親子
夕食が終わり、食後の茶を飲みながら、シンとニエンは近頃の世相について話を始めた。長の娘が片付けに向かったのを見て、ファンはその後を追う。シンの話を聞けばおそらくかなりの勉強になるとは思うのだが、だんだんと難しい話になってきて、ちっともついていけなくなっていたのだ。外にある洗い場の方へ行くと、彼女は四人分の器を、水を張った桶の中に浸しているところだった。
「お姉さん、手伝います」
彼女は腕まくりしながら振り返りにっこりとほほ笑んだ。
「あ、ありがとう。えぇと、ファン君?」
「ファンでいいです」
「ふふ、なら私もジンユイ、でいいわ。お父さんったら、また難しい話を始めたのね。ここしばらく、あんなに話についてこられる人がいなかったから、張り切っちゃって」
ジンユイは困ったようにため息をつきながら、麻の端切れで皿の汚れをこそいだ。それをファンに手渡して、すすぐように頼んだ。
「師匠も難しい話をすることが多いよ。おれ、まだ全然わかんないんだ」
そう、と彼女は笑う。
「私もそうなの。全っ然、わかんない。あ、そうそう。料理はどうだった?」
「すごくうまかった! 料理上手だね」
その答えに彼女は頬を緩ませる。
「ああ、よかった。久しぶりに四人分も作ったから」
「久しぶり?」
「前は、お母さんと兄さんがいたから」
その答えにファンは躊躇いがちにまた尋ねる。
「……死んじゃったの?」
彼女は顔を伏せる。
「お母さんはね。病気だったから」
そして、ジンユイは父親の話をした時のような、困ったような顔をした。
「兄さんは出ていったの、お父さんと喧嘩してね」
彼女は家の方を見やった。議論を白熱させているだろう父親を思っているのだろう。ふと、微かな音にファンは山の方を見つめる。それに気付いたジンユイも木々の間に耳をすませた。馬の蹄の音だ。一頭だけではない、十頭以上いるようだ。地鳴りのようなそれはだんだんと近づいてきて、村の中央の方へ行ったようだった。不意にジンユイがそちらへ駆けだす。ファンも慌ててその後を追った。
ジンユイを追ったファンは村の中心の開けた場所についた。二十頭ほどの馬とその乗り手がそこにいて、地面の上にたくさんの荷物を下ろしていた。袋には青い竜の判が捺してある。東王の印だ。東都から来た荷物のようだ。
「兄さん!」
ジンユイが騎乗している男たちの方へ声をかけた。男たちの中から、首領のような男が一人進み出る。しっかりとした鹿毛の馬に乗ったその男は、生成りに青い縁取りのある服を着ていた。どことなくジンユイに似た顔のその男は、馬から降りてジンユイの後ろにいるこちらを睨んできた。
「あいつは誰だ、ジンユイ」
「旅のお客様よ。それより、また東都からの荷物を奪ったのね」
ジンユイの兄はそれを聞いて、小馬鹿にしたように笑う。
「届けられるべき場所に届かずして、何が配給だ。心配するな、他の村や関の町にもきちんと配る」
「そうじゃない! 戻ってきて、兄さん。人の物を奪うのが兄さんの善なの? 父さんだって、ちゃんと話せば……」
「リーユイ!」
後ろから声がして、ファンは振り返る。声の主は、怒りを露わにしたニエンだった。ニエンが飛び出してきたからなのだろう、シンもそこについてきていた。その二人をジンユイの兄は忌々しげに見て、馬に乗った。
「力なく腐った官とも、それに頼り切る者とも、これ以上話すことはない!」
馬上から吐き捨てるようにそう言って、他の男たちに合図するとまた夜の闇の中に消えていった。気付けば、村人たちが心配そうにこちらを窺っていた。顔を赤くして怒っているニエンは積み上げられた荷物を見て、深くため息をつく。
「ご子息ですか」
シンの問いにニエンは何も答えず、俯いた。ジンユイの兄ならば間違いないのだが、怒りに震わせる肩はそれを認めたくないと言わんばかりだった。そろそろと村人が出てきて、ニエンに話しかける。
「村長、そろそろ彼を許してやったらどうだい。確かに善いとは言えないけれども、官人や役人に対抗するには、もうこういう方法しかないのかもしれないよ」
「王の治に反抗させるために、あやつを旅に出したのではない。昇化して戻ってきたと思えば、さも正しいように暴力で人の物を奪う! 何が義賊だ、盗賊となんらかわらん。自分の息子であろうとも、許せるものか。否、息子だからこそ許せんのだ」
村人はおびえたように、ニエンの肩に触れ掛けた手を引っ込め、恐る恐る言う。
「とはいっても、彼らが配給を無料で配り始めてからは、私たちの暮らしも楽になったじゃないか。彼は私たちのことを思ってやっているんだろうよ」
その言葉に、シンが怪訝そうに眉を寄せる。ファンはシンの元に駆け寄り、どうしたのか声をかけようとしたが、ジンユイがまた突然に洗い場の方へ駆けて行ってしまったので、ファンはその後を追いかけた。