失った男
シンが部屋に入ると、窓を背にした椅子に町長らしき男が座っていた。小柄な男で微かに褪せた青い帯を締めている。随分前に、王宮で見た男だった。姿が変わっている以上、向こうがこちらに気付くことはなさそうだが、向こうも前に見たときの印象はほとんど残っていない。獣人で無くなっている上に、目ばかりが疑い深さの影を湛え、せわしなく動いてこちらを見定めようとしていた。シンは書状を取り出し、町長に示した。
「突然の訪問で申し訳ない。私は東王府から遣わされた、シンという者だ。配給の件で二、三聞きたいことがある」
「そろそろいらっしゃる頃と思い、お待ちしておりました。どうぞ、お掛けください」
嘘だ、と思いながらも、シンは黙って勧められるまま椅子に座った。そうだろうと思っていなければわからぬほどだが、町長の表情には狼狽が浮かんでいた。それが、後ろめたいことがあるからか、不意の使者への驚きなのかはわからないが、シンは静かに町長に尋ねた。
「近頃、盗賊に配給を奪われることが多いと聞いたが、それは事実か」
その問いに、町長は何度も頭を下げながら応える。
「いやはや、お恥ずかしい話で。盗賊どもには私共も困り果てております。奴らの首領が獣人でして、捕えられずにいるのです。昇化の身ともあろうものが、盗みを働くなどと……」
「その盗賊なのだが」
目に微かな青い焔を宿らせて、シンは町長の眼を見据える。途端に、愛想よく笑っていた町長が体を強張らせる。
「配給を奪っては各所に配り直していると聞いた。なぜ、王の名の下に無償で配られるものを、手に入れるわけでもなく奪うのだ。心して答えよ、町長。――何故に王の所有物に値がつけられている?」
町長の顔から笑みが消え、椅子から滑り落ちんばかりに後ろに下がろうとした。そして、涙声のような裏返った声が返ってくる。
「私は、やめた方がいいと言ったのです……! しかし、この関と町を預かる身とはいえ、私とてしがない町役人にしかすぎぬのです」
「上の指示か。配給役の官人は数日後には東都に着く。連絡をやれば、向こうも何らかの沙汰を受けよう。後にここにも王からの使いが来るだろう。処遇についてはその時に聞け」
シンは瞳の火を抑える。ついに椅子から滑り落ちた町長は慌てて座りなおして、こちらを向いた。その顔は蒼く、冷や汗を流していた。
「何とあろうとも、すべて……王の命に従いましょう」
シンは町長の呼吸が整うまで待ち、再び尋ねる。
「もう一つ、聞きたいことがある。盗賊達が根城にしている場所はわかるか」
町長はハッとした顔で、こちらを見返す。
「存じておりますが、どうするおつもりで……」
「やはり通じていたか。ならば、話は早い。値が戻ったとて、奴らが知らねば話になるまい。すぐに使いを出せ」
町長の顔が曇り、困惑の色を示す。そして、しばらく考えこんでいたようだが、ゆるゆるとかぶりを振った。
「……できません」
「何故だ」
「盗賊を見逃していたことは如何様にも処罰を受けましょう。しかし、私から彼らに連絡を取ったことはございません。多少の協力をしたとして、彼らは役人を信用しておりませぬ故に、こちらから人をやろうものなら追い返されるばかりでございます」
そう言って、町長は深くため息をついた。シンはそれを見て、男が獣人で無くなった理由を悟った。半ば仕方がないとは思うが、保身ばかりに気を使ってきたこの男は天が授けた獣の魂に見放されたのだ。力は永遠ではない。見合わぬ力を持てば、心を喰われるが、それでなければ力そのものに見放されてそれを失う。ため息をつき返し、シンは言った。
「ならば、こちらで勝手に行かせてもらう。場所を教えて貰えるか」
その申し出に町長は少しうろたえて答える。
「いや、しかし、王の使者様となれば、奴らは余計に警戒するでしょう」
「この際、無理にでも話を聞かせるしかあるまい。流石に容易にはいかぬだろうが」
町長は驚いたような顔で、こちらを見ている。
「こちらも勝手で申し訳ないが、他にも用が控えているのだ。急いでもらえないか」
そう言うと、町長は机の上で何やら筆を走らせた。地図のようだった。そして、墨の乾かぬうちにそれをこちらに寄こすと、町長は静かに頭を垂れた。この部屋に入った時より、幾分か小さく見えた。
「……王は慈悲の御方だ。そこまで厳しい沙汰もあるまい。心を改め、職務に臨めよ」
シンはそう言って、部屋を出た。部屋の外にいたはずのファンが見当たらない。話を聞きに、動き回っているのだろう。戻る途中で会えればいいが。地図を眺めながら、シンは外に向かった。