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四神獣記  作者: かふぇいん
白の国の章2
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不帰の穴

 羽織るようにしていた毛織の外套が、強まってきた風にはためく。身を切らんばかりに吹き付ける寒風は運よく追い風だったが、指先は赤く、感覚も遠くなっている。言われた通り、少しでも飯を腹にいれておいてよかった。草木の枯れた松の峠道を下りながら、シンは夙風(しゅくふう)の柄を握り締めた。今夜こそ、暴れてくれるな。悪い夢に気を取られている時間はない。

 鼻先がふと冷えた気がして触れてみると、小さな氷はあっというまに溶けてしまった。風でかすれていた視界がさらに不透明さを増していく。

「降ってきたな、雪だ」

 呟き、足を止めると、ファンも同じように立ち止まり、空を仰いだ。虫の飛ぶような中空だ。普段なら遥か高みの雲も重たげに低く立ちこめている。日が見えないせいで時刻がわからないが、それでも町を出てから随分歩いたはずだ。

「次の町でもう、海へ出るんですよね」

「ああ、そのはずだ。そこの港から船が出ている」

 ファンの問いに、頷いて返した。黒の国の王都は海を渡った先にある。環状を成す街道は白の国の港から海路となり、荒海に浮かぶ島へと続く。船が通るからこそ行き来があるが、他の路に比べればその数は少ない。南の難所が陽山であるなら、北の難所はこの海路だった。

 はじめは遠くの山の峰にだけ見えていた雪が、今は足元の枯れ草にしがみつくようになった。風があるからこそ積らないが、静かになればあっという間に地面は白く覆われるだろう。脇へと伸びる黒々とした松の林が、軒並み傾いで生えるほどの風だ、殆どやむことはないのだろうが。

「風が強い。急げるか? ファン」

 振り返ると、ファンはもちろん、と言った顔で頷いた。鼻の頭が赤くなっていて、痛々しい。東も比較的暖かい町の出身であるファンにはきっとこの先の寒さはこたえるだろう。だが、本人はそれも別段気にならないようで、かえってこちらの様子を心配している。風の高い音と、唸りのような空鳴りに、声を張りながらファンが問う。

「もう少し早くても大丈夫です。師匠は大丈夫ですか? 具合は」

 その問いにはしっかりと、大丈夫だ、と返した。夙風に触れ、頷いてもみせる。足を早め、凍みだした道を進む。

 言ったことは嘘じゃなかった。起きている間はさほど異常もない。気を張らねばならないのは夜だ。眠っているとき、自分の意のままにならぬときに、雲の湧くように出て来る悪夢こそ手を焼くのだ。道を進む間に、それが自分の剣によるものだと確信した。天が下し、「あの者」が触れ、我が主が持たせた剣が。

 ならば、捨てればいい、と思う。宝物が惜しいと思えば、この際誰にでも、信が置けると思った者に預ければいい。それでこの数百年の難儀から抜けられるのなら。だが、それもできなかった。それは夙風が自国の什宝であること、陛下が手放すなと言ったことを外にしても、とても厳しいことのように感じられたのだ。まるで手足を切って置いて行くような感覚。青龍としての力があれば、およそ必要としない剣だというのに。

色々と思考して、気付く。これが“剣の故を問え”ということなのか、と。

「……師匠、師匠!」

 ファンの声にシンははっと顔をあげた。

「海に出ましたよ!」

 弟子の感動まじりの声に、頷いて返す。海になるまで下ると思っていた道は、断崖に面して折れ、切り立った崖に沿うように続く。空鳴りだと思っていたのは、潮騒だったのか。岸壁打つ波は這い上がろうとするように、上へ上へと白く砕ける。開けて見えた海は鉛色に揺れ、時々銀の刃のように波が立つ。それを眺める道はうかうかすれば、足を踏み外しかねない細道で、海へ落ちれば黒白どちらかの国の浜に寄せるまで、地を得ることはないだろう。

「なら、町ももうすぐだな。あと少しだ。気をつけて行くぞ、ファン」

「はい、師匠!」

 荷を背負い直し、冷えきった手足に少しでも血がいくように踏み出した。横目に見る海は荒れて見えるが、西王は凍てようが荒れようが船は出ていると言った。技の国と知の国を結ぶ船だ、渡海するにあたってしかけもまじないも充分にしてあるのだろう。あとは、実際に乗る者たちに聞いてみるのが一番か。おそらく幾週も掛かるだろう船旅に、弟子ともども耐えられるか、だ。道はまた松の林の中へ戻っていった。

「師匠、前! 道が切れています!」

 慌てて足を止めると、ファンの言うとおり道は一度そこで切れていた。森の中で泉が湧いているところのような、木立の中でぽっかりと開いた大穴だった。止まった拍子に蹴った小石が、穴の中へと呑まれていく。近い波の音に消されて、落ちる音はしなかった。大穴は息をしているように、ごうごうと風の音を立てていた。

「不帰の穴、か」

 辺りを見回すと、文字こそ読めたが、すっかり朽ちた木の札が転がっている。それがこの穴の名前だろうか。横に並んだファンが、恐る恐る覗き込んでいる。

「二度と帰れない穴、ってことですかね……わっ!」

 ファンが覗き込んでいた頭を慌てて引っ込め、尻もちをつくように後ろへと退いた。穴から水柱が吹きあがる。辺りの空気に混じりわかりにくいが、確かに潮の匂いがした。ファンを追うように白波は広がったが、すぐにまた穴の中に引っ込んでいった。

「不帰、つまり死者の穴、とも取れるな。あまり寄らん方が良さそうだ。先へ進もう」

 縦穴を避けるように道は弧を描いて伸びていた。看板があるのなら、そろそろ町についてもいいころだ。歩き始めたが、少し遅れてついてくるファンに気付いて立ち止まる。不安そうな顔で、あの穴の方を振り返っている。

「どうした?」

 問うと、ファンは小さく苦笑しながら首を振った。

「波と風の音が、人の声みたいに聞こえるなって」

 そんなことはないですけど、と続けて、ファンはかけ足にこちらへ追いついた。

「おどかし過ぎたか? ――大丈夫だ、たとえそうだとして、死者は永遠に生きる者には追いつけん。そういうものだ」

 はい、と返る小さな声を聞きながら、シンは言わなかった言葉の続きを思った。死者がこちらに追いつけないのと同時に、こちらも死者を迎えに戻れないのだ、と。

 空の暗さを増していた松林が切れ、また先ほどのような崖が現れた。だが、今度はただ海が広がっているわけではない。蛇腹に折れながら崖を下る道の先、遥か眼下には大小様々な船の止まる波止場、絶えまない潮風に耐える小さな家々。街道をゆく白の国最後の町が広がっていた。

「あの船がそうでしょうか」

 ファンがひと際大きな船を指して言う。海路となる西と北との連絡船。きっとそうだろう、と頷いて返しながら、町の中へぐっと目を凝らした。天気は悪いが、外にも人が出歩いている、宿を尋ねることもできるだろう。

「早く火にあたらせてもらおう、もう足の先が随分遠い」

「おれもさっきから、鼻とか耳が痛いです」

 家が近いと思うと、とたんに今まで出来た我慢が辛くなる。

「なら、まずは今夜の床だな。それと……とにかく飯だ」

 同意する声は大きく、二人は下り坂を駆けるように下りた。

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