境近くの村
村の中へと入った二人は、とりあえず一番大きい家の戸を叩いた。おそらく、村長の家だろう。外に繋がれた犬が吠えている。しばらくして、戸の向こうから若い女の声がした。
「どちら様?」
「東都から旅をしている者だ。すまないが、どこか屋根を貸して貰えないだろうか」
ほんの少し扉を開き、年頃の女がこちらを覗きこむ。その人は眉を寄せ、顔に僅かに怪訝な色を見せたが、すぐに後ろを見やり、答えた。
「父に、話してみます」
戸は閉まり、しばらく中で声がした後、開いた。出てきたのは年配の男だった。
「ひとつ空いた部屋があります、お貸ししましょう。どうぞ中へ」
「急な申し出だというのに、申し訳ない。感謝します」
二人は一礼すると、その家に入った。中は物こそ少ないが、明かりはいくつかともされ、隅々まできれいにしてあるのがうかがえた。椅子をすすめられ、ファンとシンは座る。二人にお茶を出すと、娘はすぐに家の奥の方へ行ってしまった。よく見れば、二人の対面に座る男もその娘も暗い顔をしているのに気付く。突然の訪問者を警戒する以上の、後ろ暗い表情だ。男性は口を開く。
「お役人の方とお見受けします。こんな山里にいらっしゃるのも故あってのことでしょう。お聞かせいただけないだろうか」
シンの刀や左腕と額の青い巻き布を見てのことだろう。役人は大抵、属する国の色を腕に巻くなどして、身にまとう。青にも色々あろうが、シンの布の色を見てそう声をかけるということは、よほど見慣れているのだろう。
「いや、私たちは役人ではありませんよ。私用の旅で南都を目指しています。道が崩れて遠回りしているうちに日が暮れ、難儀していたところに、こちらの明かりを見つけたもので」
シンは、横でファンが茶に口をつけているのを見やり、また男へ視線を戻す。微かに、安堵したような表情が浮かぶ。
「そうですか。いや、最近、よく関の町から人が来るもので。失礼しました」
「いえ、こちらこそ突然お訪ねして申し訳ない」
男はようやく笑みを浮かべた。そして、シンにも茶を勧めた。
「あぁ、そうだ。申し遅れました、この村の長を務めております、ニエンと申します」
続いて、二人も名乗る。
「私はシン、隣は弟子でファンと言います」
ファンが頭を下げる。礼節に厳しいバクといたからだろう、ファンは大人しくきちんと座っている。男はその様子を見て、顔をほころばせた。
「いや、随分お若い方がいらっしゃると思いまして、お弟子さんでしたか。ここまで大変だったでしょう。食事はもうとられましたか?」
村長は問う。
「いえ、まだですが、さすがにそこまでお世話になるわけには……」
「久しぶりのお客様ですし、旅のお話をお聞かせいただきたいのですよ。大したものも出せませんが、是非」
そう言うと、ニエンは奥の方に呼びかけた。
「ジンユイ、こちらに来なさい」
奥から、初めに会った女が出てくる。二十歳を出るか出ないかくらいだろうか。生成りの上着には赤い金魚が刺繍されてあり、袖や襟の朱の縁取りと共によく似合っていた。ニエンは二人を紹介すると、彼女に食事の支度をするように言った。ジンユイと呼ばれた娘は一礼して、調理場の方へ歩いていく。それを見送りながら、ニエンは頭をかく。
「少し前に妻を亡くしましてね、娘が身の周りの世話をしてくれています」
「この大きな家をお二人でとはいろいろ大変でしょう」
「いや、まぁ……はい」
奇妙に言葉を濁しながら、ニエンは笑う。不思議に思ったが追求するのも礼を欠くと、シンは追わず、他の話を振った。しばらくして、いい香りが漂ってきた。