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四神獣記  作者: かふぇいん
白の国の章
171/199

揺れる

 王宮の奥、王の執務室の扉が勢い良く開かれる。白い衣を翻し、颯爽と西王は先へと進む。それに従い、紫晶も王に続く。国の大事だ、ここでし損なえば全てが水泡に帰す。だというのに、なぜ。

 どうして、そうも楽しそうなのですか、陛下。少しも怖じずにいられるのです。

 問いたくなる心を飲み下し、紫晶は兄の対峙した魔獣を思った。欲の獣。王達の心を蝕んだこの国一番の災禍。そして、この国を潤す富の(かなめ)。何ごとにも代償が必要だったのだ、だから、兄は。しかし、できるなら私は。

 目の前の若い背を見つめ、紫晶は小さく息をついた。

紫晶(ししょう)! 天秤だ!」

 天秤、と言われて、咄嗟には反応できなかった。聞こえなかったか、と振り返る目は確と、所望のものがこちらの思うもので間違いないことを告げている。この場で、天秤と言えばひとつしかない。初王の残したそれ一つだ。神獣によって守られる神器。

 先代が(まじな)いをかけてしまっていたそれを引きだすと、紫晶は椅子に座した王の目の前に置いた。天秤は少しばかりゆらりと揺れたが、すぐにつり合いをとって止まる。正鵠(せいこく)の天秤は、白の国の要のひとつだ。だが、これは物の重さを量るためのものではない。この天秤が教えるのは、事柄の有無と物事の是非だ。

 全てが金属(かね)で出来た天秤は少しの狂いもなく左右の腕を伸ばし、先に下げられた皿には是と否とがそれぞれ書かれている。

「問うぞ。答えろ、天秤」

 中心で天を指す針が頷くように小さく左右に振れ、ともなって揺れた腕はすぐにぴたりと止まった。この天秤は人の知り得ぬ未来を、過去を知っている。それにこちらが聞きたいことを問うてやって、それに対して天秤は有るか無いかだけを答えるのだ。是か否かで答えられるように問うのが決まりだ。これの腕は二本しかないのだから。

 だが、是と否だけで答えられることなら、天秤は何でも知っている。その物事に対して、有ると、是と思えば天秤は左に傾く。無しと、否と思えば右に傾く。答えはそのどちらかだけで、応答の後、良しと言えば元に戻る。代々の王は有事の際、この天秤にその判断を委ねてきた。そして、神獣もただ一つの問いをこれに委ねてきたのだ。

 紫晶、と西王が振り返り、指の先で扉の方を指す。

「衛士長とシーヤー……いや、武官なら誰でもいい。呼んでこい」

「しかし、陛下……」

「いいから、すぐにだ」

 渋々頷き、扉に向かった。出来ることなら、陛下の傍を離れたくはない。今は有事も有事、建国以来の魔との戦いだ。戦を前にして平然と笑む王だからこそ、傍を離れたくなかったのだ。目を離せば駆けだしていってしまいそうで。

 急ぎの時に限って王宮はやたらに広く感じてしまう。武官の官舎はずっと右手で、衛士の詰め所は王宮の門の方だ。ああ、今こそ四足に戻ってしまいたい。人の足のなんと不便なことか。人間の女という姿のなんと脆弱なことか。与えられた力にたいして、自分がどれほど似つかわしくないか。

 角を曲がったところで丁度、ひとりの武官と衛士長とが話しているところに会った。衛士達の配置についてのことだろうか。ともあれ、これならすぐに戻れる。ほっと息をつき、陛下がお呼びです、とだけ告げた。すぐに、と小走りに出た二人について、紫晶も執務室に向かう。あの天秤に、王は何を問うているのだろうか。

 扉の前に来ると、中から薄いかねのぶつかる音がした。武官が内へ声をかけると、入れと声が返ってくる。西王はやはり、あの天秤の前で出た時と変わらず座っていた。

「何だ、早かったな。途中、もう一つ聞こうと思ったが、まぁいい」

 何と尋ねたのだろうか、大きく左へと傾いた天秤に、良し、と呟き、王は立ち上がる。それに対して武官と衛士長は(ひざまず)く。合わせて紫晶も膝をついたが、王は微かに笑うと、お前はこっちだ、と自らの後ろへと呼んだ。そして、西王は武官に近寄り、言う。

「お前から、武官全てに伝えろ。さっきの命令を実行しろ、とな」

 は、と応ずる声があったが、それには多分に戸惑いがあった。僅かな沈黙と、踏み直した足の擦れる音。それを聞きとって、王は言葉を重ねた。

「いいからやれ。元が丈夫そうだ、大抵のことでは死なん。何かあったところで、責任を取るのは俺だ、お前たちは言われたようにやれ」

 また同じように答えがあったが、今度のそれに迷いはなかった。続いて、西王は衛士長に向き直り、顔を上げるように言った。が、そこで不意にこちらに振り替える。

「紫晶、あの男の獣性がなんだか確かにわかるか」

 問われて、紫晶は答えようとした言葉を飲んだ。ここでそれに答えれば、自分がどういう者かが、衛士長に伝わるだろう。それは、王がこれまで隠させてきたことではないか。じっと見つめ返すと、王は短く息をついた。

「それはもういい。頃合いだ。……で、貴女の眷族か、と問うている。白虎殿」

 その言葉に衛士長の表情が変わる。それを視界の端に認めながら、紫晶は頷いた。

「眷族であるのは、間違いなく。ですが、それが何かかはわかりませぬ」

 答えてやると、そうか、と西王は満足気に笑んだ。

「ならば、当ててやる。――狼だ、どうだ?」

 衛士長、と呼んで、お前はわかるかと西王が続けて問う。衛士長は眉根を寄せ、戸惑った様子でこちらと西王とを見たが、暫時、間をおいて口を開いた。

「一座の子供が、そう言っていたように思いますが……」

 そうか、と応える西王の笑みは絶えず、同時に宵の口の空気を割いて、獣の声が響き渡る。屋の内まで、陶の茶碗や硯の石を鳴らすような大音声。その声を確かめて、西王はこちらへ振り返った。この場に不釣り合いな、無邪気にも思える顔で。

「合っていたな。よし、衛士長。お前に命を下す。良く聞き、良く働け」

 はっ、と張りのある声が返る。何なりと、と続く声に西王が頷く。

「まずは、すぐに使いを走らせ、外橋の衛士に“鍵を開け、合図を待て”と伝えろ」

 外橋の。山々を渡る橋ではなく、谷を越え、都と外とをつなぐ橋だ。

「陛下、何を……」

 小さく上げられた手に、その問いは制された。

「できることは一つだ、迷うまい。合図はそうだな、火矢でも上げるか」

 確かに、と衛士長の声があって、あとは、と西王は続ける。

「まだ王宮内にいるだろう? 一座の人間を捕えろ。いいな、一人残らずだ」

「陛下!」

 こちらが驚いたのと同時、衛士長も応えかけた息を引っ込めた。頼りの長を欠き、またその長が意の外とはいえ都を襲うという、不安の中にある彼らを。

「口出し無用」

 厳しい口調で、その先の言葉を止められた。衛士長と自分とが抱えた言葉を、西王はなぞり、続ける。

「彼らは何もしていない、か? これから何かされたら困るだろうが。場所ならずっと牢が空だろう、入れておけ。子供もだぞ」

 腕を震わせ、衛士長が立ち上がる。都を守る衛士のその長だ、体は明らかに西王よりも大きく、屈強そうに見える。睨むように西王を見据え、声を上げた。

「いくら陛下といえども、その命令には承服しかねる!」

「ならば、お前をここで更迭し、これを聞きうる奴を呼ぶまでだ。いいか、こうしている間にも、この国は魔に犯されつつあるのぞ。俺が今果たそうとするのは、国を、民を守ることだ。それ以外の事柄は受け付けぬし、するつもりもない。お前達への命令も例外なくな。……いいか、衛士長。お前の(めい)はなんだ」

 衛士長の拳がかたく結ばれ、そして、すぐ僅かに緩んだ。

「……仰せのままに。西王陛下!」

「では、もう一度言う。一座の者を捕え、全員を王宮の牢へ入れろ。いつ奴が来てもおかしくないぞ、急げ! 先に言ったことも忘れるなよ」

 返事はなく、踵の鳴る音だけがそれに答えて執務室から出ていった。

「さて。俺に言いたいことは山ほどあろうが、紫晶」

 西王がこちらに振り返る。そして、こちらへとまっすぐに手を述べる。強い瞳がいるように向けられる。

「来い。いくつか行かねばならぬところがある。まだやることは山積みだ」

 その手を取れずに俯く。

「陛下、私は貴方を――」

 この人は強い。この人は鋭い。この人は、それゆえ危うい。それはまるで刃のようだ。だから、恐ろしい。何よりも信の足るこの人が、建国の魔を前にして怯まず王たろうとするこの人が恐ろしい。その手を取るのにこちらの手を出せば、きっと震えているだろう。いつかくるであろうときが、まるで今来てしまったかのような。

「紫晶」

 呼ぶ声に顔を上げる。いつか見たような、儚く揺れる、少年の面影。そして、自分は王たろうとするこの人に、どうしようもなく惹かれている。

「来てくれ。お前がいなければ、何も始まらない」

「御意のままに。我が主――」

 自分の手が示された鍵の束を取り、王は壁に掛けてあった白柄の長槍を取る。そして、足音は二人分、揃って執務室を出た。

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