白砂の間
どこまでも続くような、白い砂利の敷かれた清廉な空間。ダオレン達が玉座の間に入るとき、ここで待つように通された。天からの力が配される、西の神域だ。東の地に聖樹が在り、南の地に聖火が燃ゆるように、西の地にも国の要石たる天の造物がある。西の地はかねの柱だ。地下の鉱床が伸びたような六角の柱の集まりが、白い空間の真ん中に据えられている。所々で伸びる細いそれは竹のように、中央で集まって据わるそれは白い海原に現れた島のように、白い砂地を分けて立つ。岩山のように見えるからとかねの柱は聖山と呼ばれた。実際に、この空中の楼閣のような都を支えるのがこの柱だという。
シンは腰に帯びていた剣を外し、中央の柱の前に座した。剣を捧げるように置いて、静かに黙祷する。御陵がない、となれば、ここが彼の魂に一番近いように思ったからだった。忠義と矜持の塊のようだった、気骨ある男神の。
「安らかにあれ、蓐収。自刃を選んだのは、やはりその性分のせいかな」
シンは呟いた。
自分にも他人にも常に厳しく、曲がったことを嫌った。それでいながら、命には忠実。自らの死ですら、天や王に許されなければ死なぬとすら思ったのに。
「兄は、何を思った。ただ辛いからとて、軽々しく死ぬような御仁でなかったのは、知っているが」
静かな問いに、聖山は答えない。俯けていた頭を下げ、剣を佩き直す。西の前王の崩御と白虎の登霞はすぐさま他方の王や神獣へ伝わった。報せの鳥が東王宮に舞い込む前に、魂を揺すり、心を貫くような悲しい音がそれぞれの身に響いたのだ。シンも現王と共にすぐさま、救難の手を出した。白の国から最も遠い東の地にすら、二度も天嶮を越えた民が流れてきた。南や北には新王が当極した今も西よりの民が残っているという。
「待たせたな、青龍。感謝しろ、この部屋ならば弟子はおろか、臣下の誰も入らぬ。……砂は掻くな、血が残っているか知らぬぞ」
冗談だろうが、笑んで応えることはできなかった。迎えるために立ちあがったシンに座るよういい、自身は聖山の前にどっかりと腰を下ろした。
続けて入ってきた蓐収――先代白虎の妹であり今の白虎である女が、その横で元の姿に戻る。白い流れるような毛並みの、美しい白い虎だ。雄々しく勇壮であったかつての白虎に比べ、多少小柄であるとはいえ優美ながら壮麗たる巨躯だ。王は紫晶と呼んでいたか、瞳は確かに宝玉のような美しい深紫だった。白虎は尾で聖山を撫で、その横に体を横たえた。
「旅の間、国から金を貰っているだろう」
「ああ、必要な分は」
問われて、シンは頷き応えた。
「あとは書状くらいか?」
更に問われて、シンは頷いた。水盆鏡は、話をするためのもの。元より物を届けるためのものではないから、書状や金子などが送れる限度だ。
「いやな、北の王に、もっと大きなものは送れぬか、と聞いているが、好い返事がなくてな。美徳か知らぬが黙ってばかりだ」
人が送れるくらいがいいが、と続けて呟き、さて、と膝を打った。
「話してもらうぞ、青龍。何のようだ、国を捨てたか」
挑戦的な笑みを残したまま、西王は問うた。何を言いだすか、と楽しんでいるような節もある。きっと、彼にとっては気に入らぬ話だろうと思いながらも、シンは西の王と神獣を交互に見やって、口を開いた。
「さっき、貴下がおっしゃられたな、耄碌した、と。そう言われればそれも真だ。用というのは他でもない。もう俺では青龍の役を務めきれん故、近くこの力を天に返そうと思う」
王と白虎は揃って眉を寄せた。何より白虎の表情は暗く曇る。
「国護の任を捨て、死のうというのか」
「……力を放して死するというなら、それも腹の内にある。だが、ただ返すと言ってもな、この身はこれでも神獣、その座が空けば国は揺らぐ」
長い目で見ればしばしばある王の空位よりも、神獣の不在は祟る。彼らにとってこの言葉はどこの国よりも身近であって、看過できぬものだと思う。
「なるほど、今度は東が荒れるから、佑助の手を出せというか」
変わらぬ声音でそう西王は応えた。座する膝の上に肘をつき、こちらを見据えている。風はないが、傍らの白虎の髭がそよいでいるように見える。
「断る。そんなもの貴様が変に動かねば済む話だろうが。青龍の役を務められん、だと? そう思っても放っておけ。天が貴様を不適だと思えば、断る間もなく青龍を別に据えるだろうよ。天は勝手なことを嫌うようだからな」
つまらんと言わんばかりに、西王はため息をついた。そっぽを向いた若すぎる王の、その横顔はひどく幼く見えた。二十歳にもならないだろうその男を前に見たのは、東王宮でだ。王宮に忍び込んだと、衛士に捕えられた痩せた子供。王や、面白いから来いと呼ばれたシンを前にしても、怯むことなくこちらを鋭く睨んでいた。恨みや憎しみはあっても、その眼はただただまっすぐだった。どこから来て、何をしにきた、と問うたのはこちらが初め。その問いに子供は、西から来て、ただ王の顔を身に来た、とだけ言った。そのときは、別段害もなかろうと飯を与えて追い返したのだったが。それが、こうして王となるとは。そして、同じ問いが今こちらへと投げられている。再び息をつき、西王は続ける。
「この国はな、何もかもが天の意の中になければならないのだろう。抗ったのが、この国だ。天の断りなしに事を起こせば、必ずそれに対して裁が下る。生き死にすらも天のうちだ。俺はな、青龍。主が欠けただけで、国がこうも荒れるとは思わん。天の信を曲げて、勝手に死を選んだからこそ西は酷い時を過ごした」
「天が、国を荒らしたというのか?」
問うたが、さすがに西王はそれ以上答えなかった。頷けば不遜、だが、それでもなお頷くような気配が王からはした。
「天の動きを待つ、か。待ったよ、それこそ千で足らぬほどの年を。が、答えはなかった。ここ数十年この身が弱るばかりで、ようやく動いたかと思えば、それも別の意があってのことのようだ」
もう、待てぬ。西王が目に見えて天への不満を抱えるように、シンもずっと、ささやかにでも天への不信を抱えていた。天は、国の為でなく何か別の意を持っているのではないか、と。そして、それはファンのことで確証に近づきつつあったのだ。西の道の中で、シンは自身の弱化の原因がわかった。白虎が口を開く。
「何故です」
まだわからぬこともある。だが、答えねばなるまい。シンは腰の剣を、ぎゅっと握りしめた。