東の禍霊(1)
「と、檮杌殿! 私はいったいどうしたら……」
慌てた様子の関の主は窓の桟に腰かける男に問いかけた。その男は手にした果物をかじりながら、関の主である町長を一瞥した。下顎の大きな犬歯が、その口元からのぞく。フン、と一つ鼻を鳴らし、檮杌はそこから降りる。立ち上がると、小柄な関の主とは対照的に、低い天井に届くような背だとわかった。丸太のような太い腕に見合う、体の隆々とした筋肉と晒された胸の大きな傷跡がひときわ目を引く。檮杌は、焦りに任せて動き回る町長を大きな掌で掴むと、長の座るべき椅子に投げるようにして座らせた。
「うるせぇ。こういう時にどうするかは、俺はちゃあんと言ったはずだぜ」
呻きを漏らしながら、町長は怯えた目で檮杌を見あげている。
「めんどくせぇ奴が来たら、盗賊の奴らをけしかけるか、てめぇで消しゃあいいじゃねぇか」
「し、しかし、盗賊達も殺しまではしない上に、民衆から義賊などと呼ばれ始めていて……」
それを聞いて、檮杌はまた一つ鼻を鳴らす。
「なら、そいつらも消しちまえ。義賊? 奴らは盗賊だろ? 罪人じゃねぇか」
町長は言葉に詰まり、ただ檮杌の表情を窺うしかできなかった。この粗暴な男の言うとおりにしてからというもの、確かに羽振りは良くなった。以前からの良い評判もあって、金を取り立てても別段反対の声はなかったのだ。いや、違う。それは王の権威のおかげなのだ。王の命、とあれば大抵の人間は疑わぬ。善い治を行うのが王ならば、王が行う治は善いものであると人々が信じているからだ。現に、もう二年以上もこの方法が続いている。当の王が気付いているかどうかはわからぬが、王や使者に差し出すための嘘も既に用意してある。
盗賊と手を組んでいるのは事実だ。首領がここにまで押し掛けてきた時に、官からの指示だと言うと、協力するように脅されたのだ。こちらは要求を飲まざるを得なかった。いや、もしかするとそうなることを望んでいたのかもしれない。官には官のための、盗賊には盗賊のための嘘をついた。そして、それを全て指示した男が、それを潰せというのなら、その時こそ潮時である。何も知らぬ官も盗賊を倒すようにとうるさくなってきている。ならば、盗賊退治の手柄を持って、自分はこれから東王府へと上り詰めれば、いいではないか。
「わかったな。まぁ、どうしても手に負えねぇってなら、この俺がちったぁ手ぇ貸してやろうじゃねぇか」
「そ、それはありがたい」
檮杌はかじっていた果物の芯をぽい、と外に放り投げる。
「ところで、その王印携えてきた野郎ってのはどんな奴だ?」
「子供を連れた、背の高い男だと……ああ、丁度窓の下に見えている者でしょうな」
檮杌は窓の下に視線をやって、にやりと笑んだ。鋭く天に向かう牙が剥き出しになって、関の主はたじろいだ。檮杌は衛士がその男を門に入れたのを見て、町長に向き直る。
「面白ぇ奴が来てるじゃねぇか。おい、あいつと盗賊を当たらせろ。倒させるか、説得させるかは、勝手にやれ」
「は、はぁ……」
檮杌は窓の桟に足を掛け、半身だけ外に乗り出す。
「うまくいったら、これからも手助けしてやるよ」
そう言って檮杌は窓伝いに屋根の上へと跳び上がっていった。町長はため息をつきながら、再び椅子に座り直す。あんな男が中央から遣わされたとは思えないが、御柱の獣人との繋がりを作っておくのも悪くない。いつの間にやら昇化の力を失った自分が成りあがるには、いかなる者だとしても利用せねばなるまい。そこで部屋の戸を叩く音がした。使者が来たのだろう。町長は乱れた服を直すと、入室の許可を出した。