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四神獣記  作者: かふぇいん
白の国の章
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忘却と責と

「初王の命を守れなかった故に」

 蓐収の問いに、シンはとりあえずと短く応えた。

 知らず知らずに病んできたのだ。一万年もの昔から、ただ一つの事だけが胸に残っていた。そして、ずっと忘れようとしてきた。忘却の海の底に沈めたはずのものでも、やはりことあるごとに岸に流れ着いて、戻ってきてしまう。その都度、もっと遠くへ、もっと深くへと投げ返しても、いずれはこうして手元へ帰ってくる。

「俺はもう、俺自身が許せない。魔獣を倒すよりも、何よりも神獣は初王の身を守らねばならなかったのに、俺はそれを成せなかった。魔獣たちすら手を焼いた獣を神獣と成し、他の命と生きる術を教えてくれたのは、木王陛下その人だ。ただ一つ、陛下を守れなかったことが、悔しく許せない。ただ一人の王すら守れない獣であって、そして、それに心囚われてしまっている俺だから、もう青龍であってはならないと思う。国の主ではいられない」

 西王は不機嫌そうに、鼻を鳴らしてそれに応えた。蓐収は黙っていたが、応えるための言葉を探しているように見えた。

「まず天のことを置いておいても、そういうよくわからん、お前の都合以外に理由は? ただ、出来るできない、やりたいやりたくないで務める仕事でないのはわかるだろうが。今のところの支障はあるのか」

「俺から国へ力が回らん。今は、聖樹と鏡の術で代わりにしているが、国へ戻ればまた俺の状態が国を揺する」

「実害もあり、か」

 西王が呟き、座りをさらに崩す。気に入らん、と思っているのは見てわかった。

「ただその人が忘れられないが故に、ですか」

 小さな声で、蓐収が問う。静かな声だが、水面下の渦を思わせる声音だった。シンは頷いた。きっと、彼女にも自身の兄の記憶が継がれているのだろう。四方代々の王達が、初王の記憶を継いでいくように、力と共におそらく先代の白虎の記憶を継いだはずだ。何を見聞きし、思ったか、つまりは、先代の死すまでの思いもまるで自身の事のように思い出せるはずなのだ。

 だというのに、自分は。

「ああ。そして、矛盾するようだがな。大恩ある木王陛下のことも、あれだけの戦いのことだというのに、細かなことがすべて抜け落ちているのだ。誰がいて、結果どうなったかだけがおぼろげにあって、その他何が起きて、何を語り……何を思っていたのかも。木王陛下のいまわの言葉も何から守れず死なせたのかも、抜けたように忘れてしまった。殆どを忘れてしまったのに、ただ守れなかった、という記憶ばかりが刺さって残っている。ここまできてようやくわかった。俺は一万年前から、稚児のようにそれにぐずっていたのだと」

 遠ざかるほど記憶がぼやけていくのも、薄れていくのも常のことだが、あの始まりの記憶だけはその常にあってはならないのだ。忘れることは国というものから遠ざかるということ。否、いまわの言葉も死せる理由も、覚えていたらきっと辛いことばかりだ。失われている記憶は初王と関わるものばかり、忘れさせられているのか、自ら強いて忘れたのかはわからないが、忘れるべくして忘れているのかもしれない。そして、それを責めるように、今上が現れたのだと思った。この現状を象徴するような姿で。

「今の陛下は、初王の記憶を持たれず、だと言うのに、木王陛下と同じ姿形で、登極から十数年少しも姿を変えずにいらっしゃる。まるで、俺の記憶を映したように」

 あの少女の姿のまま、少しも姿を変えず、歳をとらず、王としてい続ける今の青の国の主は、静かにだが東の地の異変を示しているのではないか。王が変わらぬとしたら、自分に――神獣にその責があるのではないか。

 黙し、聖山越しに遥か東の地の聖樹を思う。変わらぬのは、聖樹の枝ぶりばかりだ。そこで、それまで殆ど語らず、控えていた蓐収が口を開いた。深い色の瞳が、燃えるように輝く。

「王が何故短命かは、知っていますね、青龍。いくら善き魂を持つと言っても、所詮長命の者には短命の者のことなどはかれません。短命の民の為の世だからこそ、王も短命でなくてはならないのです。それを長命の聖獣や化生の官が支える。それでようやく善い国が続けられるか、という推量です。

 たしかに、陛下がかつて見たという王と、今の東の王が少しも変わりないと聞いた時、東の地にも何や天変がありうるやと思いました。しかし、それを自身の心の揺れと結ぶのはいけません。それはただ、自身の心の弱るのを王に故を押し付けているだけでしょう。

 たくさんの王に仕え、国を維持する。それが神獣の役です。だというのに、あなたはただ一人の王の死に耐えられぬと言うのですか? そして、他の王の死は耐えられると? 分け隔てなく多くの死に耐えることこそ、長命の者の負った定め。重く背負わず、軽くあしらわず、命の行く末を見ていかねばならないはずです。

 青龍、あなたは知っていますね。先代は遥か初王より、王殺しの命を負いました。それはあの戦いの後に饕餮(とうてつ)の呪いを喰ったこの国を、守るための厳しく、重要な責でした。王に異変ありしとき、王が国に仇なす前に討つ。それは神獣であり、何よりも忠を重んじた兄にしか出来ぬこと。これまでの全ての王を(しい)し、心を砕きながらも耐えてきました。いえ、この先もまだ耐えねばならなかった。

 兄の見た記憶が確かなら、今の王から初王を強く思ってしまうのは詮無き事、ですが、それに心囚われて自国を滅ぼすと言うなら、私はあなたをここから帰すわけにはいきません。これは国を揺るがした先代の罪を(あがな)うためであり、西の地を立て直さねばならぬ白虎としての意です」

 黙していたのは、自らの意をまとめるためか。まっすぐにこちらを見つめ、咎め説くように、蓐収は語った。眼差しは、先代と変わらず強い覚悟と意志を帯びていた。

「国を滅ぼすために青龍を返すというのではない、病んだ獣を据えていれば国が倒れると思った故だ」

 勢いの出ぬままに応えて返すと、傍らの白虎の言葉を聞いていた西王が立ち上がり、声を上げた。

「貴様はこの旅で何を見た! 俺は見たぞ、飢えで死ぬ子供も、病に倒れる老人も、奢侈(しゃし)に溺れる大人も。そして、ただ一柱の神獣の為に、死んでいく民を。たくさんの民が死んでも、それでも世界は揺るがぬ。下らぬと思わんか。だが、滅べばよいとすら思った世界にも、守らねばならぬものを見た。だから、俺はこの命を受けたのだ! 貴様が守るという世界はどうなんだ。億の民の命でも変わらぬ世界を、一人の王とお前の命で壊そうと言うのか!」

 先代の白虎が死して、次代が就くまで二十年ばかり。長き暦の上では、僅かな時だが人にとっては遥けし時だ。元々、良い言葉はないと思っていたが、返す言葉はない。

 顔を上げるとかねの柱に映る自分が見えた。驚くまでもなく当然なのに、弱々しく映る自分が、まるで他の者のように見えたのだった。

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