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四神獣記  作者: かふぇいん
白の国の章
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若き者の音(2)

 遠く明けの音が聞こえてきて、シンははっと顔を上げた。数局打ったら帰ろうと思っていたのが、もう朝になっていたのか。対面の西王もそれに気づいたらしく、ぐっと伸びをして、やめるか、と呟いた。傍で給仕をしながら控えていた蓐収が窓を空けると、冷えた空気が足元を這った。

神域を出でて後、西王は夕餉を居室に運びこませてまで、棋戯を続けた。相手をするシンもあと一局、あと一局と思ううちに酒を出されてそのまま付き合っていたのだった。西王は飲まなかったが、こちらも別段酔うこともないので、棋戯はほぼ休むことなく続いた。腕はそこそこ、打って浅い王と久方ぶりのこちらが丁度つり合って、勝ち負けはほぼ同じ数だったろう。

打つ間、西王は今国として取りかかろうとすることをぽつりぽつりと口にした。何でも黒の国の王とは、頻繁に連絡を取っているらしかった。西には腕の良い技師もそれに取り組む材料も、凶荒以前から揃っている。だが、技術はあってもそれをどう使うかの知識は北の方が格段に有しているのだった。いくつか思案していることがあるが、それを実現するだけの知が欲しいのだという。神域に入ったときに話していたのは、物の輸送に関わることだった。馬よりも早く、場所を問わず、物や人を動かす事が出来ないか、西王はそれを求めている。他にもいくつか、自ら見てきたものから、国を富ますための方策を練っているという。それまでささやかにとはいえ政治に関わっていたシンにとって、西王の策は突飛と言えば突飛だった。だが、確かに実際に見てきた者にしか気付けぬ、困窮の元へと向けられた合理的で実のあるものばかりだ。日中、王宮を離れて出歩くのも、それらの進みを自分の目で確かめるためらしい。

「官共がうるさく言わねばもう少しできるがな」

 そう、西王は口惜しげに言ったが、それでも殆どの施策は動いているらしい。

「古い古いと言っても奴らのほうがよほど(まつりごと)を知っている」

 西王の言葉を聞く蓐収が、終始楽しそうに笑んでいたのが印象的だった。そういえば彼女は、それまで人里から離れて獣として静かな生を送っていたはずだ。それが一転、今は最も人間たる者の傍にいる。人の間に死した兄の記憶を持って。棋戯の間にふと思い出し、シンはその微笑を喜ばしく、そして、どこか羨ましく思ったのだった。

 部屋の端へと棋盤を退け、西王は立ち上がった。

「夜明かしするつもりはなかったが、まぁいい。棋戯は楽しめたぞ、青龍。長く付き合わせてすまなかったな。あのつまらん話は次にはもう少し面白くしておけよ」

 こちらも立ち上がって、蓐収の開けた扉から廊下へと出る。もう既に官が動いているようだった。こちらを見る官の目は、確かにこちらを気にしているようだったが、別段言もなく素知らぬ風で過ぎていった。

「そういえば、西王。蓐収のことをこうして使って、官に何か言われないか」

 問うと、西王はふん、と鼻を鳴らして応えた。

「気に入りの女官だと言ってある。まぁ、気付いて何か言う奴もいたが、神をどうだのと理由が下らんから突っ撥ねてやった」

「流石、気鋭の西王陛下は他とは違う」

 そう笑って応えると、当然だ、と西王は凛と応えた。

「しばらくこの町にいるつもりでいる。貴下の呼んだ一座と懇意になったものでな、西の新たな舞を見てから発とうと思う」

 好きにするがいい、と素っ気なく短い返事が返ってきたが、慣れるとその態度も別段不快ではなかった。夕餉と美酒の礼をいい、シンは大門の方へと足を向けた。

若き王と神獣に見送られて、王宮を出る。ファンは先に寝たとは思うが、きっと心配させたに違いない。目が覚める前に宿へ着けばいいが、目が覚めたときに居なかったら不安になるだろう。朝鐘が鳴ったとはいえ、山間の都はまだ暗い。町中まで深く立ちこめる霧の間をシンは急ぎ足で過ぎた。


 遠ざかる東国の神獣の背を見つめ、蓐収は呟いた。

「兄の記憶を以てしてもまだわからないのです。初めの王を失うことがどれほど大きなことなのか」

 傍らの白衣(しらえ)の若者は僅かに首をこちらに向ける。頼もしくも心細くも見えるその背は、時折寂しげに揺れる。そう言う時に振り返って見せる顔は、実際の年よりもずっと幼く見えるのだ。いつも、老巧なる官たちに囲まれながら、擦れたふうに檄を飛ばしている顔とは別人のように見えるのだ。

「考えても仕方ないだろうが」

 王の短い応えに、そうですね、と同じように頷いてみせる。しかし。

「私も、貴方を失えばあれだけ弱るのでしょうか。いえ、私は貴方を、必ず失わなければなりません。兄がこれまで王を失ってきたように」

 かつての神獣が死んだとて王が絶えたわけでも、まして国が絶えたわけでもない。だから、白虎に課された務めはまだ続いているのだ。いつになるだろう。数年では早い、数十年はあるだろうか。しかし、百年(ももとせ)を待つことなく、その日は必ず訪れるだろう。

 まだ歴代の王の聖所には参ることができなかった。兄も死す直前まで、王宮の一角にあるそこには近寄らなかった。否、近寄れなかった。自ら手にかけた者の墓に参るなど、できようはずもない。そちらから風が吹くだけで、何か聞こえやしないかと耳をふさぎたくなる。

「紫晶、お前は弱っている暇などないぞ。俺が死のうがその先も国はある」

 沈黙をもって、その言葉に応える。ああ、そうだ。兄は弱りなどしていなかった。ただひたすらに、初王の言葉、それだけを守ろうとしていた。国を守る神として、主に従う獣として。兄が残した記憶の、そこに乗せられた思いはまだ読み解くに時間が必要だ。いずれ兄と同じようになれば、わかるものなのか。

 俯いていると、襟首の辺りを掴まれ、ぐいと引き寄せられた。微かに感じた乱暴に、反射的に体がこわばる。引き寄せられるままに額が辿りついたのは、白衣と焼けた首筋が際立つ、鎖骨の上。しなやかな皮膚の下にしっかりとした骨と若い肉と、確かな鼓動があるのを感じた。

「腑抜けてくれるな、紫晶。王権を祟り、この身についた貪婪(たんらん)の呪いもきっとなんとかして見せる。俺は、王という名の囚人(めしうど)にただ成り下がったつもりはないぞ。必ず、必ずなんとかして見せる。だから、安心しろ」

 下に向けられたままの頭では、上にある表情を窺いようがなかった。でも、見えないほうが良かった。自分の今の表情も、あまり見られたいものでなかったから。

「必ず、でございますね、陛下。その盟は、必ずや果たしてくださいまし」

 ああ、きっと。自分はこの人を失えば、大いに弱るだろう。それを退けて、兄のように絶えまない風雪に耐えていけるのか。青龍を殴ることなど、本来出来ようはずもなかった。神獣でありながら、まだ神獣たることがままならない自分には。

 心の内を知ってか知らずか。王は繰り返す、必ず、と。確かなその身を通して、言葉が伝わる。耳に肌に届く鼓動は何を語り得るか。

「だから」

 西王が一層、こちらの頭を抱き寄せて、言う。

「だから、お前は俺から離れてくれるな。傍にいてくれ、紫晶」

 応えは言葉にならなかった。ただ、頷くように額を胸に寄せるしかできなかったのだ。

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