白刃の王達
自分の中の青龍の気が揺れた気がして、ファンは先に進むシンに声をかけた。たぶん、もう龍化していられない。また龍化するには、今の不安定な精神を、落ちつかせなければ駄目だ。シンも走りながらこちらを見て、それに気付いたようだった。その足の速度が少し落ちる。
「師匠、構いません、先に」
「行けるか! 狙われている人間が独りになってどうする」
案の定話しているうちに、龍化は解けてしまった。合わせて、シンが龍化を解く。
「ここにいるのが饕餮だけとも限らん。座長の身を思えば急ぎたいが……こればかりは西王の意次第か」
静まりかえる町の中を走り抜け、王宮へ向かう。家々に家人の気配はあるが、皆じっと息をひそめている。町を壊されるようなことがないだけいいが、町に被害がでるようなら、確かに武官たちの言い分のほうに道理が通る。
王宮についたが、もはや衛士に止められることはなかった。中へ駆けこむと、門が閉ざされた。衛士達はこちらの着くのを待っていたらしかった。衛士達、というよりは、おそらく王が。瞬間、上空を薄い光の走るのが見えた。
「封を掛けたか。これはかなり強いな」
中に魔獣を閉ざしこみ、王宮は都から切り離された。中央を走る石畳を掛け、本殿へと向かう。シンが先導するのについて行く形だが、そうでなくても先からはあの堂の前で感じた嫌な空気の、ずっと濃いのが流れてきている。そして、すぐあの巨体が目に入った。本殿へのあがりに座する西王が、それと対峙している。傍には白虎が侍し、先に行った武官たちも左右に分かれてついていた。饕餮が吠えている。
「てめぇが今の西王かぁ? ありがとなぁ、あの封印を解いてくれてよ!」
饕餮が凄んでみせても、西王はなお平然と、薄く笑ったままそれを見ている。
「何、貴様の為にわざわざ解いたわけなかろう。それに、最後の封はかかったままだぞ、わかりきったことだ」
西王の背には一条の長槍があり、月と篝火の灯りに、二色の光が刃に映えた。
「じゃあ、それもてめぇに解かせて終いだ! 餓鬼が、そいつをよこせ!」
「餓鬼とは随分だな。これでも王だぞ、控えろ魔獣め。やらんぞ、これはもうこの国のものだからな。壊すも自由だ」
立ち上がり、長槍を器用にまわしてみせる。止まった刃は饕餮の石像の上でぴたり、と止まる。慌てた饕餮がそれに突進したが、白虎の女性が袖を振ると、西王の前に障壁が生じた。饕餮はそれにぶつかり、不格好に転げた。西王は笑みを深めはしたものの、ただそれを見下ろして、刃を戻した。
「おい、貴様。ここにくるのに、手をいくつ用意してきた? こんな簡単な罠にかかるほどだ、わざとだろう? ええ?」
石像の肩に手をやって、にやり、と笑みながら西王は問うた。怖じるどころか、時に侮りに感じるほどの、余裕の表情だ。饕餮もそれがわかるのか、いたずらに足で、石畳に傷を付けている。
「この石の塊も、そこにいる小僧の身も、俺の首さえ取れると思ってきたのだろう? なぁ、そうだろう?」
西王の言葉にぎり、と饕餮が歯噛みする。王が、本殿の階段をゆっくりと下りる。
「お、おっと、それ以上来てみろ。この体の持ち主は死ぬぜ!」
西王は、一瞬足を止めたが、すぐにまた下り始める。
「おい、いいのか? てめぇが大事にしなければならん民じゃねぇのかぁ?」
「構わん、好きにするがいい。それだけ傷めつけている意味が解らんか? ああ、確かにその男は憐れだな、が、どうした。俺が守るのはこの国無数の民だぞ。比べるまでもなかろうが。それに、そいつを殺したところで、ここにお前の入る器はない」
鋭く風を切る音を立て、くるりと回った刃が饕餮へ向けられる。西王は本殿に白虎を侍させたまま、饕餮に寄る。
「質とは、相手の取られたら困るものを取るものだぞ。そんな曖昧な脅し、東の軟弱にしか通用せん。なぁ、まだ手はあるのだろう? なぁ、おい」
銀に飾られた白い柄の長槍は、月の光に似て、明らかな全貌を晒している。西王の様子を見た、シンが傍らで息をつくのが聞こえた。まだ事態は殆ど動いていないのにも関わらず、この場の空気は。饕餮は爪でがりがりと地を掻いた。
「そんなに見たいなら、見せてやるよ!」
饕餮が腕を振りまわし、西王は軽く後ろに飛んでそれを避けた。
「この封が解けなくても、都の封なんざ俺様にとっちゃねぇようなもんだぜ、西王! その無数の民とやらを守って見せるんだな!」
饕餮が上を向き、高らかに吠える。旅の途中にダオレンがやっていたような遠吠えだ。が、遠ざけていたあの声とは違う。間があって、それに応えるのは都の周り全ての方から聞こえる、別の遠吠えだ。今までに聞いたことのないような、何千という狼の声。
「獣だらけのこの国で、便利な業だなぁ? 先代の王のおかげで、やつらもみんな飢えてると来た! 俺様の力を貸してやったんだ、都の奴らの腹を残らず喰い破っちまえ」
上ずった笑い声をあげ、饕餮はどうだ、と言わんばかりに西王を睨んだ。辺りにこだまする遠吠えは、都の空を覆っている。
「誘われて手の内を見せるな、愚か者め」
西王が鼻で笑うと、饕餮の笑いが止んだ。
「火矢を……いや、いい。丁度いいのがいるな。小僧!」
唐突に声を掛けられて、ファンは慌てて返事をした。
「南のに貰ったろう。上に向けて火を放て、よく絞れよ」
「何を」
饕餮の問いに、西王は笑う。
「その男の素養がしれれば、それに手を打つのも当然だろうが。見ているがいい。ここから出られぬ以上、貴様ができることはない。……おい、小僧、急げよ」
戸惑いながらも、息を整え朱雀化する。辺りで息を飲む音がする。
「出来るか? 落ち着いてやれ」
シンに問われて、ファンはしっかりと頷いてみせた。こちらへ走ってくる饕餮の前にシンが立ちふさがる。
もう一度息を整える。弓を引くように、空を仰ぎ、掌に生じた温かさを放った。南王が、南の地でやったように。火は空を駆け昇って、爆ぜた。
地響きのような音と共に、聞こえていた狼の声に悲鳴のような高い声が混じる。
「餓鬼どもがっ! 何をしたぁ!」
「お前の侮った先代はな、外橋に仕掛けを付けた。動かせば、橋が落ちる。封が効かずとも都が守られるようにな」
西王は続ける。
「毒で殺された、十五代程の前の王。いつか貴様が来たときに、都に害が出ぬよう王宮にこの封を仕込んだ。この石の像を抑える封印は、自ら死した二百代ほど前の王が、代々の王にのみ解けるよう掛けたものだ。俺に至るまでの全ての王が、貴様ひとりと対峙するために手を尽くしてきた。初王の言葉を護りながらな」
饕餮に刃を向け、西王は声を張る。
「だから、問うただろう。お前はいくつ手を用意してきたか、と。三百続く、この国の王達と向きあうだけの手を用意して来たか!」
それは、怒気にも似て、ぴりりと空気を揺るがした。代々の王達は背負わされた業となど戦いはしなかった。ただ一点、いつか来る魔に対してだけ、ずっと永久にも思える時を戦い続けてきたのだ。