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四神獣記  作者: かふぇいん
白の国の章2
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逆転

 今日こそは寝るまいとそう腹を決めていたはずが、弟子の身じろぐ音に驚いてみれば、やはり寝ていたのだろうかと思う。夜の間ずっと雨の音を聞いていたが、頬を撫でる朝の風はからりと乾き冷えていた。ならば、雨が降っていたのは自分の頭の中だけなのだろう。頭の中、手の届かないところにしまわれているはずの記憶で。

 そう、手は届かなかったはずだった。そして、自分はそれを取り戻すことを望んでいた。だというのに、いざそれが返ってきてみると、今度はそれを受け入れることができなかったのだ。持っていた断片で作り上げた、大いに想像を含んだ記憶を一切に裏切るような内容だったからだ。

 違う。こんなことはあるはずがない。あったはずがない。あったとしたら、今ここに自分が在るわけがないからだ。在ってはいけないし、在りたくもない。

「嘘を言う。本当はさもありなんと思っているだろうに」

 誰かの声が聞こえて、それが自分の声だと気付くにはしばらく時間がかかった。そして、その声を導いたものが自分の腰のものだと気がつくと、先に増して何が事実なのかわからなくなってくるのだった。

 国護の獣の為の、天から賜った剣。一万もの長い時の間、静かに剣然としていたそれが、まるで生き物のようだった。ときおり自分こそがこの体の主であるかのように、口を借り、夢の中でうごめく夙風。夜明けの一迅を意味する剣は今、夜更けの凪の色だ。

 起きているかと問うと、弟子は藁を跳ねのけて返事をした。今起きたのか、起きていてこちらを窺っていたのかはわからないが、ここ最近のこちらのことには気づいているようだ。もとより聡い子だ。それでも何も尋ねないでいてくれるのは、その性情ゆえのことだろう。こちらが言った、いつか話すという約をじっと待っているのだ。何か言いたそうにこちらを見ることが多くなったが、気まずい空気を払うようにファンはいつもより明るく振る舞っている。

――情けない。

シンはため息を押し殺し、支度をしに駆け出ていったファンを見送った。弟子にしたその少年を守るとて、天と獄とが見遣る心を育てようとて、師となってここまできたはずだった。それが今や、心を病むのはこちら、逆に気を使われている始末だ。全て気付かれているから、今度はもうそうだとは頷けなくなってしまった。眠れないのだ、悪い夢を見ているのだ、と言ったところでどうなるだろう。

 服に引っかかる藁を払い、億劫に立ち上がる。やはり、外は雨の名残もなく、霜に覆われた地面が、国の色を示すように白く広がっていた。最後の旧知がいる、黒の国への道だ。一度離れた海を目指し、冷えていく一方の山道を下る。

 ファンを追って水場に向かおうとした途中、子供が手桶を抱えて通り過ぎるのを呼びとめ、手ぬぐいが濡れるだけ水をわけてもらった。初めこそ子供は怪訝そうにこちらを見ていたが、代わりに残っていた干菓子を全部やると、顔を輝かせながらかけていった。凍る手前のような手ぬぐいで顔を拭い、季節外れの冷や汗を隠した。

 黒の国へ行こう。こうなったら一刻も早く。天と自分しか知らぬはずのないことでも、玄武なら知っているような気がするのだ。あの国には古い古い記憶も何もかも、氷の中に留めてあるのだから。

 ファンが帰ってきて、すぐに身支度を始めた。ファンは、井戸端で何か聞いてきたらしい。この先の道の様子、海の様子、それについて注意すること。それぞれ頷いて聞いていたつもりだが、話の間に寄ってきた弟子がこちらを覗き込んでいたのには気づかなかった。

「大丈夫ですか、少しでも何か食べましょう、食べないと温まりません」

 自分はいい、と答えようとして、それを飲みこんだ。こちらが食べぬといえば、心配をかけるばかりか、では自分も食べない、と言い出しかねない。朝の声が賑わいできたのに耳を澄まし、微笑してかえした。

「それも、そうだな。何かあればいいんだが……」

「じゃあ、探してきます。軽いもののほうがいいですよね、待っていてください」

 こちらが言い終わるかしないうちに、ファンはそう言ってまた外へ走り出ていった。すまない、と言いかけて、本当は感謝の気持ちを告げる方がいいのだろうが、とそれを留めた。

 本当はきっと、単純なことで片がつくのだろうと思う。だが、そのただ一つのことがわからぬ、できぬがゆえに、病むでもなく痛むでもなく苦しんでいるのだ。

「傷があるわけじゃあないのにな」

 自嘲気味に息をつき、体をぐっと伸ばした。気にするところを間違っている。きっと西王ならばそう鼻で笑うだろう。確かに、自分の異常は最近に始まったことじゃないが、今の悪夢がそれゆえであるとも限らない。ひょっとするとあの子供の姿をした魔ともわからぬ“何か”に、西王宮でまみえたことに端があるのかもしれない。そもそも、旅に出てかつての友と出会い、過去を辿ろうとするからこそ、昔の夢など見るのだ。本当は恐れるほどのことはないのではないか。

 自分はとにかくも進まなければいけない。改めて考えれば、夙風に異変があるならば、対の剣を持つ東王にも影響がないともいえない。天にこの身の行く末をはかり、天がこの魂の行きつく先を見ているならば、なおのこと今は一刻も早く四方をめぐり、意を固めなければいけないのだ。

「師匠、出店がありましたよ!」

 ファンが息を弾ませて、小屋に駆けこんでくる。よし、と頷くと、その表情をほっとしたように緩めた。自分の荷物を手に取り、よかった、と呟く。

「食べないって言われたらどうしようかと。店はあっちです、塩漬けの肉が美味しそうでした」

「肉?」

 軽いものを探しに出たはずの弟子に聞き返すと、ファンははっとそれを思い出したようだが、すぐに照れたように笑った。

「麺の上に細切りのがのせてあるんです。それなら…」

「そうだな。まぁ、もし多いと思ったらお前にやろう」

 そうこたえて、笑いあい、シンも荷を担いだ。

 扉を出たところで小屋の主とはちあわせ、礼を言ってから、ファンの言う店の方へ向かった。朝日が空気を照らし、銀の粉をまいたような光が、辺りを包む。行く手は晴れのようだが、追ってくる西の空は雲を連れている。途中で雪になるだろうか。

「吹雪かないといいんだが」

 小さく呟いた声に、先導していたファンが呼ばれたかと振り向いた。

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