水盆鏡(2)
東に住む者ならば、東王がどのような人なのかは知っている。だが、その姿をこうしてしっかりと見るものは少ないだろう。王はほとんど王宮の外に出ることがない。昇化を望む者が謁見する他はそこまで人が入らないからだ。
「何か困りごとでもありましたか」
東王は水面の向こうからこちらを覗きこんでいる。春を司る東の王であり、春の化身のような人だった。ファンが顔を寄せると、その人は嬉しそうに微笑む。
「一人の旅と思っていましたが、友達ができたようですね。そこは……関の近くの村ですか」
何をもって判断しているかはわからないが、東王はこちらの水盆の周りを見回してそう言うと水盆の中心に自らを映すように座りなおした。ファンはシンの顔を横目で見た。僅かに悲しげに見えるほどに優しい表情だった。だが、それはすぐに引き締まったものに変わる。
「突然に申し訳ございません。急な用ですが、一つお尋ねしたいことがあります、東王陛下」
シンが訊ねると、東王はこちらを見つめた。
「なんでしょう」
「国中へと送ったはずの配給に対価をつけていらっしゃいましたか」
東王の表情に驚きが浮かぶ。そして、ゆるゆると首を振る。
「いいえ。貴方も知るように、配給は薬や食糧が回らぬことを憂いてのこと、見返りを求めてなどおりません。……そうですか。私には未だに至らぬことが多すぎますね」
東王は憂いをその瞳に泳がせた。シンは静かに答える。
「陛下。国のすべてを見そなわすには時間が掛ります。善き治を行おうするならば尚更でございましょう」
「そう、ですね」
そして、シンは水面に浮かぶ少女をしっかりと見つめた。
「私用の旅の上に更なる無礼を承知でお願いいたします。これより数日、東を出るまでの間、私は東王府から遣わされた者ということにしておいていただきたい」
「――いいでしょう。では、これを」
東王がそう言うと、水面が僅かに揺らいで、そこから一枚の書状が浮かび上がった。それをシンが受け取ると、水面はまた穏やかになる。
「ありがとうございます」
シンが深く礼をすると、東王は再び微笑んだ。
「貴方ほどの人に、私が言えることなどありませんが、道中無理はしないように。たまには、用が無くても顔を見せてくださいね」
シンは応えず、ただ申し訳なさそうに少し笑んだ。
水盆から光が消えると東王の姿も消え、そこには四人を映す静かな水面があった。シンは立ち上がり、それぞれを見回した。三人は圧倒されるばかりに、言葉を発せずにいた。
「確認が取れた。やはり配給の値など、王の望んだことではない。こちらへの配給の官、役人に何か裏があるな」
そして、シンはニエンの方を向く。
「村長殿。この辺りの配給に関わる人物で、移動している官人以外、この辺りに滞在してそれを管理している者に心当たりはないだろうか」
ニエンは少し考えて、答えた。
「東都から来た荷物は一度、関の町に運ばれます。荷は全てそこで確認されるといいますから、関の取りまとめである、あの町の町長ならば何か……」
「そうか。では明日、町に着き次第尋ねてみよう。――事が解決すれば、ご子息もここへ帰りやすくなるだろう」
「ありがとうございます」
ニエンとジンユイが頭を下げる。他にはバクがそうしたものしか見ていないが、こうしてシンが頭を下げられる場面を見ると、ファンは自分がとんでもない人の弟子になったのではないかと思うのだ。
不意にあくびが出たのを、ファンは噛み殺しそこねて皆の視線を引いてしまった。笑いがこぼれ、シンがファンの頭に手をやる。
「夜も更けてきた。流石に、山越えは応える。――すまないが、寝床をお借りする」
「お疲れの上に、ご迷惑をお掛けしてすみません。すぐにご案内いたします」
ニエンが奥へと案内する。おそらくジンユイの兄、あの若い盗賊頭の部屋なのだろう。きれいに掃除されていた。二人は横になるとすぐに眠りに着いた。