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四神獣記  作者: かふぇいん
白の国の章2
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昏の者たち

――獄。

黒曜石の玉座、そして宮殿から遥か離れた、獄の端を窮奇はひたひたと歩いていた。獄は中心に近いほど、青い燐光も周りでうろつく魍魎(もうりょう)も多いが、端までくるとそれこそ限りのない闇が広がっている。まるで何もない(くう)を歩くような感覚だ。だが、それももう全く慣れてしまった。万という時を思えば、当然のことだった。

窮奇(きゅうき)様」

 後ろの闇から声が飛び出す。歩き始めて幾度目かの呼びかけに、窮奇はとうとう足を止め、振り返った。

「声をかけるな、と言ったはずですが、ジェン」

 こちらの視線に、闇に浮かんだ白い顔と手足が動揺を映す。人の身にして、生きながらに獄に引きずり込まれた者。(ちん)の獣人にして、現南王の妹。否、引きずり込まれた、というのは正しくない。この女は自ら堕ちることを望んだのだから。

 でも、と女は柳眉をたわめ、苦悶を顔に浮かべて言葉を継いだ。

「先ほどから何をお怒りなのかと。どこへ向かわれるのです」

 窮奇はジェンから視線をそらし、深くため息をついて返す。

「どうして僕が怒っていることに気付いていながら声をかけるのですか」

 す、と視線を戻すと、女は思った以上に怯えた様子で身じろいだ。彼女は自ら進んでついてきたが、いざ獄へ着いてみると、地上と打って変わって委縮してしまった。ようやく、こちらがどういう存在であるか真に理解したらしかった。きっと、彼女の中の好い幻をこちらにうつして見てでもいたのだろう。それが獄の闇にかき消えて、今の態度に至るのだ。まだ、声をかけようと思うだけ、意思が強いとも言えるか。

「上手くいっていることより、上手くいかないことの方が増えてきただけです。黙っていなさい、ジェン」

「……ごめんなさい」

 ジェンは若い娘のような言葉で、俯き謝った。返事のような短いため息をつき、また向かっていた方へと向き直る。

「そもそも、私がなぜ歩いているのか、それはあなたが一番よく知るはずですよ」

 自分には翼がある。獄の内ならば呼吸より容易く使える力も。広い獄だが、力を使えば移動に苦はない。地上で生まれたばかりに――一度でも天に祝福を受けたばかりに、獄で殆どの力を失っている手下の為に、わざわざ徒歩を選んだのだ。置き去りにして魍魎に食わせる気楽さよりも、まだ後のために使う手として残しておく方がよいと踏んだ。きっと、こんな状況さえなければ、容易く変わるような価値の上。

 再び、歩みの中に沈黙が戻った。飢えしないし、疲れもしないが、そのような場所で過ごす空虚な時の味は、おそらく自分と、この先で待つ者しか知らないだろう。

 青い燐光が一つ、先に見えてきて、窮奇は従者にこの場で控えるように言った。青い火に照らされる巨躯に、不機嫌な顔。不機嫌なのは、相手だけではないが。

「遅かったじゃねぇか」

「待つのは得意でしょう、檮杌(とうこつ)。とはいえ、呼んだのは僕ですから、詫びておきます」

 ふん、と鼻をならし、檮杌はこちらの後ろを見やって、嗤った。

「そんなに連れまわしてぇなら、紐でも付けておけよ」

 こちらのやり取りを気にしているのか、檮杌が示す方からジェンの視線が背を触る。見るな聞くな、とでも言っておけばよかったか。ただ沈黙を返すと、檮杌は燐光を叩き消し、その場にどっかりと座りこんだ。

「で、話ってのはなんだ」

 小さく息をつき、窮奇は向かいあう様に闇を椅子にし座る。これからするものが快い話でないのは、檮杌といえど、もうわかっているようだった。当然、話すこちらも苦いものを含んだような顔になる。

「――饕餮(とうてつ)はもう、駄目でしょう」

 ぐっと声を落とし、窮奇は応えた。聞かれてまずいと思うのは、すぐ後ろか、それとも遥かどこかか。

「駄目ってのは、どういうことだ」

「もうこちらの駒ではない、ということ。もうほぼ“あれ”の手に落ちました」

「けっ。だろうな」

 端から諦めたような嘲りに、窮奇は細い眉根の皺を深めて、ゆるりと首を振る。

「それだけなら、別に呼び立てる理由にはならなかったんですがね」

 窮奇は宙に放っていた足を組み替える。

「“あれ”の正体に、見当がついたところ。いえ、見当というよりは、予感でしょうか」

蚩尤(しゆう)様の子じゃねぇってんだろ、他は何だ」

「おや、それはわかっていましたか。……なら、“あれ”が私たちの前に現れた時のことを覚えていますね」

 檮杌は当然、と頷いてみせた。僅かに昔、暗に塗られた空間にぽつりと浮いた、染みのような白。主と同じ匂いを纏いながらも、明らかな異類。

「子であるわけがありません。蚩尤様も私達も、今後に一切の同類を持たない定め。ならば……」

 煩わしげに息をつき、檮杌はこちらの言葉に割って入った。

「それでも、天を引きずり降ろせるってんで、蚩尤様を愚弄するようなことも見逃してやってんだろ。あれだってそれを知ってる。ぐだぐだ話してりゃあ、これだって筒抜けだ。さっさと先を言え」

 ため息を頷きがわりに、窮奇は組んでいた足を崩す。

「思うにあれは――」

「誰でもあって、誰でもない……どこにでもいて、どこにもいない、ふ、ふふふ」

 第三者の声に二人は暫時身を強張らせたが、声の主に気付いてすぐにそれをほどいた。水の底から湧くような、輪郭のぼやけた女性の声。

「……渾沌(こんとん)

 暗闇に呼びかけると、二人の間で足元がぼこぼこと沸き立った。泥のような黒い地表が次第に高くなり、人の形を成す。渾沌は妙齢の女性の姿で、その場の四凶二人の間に立ちつくす。黒い膜が帯のようにその目を覆い、口元には喜悦に満ちた笑みが浮かぶ。

「私のところに、太極が来る、まだ来ない……来させに行くの」

 渾沌が一歩踏み出すと、深く入った、服の切れ込みから白い太股があらわになる。左のそこには蚩尤の眷族を示す(しるし)

「太極が“無事に”黒の国へ入ろうというのですね?」

 その問いに渾沌は応えない。もとより応えを期待してはならない同類だと知ってはいるが、状況が思わしくない今となれば、ますます窮奇には面白くないだけだった。ぺたぺたと素足の音を立てて、渾沌はふらつきながらも歩き始める。返事の代わりか、渾沌はどこへ向けられたともわからない調子で、また小さく笑った。

「蚩尤様はいつ目覚める」

 眉根を寄せる窮奇に代わって、檮杌がどこかへ行こうとする北の禍霊(まがつひ)に尋ねた。不規則に続いていた歩みが止み、渾沌が二人の方へぐらりと首を傾けた。

「蚩尤様、いつ目覚める、ふふ、ふ、まだ目覚めない……真っ白な夜這星(よばいぼし)、笑うから」

 こぼれおちそうに頭をぐるりと回し、渾沌はまたゆっくりと歩き始めた。見当をつけていなければ、なんとも答えにならない答えしか、この魔獣からは返らない。

「蚩尤様の封印を看ているのはあなたの役目でしょう、渾沌? 何故、前と答えが違うのです」

 僅かに責めるような色を乗せて、窮奇は再び問う。渾沌はおそらく、感覚として現状で一番真実に近いものを持っている。要領を得ない応えに苛立ちながらも、こちらがそれを読みとけば、抱いている予感が確証に近づくのだ。そして、今も。

「わたしには、理がない。……ふふふ、同じはない。大きな力も同じはない、龍も星もここも。いつかは過去で、さっきは今」

「龍ですか」

 応える言葉はなかったが、それでもある程度、推測の材料が揃ったか。渾沌はさらに数歩歩みを進めると、現れた時と同じように沸き立つ泥と化し、また消えた。

「相変わらず何を言ってるかわかんねぇな」

 頬を掻き、檮杌が呟く。

「ですが、ある程度、判断の材料は得られました。続けますよ」

 声なき了承に、先を次ぐ。

「渾沌が、“あれ”の狼藉を防げなかったとは、今在る世の理を曲げる力よりも、強い力の示唆。それと夜這星と、龍のこと。過去のこと」

「……お前も、言ってることはわかるが、何言ってるかわかんねぇよ」

 窮奇は深く息をついて、ゆるりと脱力する。

「我々はただ、一万年前と同じ破目にあっているということです。なら」

 けっ、と檮杌は短く吐き捨てる。

「気に食わねぇことになってるてのはわかったぜ」

「それだけ伝われば結構」

 椅子にしていた空間から立ち上がり、頷いてみせると、檮杌は蠅を追うように手を振った。しっかりと座っていたその巨体が砂のような音を立ててかき消えると、窮奇は踵を返した。

うんざりとした気分も表情も、当分消えそうになかった。まず、後ろにやっていた従者の元へと戻れば、どうせ、途中で現れた女はだれか、と聞かれるに違いないのだから。

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