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四神獣記  作者: かふぇいん
白の国の章2
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未明の追跡

朝は近い気がするが、雪交じりの曇天に日の赤みが差すのはまだ先なのだろう。うっすらとした雪に残る足跡を追って、ファンは先に飛び出したシンを追った。奪われた夙風を取り返さなければ。盗人は今まさに渦中にあるその剣を持って逃げた。これはやっぱり今の異変に関係しているのだろうか、それなら尚更に、何としてでもあの人影を捕えて、聞き出さないといけない。

青の気を滾らせ、龍のその身で風を切って進む。凍った地面に蹴爪を掛けると、足の裏の細かな鱗にその冷たさがしみた。

「師匠!」

 呼びかけると、こっちだ、と通りの向こうから声が返る。人影は家々の間を縫って、こちらを撒こうとその行き先をあちこちに振ってくる。ファンはとにかくシンに追いつこうと、人影の進むのを感じながらも、そちらに向かって足を進めた。

「師匠、泥棒は」

 追いついて声をかけると、シンは前方の闇を示して、短く息をつく。

「こう路地に入られると、足の速いのも無駄だな」

 龍化していた手足を元に戻し、二人は前をゆく足音と時々見える人影を追う。狭い道もよどみなく逃げられるのは、この地に慣れた者であるからだろう。

「この町の人でしょうか」

 おそらく、と答え、シンは人影を追って、また路地へと入る。ファンもそれを追いながら、他に町の人がいないかどうか気を配った。物が取られた、とあれば誰かしら、手を貸してくれるだろう。

 軒先に置いてあった網の塊を蹴飛ばす。ばらけたそれが絡まって、ファンは苛々とそれをほどいた。走っていても、地の利がないこちらはついていくのがやっとだ。なら。ファンは暗い空を見つめ、小さな足音の方向を確かめる。地を走って追いつけないのなら。

――空から追えばいい。

 ファンは青から一転、赤色の気に意識をやった。火の守護獣、朱雀から借り受けた、翼の力の最たるもの。一呼吸つくと同時、辺りの霜や雪を溶かして、ファンは紅の羽根に身を包んだ。

「上から追います!」

 先を行くシンに聞こえるよう、ファンは声を張る。返事は聞こえなかったが、通りに出て、思い切り地を蹴った。背の燃えるような翼をはばたかせ、ファンは空へと飛び立つ。羽ばたいて散った羽根は炎に代わり、輝くそれが下方の路地を照らしている。

「いた……!」

荒海を撫でてきた風が渦をまく上空で、ファンは呟く。火の化身でなければ、凍えそうな寒さの中でファンはじっと下方に目を凝らした。物の形すらおぼろげなその闇の中で、盗人は器用に路地を駆け、置かれた物を飛び越えていく。ファンは何度も羽ばたいて、空に留まった。風が遥か上の雲を急かすように流している。そして。

ちかり、と何かが光を反射する。夙風の柄や鞘に施された銀の飾りや磨かれた玉に、月の光が当たっているのだ。月が出たのに気付いた盗人が、空を見あげてこちらに気付く。顔を覆った布から覗く二つの目をじっと見返し、ファンは飛び込むように下方へと体を滑らせた。

「そんなんありかよ!」

 盗人が不満に満ちた声をあげ、体を強張らせる。瞬きする間もなく地面とその姿とが目の前にいっぱいになる。

「――うわっ!」

 発声は同時、ファンはしゃがみ込んだ人影の上を通り過ぎ、木の欠片を巻き上げながら急上昇した。互いの声と家々とがあっという間に後方に流れていく。腕でも背でもない部分が痛むのは、どうやら翼の先が屋根に当たったからのものらしい。火花のように羽根が散らばり、夙風を掴もうと伸ばしていた手は盗人の服をかすめただけだった。ちぎれた袖はひらひらと下へ落ちていった。

 遠ざかっても聞こえるほどの舌うちが聞こえて、ファンは体勢を立て直す。飛び続けることに慣れていなければ、狙うにはやはり高さが必要だった。

「ファン! 下からは俺が追う、構わずいけ!」

 シンの声に、ファンは急いで体を反転させた。人影は転がるように路地を出ると、今度は町の外の方へと走っていく。門の方にはきっと番がいるからだろう、町の封の壁が、海に張られた縄に代わる境目の方だ。削られ切り立った岩の崖に白波が砕ける、人を拒むようなそこに。

 海と盗人の腕とが交互に映り、とっさに、海に投げられるのではないか、と思う。波に、そして、果てなく広がるその海に持っていかれれば、きっと二度と戻ってこないだろう。追っていたシンが開けた場所に出て、下で再び龍化したのを感じた。ファンも勢いをつけて、盗人めがけて滑空する。

 盗人はもっとも近い岩場に辿りつき振り返って、シンと、そして上から迫るこちらを見た。そして、突き出た岩に手をつき、誇るように夙風を掲げて見せる。ファンは落ちるよりも早く、風を切ってそれに手を伸ばす。夙風と、それを握る腕とを見据えて――

 紺の布に覆われた盗人の顔は、笑みを浮かべたように見えた。

 僅か一瞬。雷鳴に似た音を立て、波がそれを遮った。月の光に照らされた波は、岩にあたり、白く細かく砕けて、霧雨のように降ってきた。潮のにおいと羽根にしみとおる海の水に、朱雀化がとけたファンは砂地の上に膝をつく。見えなかったのは一瞬だった。だというのに、目の前にまで迫っていた盗人の姿はどこにも見当たらなかった。

「ファン、奴は」

 追いついてきたシンが辺りを見回す。岩場とつなげられた封の為の壁と、海側に張られた壁代わりの縄。こちらから逃げるとすれば海の方へ出る他ないのだが。

「海に飛び込んだのか」

「わかりません、でも、さっきまでそこにいて」

「……岩場の方を見る」

 シンが入り組んだ岩場のほうへと歩き出す。どこかおぼつかない足で、砂と岩の間を踏みだす。

「危ないです、師匠、波が」

「だが、夙風だけは――」

 言い終わる間もなく、訪れる波より早く、シンが短く切れるような息の音を立てた。胸のつまったようなそれと共に、崩れるように膝をつく。

「師匠っ?」

 大きく引いて行った波の間にファンは飛び出し、シンの体を起こした。不規則な呼吸と、まったく力の入っていない手足。波は足元から沖へと引いて行く、考えている間はない。ファンはシンの体を支えるとすぐに龍化し、後ろへと強く跳んだ。二歩、三歩と飛びのく二人を追うように、荒海は再びそこを砕けた波でおおっていく。

「大丈夫ですか? ししょ……師匠?」

波の届かない門の手前まで来て、ファンは改めて、師の異変に気付いた。

 返事はなく、シンは肩で大きく息をしながら、ただ口だけを、すまん、と動かした。その顔は蒼い月の光の下にもなお青く、寒いというのに首筋に汗が浮いていた。何かシンは言おうとしていたのに、声は息の音になるだけで聞きとれない。気付いて間もなく、抱えていた体がぐんと重くなって、ファンの腕にのしかかる。

「師匠、師匠!」

 何度呼ぼうとも、閉じた意識は帰ってこなかった。戸惑うファンの視界の端から、暁が空を染め直しながらやってくる。声を上げたからか、こちらの姿を見ていたのか、人の声がこちらにやってくる。

「どうしたら」

 呟いてまず、師をどこかで休ませなければ、と思う。夙風も取り戻さなければいけない。シンが倒れたのはやはり、そちらに原因があるのだろうから。ならば、今はここに来る人に事情を説明するのが先決だ。

 明けてなおまだ暗い港に、松明の灯りがゆらゆらと揺れる。

「師匠……」

 呼びかけても、不安が増しているのではいけない。振り払うように(かぶり)を振って、ファンは人々が近づいてくるのを待った。

どうにかしなければ。今こそ、自分が何とかしなければいけないのだ。

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