日暮れの山道
青の国の章の続きです。
街道を歩いていた二人は山の向こうへ消えてしまった太陽を見送り、深くため息をついた。次の町が南都のある国の南、赤の国へと続く関所なのだが、今おそらく門が閉まってしまっただろう。よほどのことがない限り、町へは入れられない規則になっている。夜になると動き出す外野の獣を防ぐためであり、また獣堕の元になるそれらの死霊を入れないためでもあった。門を閉めると街全体が風水の力に守られ、外から完全に隔絶される。都や大きな町、街道沿いの宿場町はほとんどがその造りになっている。
「まいったな」
シンは呟いた。後ろをついてくるファンもその足を止めて、シンの方を見る。前の町に着くなり、町に閉じ込めるように大雨の日が続いた。その間はファンに護身のために体術の稽古をつけてやったりして時間を過ごしたのだが、いざ雨が上がって出発してみると、雨のせいで街道の途中の山道が崩れてしまっていたのだ。多くの旅人は元の町へと引き返し、幾人かはそのまま進んだようだったが、山の中の道だったせいか、今ここに居るのはシンとファンだけだ。他の旅人の安否も気になるが、とりあえず今は自分たちの心配をしなければならない。
「すみません、師匠」
ファンは俯いて、言う。
「いや、いい。あれはお前のせいじゃあない」
ファンの長袴の膝が擦れて、穴が開いている。ここまで来る道で獣に襲われたのだ。ファンはもちろんシンも突然のことに慌ててしまい、逃げつ追いかけつしている間にファンが崖から滑り落ちてしまった。幸い、大きな怪我もなく、すぐに獣も追い払えたので大丈夫だったが、滑り落ちた分、ずいぶんと遠回りになった。昼間に獣が出ることは滅多にないとはいえ、気を緩めすぎたか。
そして、陽も落ちた今、こうして山道をうろうろしているのは昼にまして危険である。風水の封のある町へは今からでは入れないが、それでも夜露を凌げる場所が必要だ。街道の中でも大きな町、ファンがバクによって育てられたあの町を出て数日。旅慣れないファンには野宿は辛かろう。もとより、シンも徒歩でこんなに遠出をしたのは久方ぶりだ。休めるところがあればいいが。
「ファン、お前、木に上るのは得意か? 何か見えれば教えてくれ」
シンは樹上を指して言った。ファンは頷き、靴を脱いですぐ横の木に器用に登り始めた。枝の少ない上まで行くのもすぐだろう。
ここまでの道すがら、色々話した。バクが親でないのは物心ついたころから知っていたそうだ。親がいないこともその時らしい。ずっと、先生、と呼んできたそうだ。父、と呼んでもよかったのではないか、と尋ねたら、母親と思しき人の顔が浮かんできて、できなかったという。でも、気持ちの上では間違いなく、そのようにバクを慕っているようだった。よく育てたと思う。獏として夢を喰うにも、悪夢を食らうのは辛いらしい。感情も記憶もすべての身の内に引き込むためだ。相当の覚悟をしただろう。
「師匠! 明かりが見えます! たぶん、村です」
「そうか、気をつけて降りてこい!」
ファンの返事が聞こえる。置いていた荷物を持ち、そちらを見やる。流れの旅人をとめてくれるかどうかはわからないが、厩舎でも貸してもらえればいい方だろう。ファンが支度を整えたのを確かめて、ファンが明かりを見た方向へと歩き出す。山を越える街道から、少し谷へ下った辺りだ。
※長袴……ズボンのこと。