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四神獣記  作者: かふぇいん
白の国の章
188/199

舞いの先に、続く道

 旅の支度を済ませて、その日はまた王宮で部屋を借りた。夕刻戻ると、西王はもういつもの服に改めていた。本当にあの格好は、一座に見せるためだけだったのか。勿体ない、と颯爽とした王の姿をファンは思い出して惜しんだ。

翌日の夕刻、公演を見るために支度をしていると、王からの使いが来た。客人として同行せよ、とのことだった。廊下で待っていた使いについて、門まで出てファンは感動に声を上げた。そのそこにあったのは昨日と同じように、正装に身を包んだ西王と、それまで女官服だった白虎の仙女風に衣を改めた姿だった。

「普段からそれでいればいいと思うが」

 シンの言葉に、西王はふん、と鼻を鳴らして応える。

「動きづらくて鬱陶しい。今は、あれだ。芸人の為す王より、本物が劣ると思われてはかなわんからな」

くす、と笑った白虎を恨めしげに睨んで、西王は足を踏み出した。シンとファンは、客人として。西王の後ろには白虎と、そして武官数人が続く。都の中央、鐘楼前には催事に用いられる広場がある。普段は人々の憩う場であり、露天商達の声が飛び交うそこには、組みあげられた舞台と延々と広げられたござがある。そうして広くとられた人々の為の桟敷の中央に、少しばかり高く造られた席は王と、その周囲の為のものだ。西王が広場に足を踏み入れると既に人でごった返していた広場の人だかりが、波のように揺れて、道を作った。一度しん、と静まった広場の端々から、西王様、と声が上がる。ざわめきは次第に大きくなり、歓喜の合唱になっていく。中央の王の為の席に歩み寄り、西王が民の方へと振り返る。

「大勢に呼ばれても困る、要件があるなら順に言え」

 静まりかえる群衆を見回し、西王はいつものようににっと笑った。

「冗談だ。さてな。来たぞ、雲海座。もう日暮れだ! 準備はできているな?」

 西王の言葉に急かされたように、鐘楼の鐘が鳴らされる。用意された篝火が灯され、暮れまだきの街が仄かに火の色に染まる。そして、ほどなく鳴らされる開演の太鼓。

「貴様らも座れ。始まるぞ」

 心なしかそわそわして見える、と西王を見て、次いで隣を見ると、シンも同じ表情で舞台を見ていた。視線に気づいて、どうした、と問うシンに、ファンはいえ、と応えて小さく笑った。きっと、今自分も同じような顔をしているのだろうと思った。

 太鼓の音が近く、忙しくなっていく。篝火の熱が冷えゆく空気に冴え冴えとして、人々のざわめきは押し殺したように、桟敷の中を這う。そして、ひと際大きい音と銅鑼の音に、ざわめきは盛り上がり静かに引いて行った。舞台の中央に、ダオレンがゆっくりと進み出て、その場に膝をついた。

「壇上にて失礼いたします、西王陛下。此度のお招きと、我が一座に眷顧賜ったこと、誠に幸甚に存じます、日ごろ磨きたる業にてこの大恩に報いることこそ、我らがつとめ。その御心に叶うよう、腕を振るう所存ございます」

 白木の舞台に額を付け、ダオレンは下に向けられた声とは思えぬほどに、朗々と謝辞を述べた。

「好い。おい、座長。口上は短い方が好ましいと思うが、どうだ」

 一度上げた頭を再び下げ、ダオレンが応える。然様でございますね、と。そして、立ち上がると万来の町人を見回して、ひと際に声を張り上げた。

「さあ、お集まりいただきました、皆々様! この見渡す限りの御来場! 小さき一座にはございますが、本日の公演、お楽しみいただければ、重畳、重畳」

 再びの礼に、観衆の拍手と歓声が沸きあがる。脇に楽人のにいや達が出てきて、それぞれに楽器を奏で始める。夜気になった都の風に、重なるそれは美しく滑らかだ。旅の間に何度もさらうのを聞いたから、それで導かれる演目が解る。まずは、曲芸。軽業をするマオシャのしなやかな動きに、小剣使いのにいやの息を飲むような技の数々。

 見覚えのある演技のあと、楽人のにいや達が顔を見合わせたのに気付いた。笑みを深めて、互いに頷きあっている。そして、演に合わせてその様相を変えていた曲が、清廉で張り詰めた旋律を紡ぎ出した。舞台の反対側に並んだ子供たちが天神降臨の詩を、曲に合わせて以前とは違った節で歌う。天を称える言葉の後で、端で琵琶を手にしたにいやが、演目の名前を告げる。通常なら、崇敬の念をもって避けられる当地の王の舞の。「白獣娘々」と上げられた舞の名に、横で片膝崩しで座っていた王が僅かに前に乗り出した。

 幕の間から現れたのは、白い衣に、かねの武具を身に付けた武人姿のダオレンと、軽業の時とは一転、白い貴妃服に身を包んだマオシャだった。長槍を手にした少女と、長剣を抜き放った武人との、緊張感とそして、整然とした清さに満ちた舞。

兄様(にいさま)……兄様」

 白虎の声にファンはそちらを見て、目をみはった。篝火に照らされて金に零れる涙。何ごとかと、視線を動かせずにいると、ファン、と西王が小さく呟いた。

「そっとしておけ。まったく大した一座だな。おい、少しばかり力を目にやれ」

 その言葉に、ファンは一度目を閉じて体の中の光に意識をやった。そして、ゆっくりと目を開けて、白虎が見ているものを同じように見た。傍らでシンが呟く。

「懐かしいな、もう見られぬ顔だと思っていた」

 ダオレンとマオシャの舞に重なって見えるのは、別人の幻。そして、それがおそらく西の地のかつての王と神獣の姿。真一文字に唇を結び、厳めしくも優しい目付きの武人はおそらく現白虎の兄という人なのだろう。自らの喉に刃した実直の獣。そして、その傍らで、白い衣をひらめかせるのは西の地の初代の王。ファンと同じくらいの少女で、利発そうな顔つきからは、現王にも通じる、溢れるような自信を感じた。

「陛下は、これを知っていて?」

 (まなじり)を拭いながら白虎がそう西王に尋ねたけれど、西王は小さく笑うばかりでそれには答えなかった。

あの姿が見えるのは限られた人間なのだろう、でも、この一座の舞は確かに先人の影を映して、きらびやかに過ぎる。槍と剣の打ちあう音で舞は締められ、暫時の静寂の後に喝采が辺りを包んだ。舞い手が止まると、幻も篝火の揺れに溶けて消える。ダオレンとマオシャが幕の中へと引く入れ替わりに、代わりに現れたのは白虎に扮したユーリーと西王に扮した(にい)やだった。よく似せてある。ファンが横を見やると、恥ずかしそうにした白虎と平然を装いながらも口角が振れる西王がいた。踊られる彼らはむずがゆいだろうが、きっと今舞台上の二人は本当に緊張していることだろう。

 舞い手が揃えて足を踏み、曲が滑りだす。曲調は静謐だが、時々に強い調子で弦が鳴らされ、撥の音が弾ける。それはこれまでにファン達が見てきた白の国の情景そのもので、王と神獣の姿そのものだった。熾き火の爆ぜる音、かねを打つ鍛冶の鎚の音。饕餮との戦いを思わせるような、激しい節奏。一転して、二人が合わせて舞うときは互いの信頼を思わせるような、ゆるやかで美しい調べ。置かれた座椅子の肘かけを指叩き、西王が体をよじらせた。どこか気恥かしげで、また苛立ちのようで。

「これでは」

「恋仲のように思われはしないか、か? 西王」

 シンが西王の言葉を遮って、言う。西王がにわかに立ち上がりかけたが、息を突きながら、再びもとのように座り直した。

「馬鹿を言え、青龍」

 その顔が赤くなってやしないかとファンはじっと見たが、夜めいて来た広場の明るさではそれもはっきりしなかった。それに、前を見ろ、と西王に睨まれてしまった。

ひと際大きく音がなったかと楽の音も、舞も途切れたようにぴたりと止まってしまった。そういう終わり方なのだ、と言われればそうも思えるだろうが、やはり途中、という感じが強い。拍手もまばらに、人々のざわめきだけが、強くなる。

舞い手が幕の向うに引いてしまうと、それは更に大きくなった。そして、ようやく西王が立ちあがる。

「おい、座長。どういうことだ。王の舞を途中で終わらせるとは、どういう了見だ」

 幕の向こうからダオレンが進み出て、再び叩頭した。

「我らには、完成品を作ることはあたいませぬ」

「何故だ。貴様らは間に合わせる、と言っただろう」

 ダオレンが顔を上げ、しっかりと王を見据えて応える。

「畏れ多くも申し上げます、それは、陛下の御世がこれから先さらに続かれるからです。よって、我らには、陛下、そしてこの国の御清栄を推し量ることなどできようはずもございません。未だおわらず、これが今献上できる最上の舞いにございます」

 応える声はしばしなく、十六夜が舞台を照らしている。そして、二者の間を往きすぎる視線と沈黙を割いて、西王は哄笑した。

「面白い! その舞が後の世で名演となるかは、俺次第というわけか! 舞の名は?」

「名もまだありませぬ、そもそもが王と神獣、引いては天に捧げる舞、芸人ごときに名づけられるものではございません、今ある舞の名も世で演ぜられるうちに決まったものでございます」

 そうか、と西王は笑みを深める。

「それも、後の世か。おい、雲海座。それが名演になった時の為だ、腕を落とすなよ。見事だった」

 その声を皮切りに、広場は一座への称賛でわきたった。小銭が飛び交う中、ダオレンが、閉演の口上を述べる。

「さて、行くか。腹が減った。食ってくればよかったな」

 西王が呟くのに、お腹を押さえて、頷いた。

「ファン。一緒に食うか。おい、青龍、どうせ貴様のことだ、用意はしてないだろう」

 シンが笑み崩し、ああ、と応える。

「ご相伴にあずかろう。それに……蓐収。後で王達の墓に参りたい。神獣に墓は無いとしても、やはりきっと(けい)はそこにいるだろうから」

 シンの言葉に、蓐収は静かに頷いた。

「私も一緒に。私も、いずれ行かねばならなかったのですから」

 王の一行が王宮の門をくぐると、正門が閉じられた。月は白い砂利と敷石を照らして、煌々と輝いている。都の人々の声が熱気を帯びて空に上る。良い夜だ、ファンは息が白くなるのを見て、そっと笑んだ。舞が完成するのはずっと先、もしかしたら自分が死んだ後かもしれない。でも、あれは名演になるだろう。今ある四方の舞に劣らぬ舞に。


 翌日。まだ登るべき朝日は山に隠れて、都は暗い。空は深く藍色に染まっているが、東の山の稜線がはっきり見えるほどには日に薄められている。まだ、鐘は鳴らず都を包む封は解けていない。それでも、二人は支度を整え、都の北の橋まで進んできた。これを渡れば、再び中つ国をめぐる街道の上に出る。聞けば街道はもう少し行った先で、海の道となるらしい。

「わざわざ見送りすまないな、蓐収」

 橋の手前で振り返って、シンがいう。

「いえ。陛下も本当はいらっしゃりたかったんでしょうけど、眠い、とおっしゃって。起きてらっしゃるんでしょうけど、私が代わりに」

 困り顔で笑って、白虎は続けた。

「この先は厳しい道です、お二人のこれからの旅路に、そしてその心に、喜び多いことを願います」

 白虎の礼に、こちらも礼を返し、衛士が橋の封を解くのを待った。澄んだ朝の空気に、鳥の声が高い。やがて、朝鐘が聞こえてきて、それに応ずる太鼓が鳴る。夜が明けた。旅立ちだ。

「行こう。次の町へは下りが続くぞ」

 シンの声にはきと返事をして、ファンは幾分か慣れた吊り橋に足を踏みだす。

「おおい! 待ってくれ!」

 後ろからの声に橋の上で揃って足を止める。太い綱のつり橋が僅かに上下に触れる。こちらを呼びとめたのはダオレンだった。

「黙って行くなって、こっちも礼をしたかったんだ」

 息を切らせながら、ダオレンが橋の中まで走り来る。

「礼なら充分言われているぞ、座長。朝も早い、公演の後ゆえ告げずに来たのだ」

「それが水臭いってんだ。いや、大した礼が出来るわけじゃあない。ただ、見送りが出来ればと思ったんだ。あんたが偉い人なのは知ってる。だけど、今は共に旅をした友として送りたい。ありがとう、世話になった。シン、ファン。いつか東の地でまた会えるのを楽しみにしてる。よい旅を」

 差し出された手をしっかりと握り、こちらこそ、と笑んで返す。都から下り行く勾配に見送りの影が消えて、二人は改めて足を進めた。夜が薄らいできて大分朝の気配がある。しばらく進んだ先で、シンが立ち止まった。

「ほら、見ろファン。北の峰のほうだ、雪があるだろう」

 顔を上げて、先にある山に目を凝らす。上の方に光っている白い線がそうだろうか。日を浴びてきらきらと、まだ暗い裾野に映えて、美しい白。この先に進めば、もっと近くで見ることになるのだろうか。行こう、という声に頷き、再び足を進める。旅はまだ続く、そして足を進めるのはやはり、まぎれもなく自分の意志であるべきだ。

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