いた。
「よぉ、迫真の演技だったじゃねぇか。これで奴は盗賊とやりあう羽目になるわけだ」
「しかし、王の直下の者に何かあれば……」
その言葉に檮杌は声を上げて笑った。
「何か? あの野郎にか? あるわけねぇさ」
「しかし、唯一人で昇化のいる盗賊達を相手にするなど……」
檮杌は下の牙を見せてにやりと笑うと、町長の方を見て言う。
「心配なら、関の兵を後からこっそりつけてやれ。いや、つけておけ。どの道、あの男が生きて戻りゃ、官にした話と食い違うんだ。残った方を始末させろ」
檮杌の真意に町長は息を飲む。体の底から湧きあがるような悪心に耐えながら、目の前の大男を見る。ああ、この男は唯人ではないのだ。絞るように、町長は声をだす。
「そんなことをすれば……」
「うるせぇ!」
檮杌の太い腕が唸りを上げて、振られる。人の腕ではなく、虎のような獣の腕だった。それをまともに食らった町長は椅子ごと後ろの壁に叩きつけられる。
「てめぇは黙って言うこと聞いてりゃいいんだよ!」
町長はその喉から呼吸と悲鳴がない交ぜになったものを吐き出しながら、机にうつ伏した。その心にはただひたすらに後悔が溢れだしている。しかし、それはもうどうにもならぬ感情だ。ああ、目の前の男は――化物なのだ。後ろの窓に影が通る。鳥だろうか。失った獣人としての力が何だったのかすら、もはやおぼろげだ。そして、町長は気を失った。檮杌はそれを見て、フン、と鼻を鳴らすとまた窓から外に出ていった。