帰る場所
西都は南北に伸びた楕円状の深くくぼんだ谷に、そそり立ついくつかの山を基盤に街を成している。先のとがった山を途中で切り均したような形で、その上に家々が並び、一部は岩山を掘りこんで住居や工房がつくられている。町の入り口である大手門とそこへ架かる一番大きな吊り橋、そして王宮を含む街の中枢を抱えるのが、谷の中心にある山だ。道を尋ねて聞いた限り、町の人はここを本山と呼んでいるらしい。本山にある町だから王宮のある町は本山町と呼ばれている。そこから放射状に比較的大きな吊り橋がかかり、周囲にある他の山へと道が続く。南から続き、南西から都へ入る街道は本山を通り、西の離れ山から北西へと抜ける。荷馬車が通れそうなのはそこにあるつり橋くらいで、馬も高さを恐れるからか街の中には厩が見当たらなかった。
本山の西の端、兌山と呼ばれる西の離れ山へ向かう橋の手前の広場に一座のみんなは集まっていた。小さな焚火を囲んで、荷馬車の横に身を寄せ合って座っている。声をかけると、皆は少し驚いた顔をしたが、すぐに火の近くに迎え入れてくれた。
「どうしたんだ、ファン。一人か? シン兄さんは?」
小刀使いの青年が、火にかけてある鉄瓶から茶を空き茶碗に注いで寄こした。同じく差し出された問いに応えながら、ファンは温かい茶椀を手で包みこんだ。
「師匠は王様と話があるって、遅くなるらしいんだ。途中でダオレン達に会ったら、みんながここにいるって。一人で待つのも寂しいから来たんだよ」
応えると、皆はそうかそうか、と頬を緩めた。無造作に入れられた茶でも、火の温かさを感じられれば、その香りもひと際快いものだ。
「火はこれ以上焚けないのかな」
呟くと、若手たちが苦い顔をしながら、橋のたもとにいる衛士達を指した。
「ダオレン達が戻らないと、俺達はまだ流人扱いさ。これもちび達が冷えるからって、粘ってなんとか許してもらったのさ。薪だって俺達のもんだし、これだけ離れて家が燃えるかってんだ、けちだよな、まったく」
相槌を打ち、橋のたもとを見やった。衛士達は絶えずこちらに視線を送っている。町の風水を掛けてしまったから、彼らは今内側で何やら起こりはしないかと気を揉んでいるんだろう。離れていても、ぴりぴりしているのがしぐさから見てわかる。
「ダオレン達はおれと入れ替わりに入ったから、たぶんもうすぐ戻ると思うけどなぁ。……そういえば、ちびは?」
問うと、火の向こう側であの綱渡りの曲芸をしていた少女が小さく手招きして、自分の膝の上を指した。ちびはどうやら眠っているらしい。
「さっきまで、ダオレン達とお城に行くって聞かなくてさ。さんざん泣いて、今やっと疲れて寝たところ」
少女はちびの髪が鼻にかかるのを避けてやりながら、言う。
「ユーリーは明日にもちびの両親を捜そうって言ってるけど、あたしはあんまり気が進まないんだ。ううん、できるならお父さんお母さんと一緒にいる方がずっといいと思うよ。でも、あたしみたいに捨てられた子だったら、帰る場所はもうないと思う」
少女の言葉に、他の子や若手が何人か頷く。悲しそうな顔がいくつかある。皆、同じような昔があるのだろう。
「もし、親が見つかったとして、俺達がここを離れたあとにもう一度捨てられないとも限らないんだよな。そうしたら、今度こそちびは死んじまう。だったら、このまま俺達と一緒にいた方がいい。俺達だって、一座に拾われたのは運が良かったからだ」
よく馬の世話をしている青年がそう言って、茶の器を差し出した。火の近くにいた子がそれにおかわりを次いで、鉄瓶を元に戻す。火はもう炭火のようになっていて、谷からの夜風が随分と冷えた。皆の間でしんみりとした沈黙が漂う。
「おれは、それでも親を探したほうがいいと思う」
次いでもらった茶を飲み干し、器に残った温かさを掌で確かめながら、ファンは口を開いた。
「みんながいるんだ。もし親が見つかったら、みんなで見ればいい、話を聞けばいい。ちびが残るかどうかは、きっとそれからでも遅くないよ。まず、いるなら会えるほうがいい。おれは、生まれた時に父さんも母さんも死んでしまったし、みんなにとっての一座のように、これまで大切に育ててくれた人がいる。だから、特別寂しいということはなかったけれど、御柱で幻だとしても会えたとき、すごく嬉しかったんだ」
頷くように、応える息の音がある。皆の目が優しく、小さく寝息を立てるちびに注がれる。皆の頷きに応えて、一座で一番活発な少年が声を上げる。
「よし! じゃあ、もしちびが一座に残ることになったら、今度はちゃんと入ったお祝いしようぜ!」
それがいい、という賛同する声があがる。話が一息つくと、誰かが遠くにダオレン達の姿を見とめたらしい。やっと来た、と安堵した声が漏れる。
「今日は屋根のあるところに泊まれるかな。この時期の西は寒いよ」
子供たちが腕の辺りを擦りながら、火のほうへと寄る。
「ま、ちびが一緒に行くなら、泣かなくてもお城にも寄れるんだけどな。俺達も上演の前に昇化の礼をあげに王宮に行くんだろうし」
「昇化の礼を?」
ファンが問うと、あの少女が得意げに笑って答える。
「あたしが獣人なの、もう知ってるでしょ? 今の王様が就いたばっかりのころ、あたしは礼を上げて、猫の獣人になったの。ダオレンはもちろんだし、ユーリーも兄達の何人かも獣人だよ」
「せっかく四方を回るんだし、獣人がいる方が旅の道は安全さ。ま、ダオレンが居れば、戦うこともないけどなー」
そう若手が答えるころには、ダオレン達が近くに戻ってきていた。自分の名前が出たのが聞こえただろう、不思議そうな顔をしている。ファンは少なからず驚いた。彼らはこれまでに会った獣人たちとは違って、獣化に対して責や命をあまり感じていないように思えたからだ。
「何のために?」
我ながら呆れた質問をしたと、ファンは言ってから思った。何も思わず、覚えずに獣人になったわけがないのだ。傍に寄って、何の話をしているかわかったらしいダオレンが、かっかと笑いながら応える。
「他の偉い獣人たちに比べりゃ、俺らは呑気に見えるかもしれないけどな、ただ無駄に力持ってるわけじゃねぇんだ。出た先で村を襲う野盗が出れば戦うし、生まれた国以外で獣化する術を編み出したのは俺達のずっと先代さ。それに、俺らが芸をすりゃあ、誰かが喜ぶ。それに少しでも役立つなら獣化だって必要さ」
芸こそ我らが命なれば、と誰かが呟く。それに応えて、皆が同じ言葉を唱和する。どこかで聞いたと思ったら、前の町で聞いた一座の歌にそういう節があったことを思いだした。集まった一座の仲間を見回して、ダオレンは声を張った。
「西王陛下から、宿と上演の許可を貰った。が、新しい舞の披露は七夜の後、と言われてな。急いで、だが、いっとう良いやつを作らにゃならん。他の芸もやるんだ、気を締めてかかるぞ!」
おう、と皆の声が宵に響き渡る。で、宿は、と尋ねる声に、ダオレンはにやりと笑って言う。
「すげぇぞ。王宮の中の宿舎を使っていいんだとよ。根なし草の俺達が、一時とはいえ王宮住まいだ!」
歓声が上がる。若手から子供たちまで揃って、はしゃぐなかにユーリーがあきれ顔でため息をつく。
「明日の夜から、でしょ? 今日はここで野営、火は使っていいそうだけど、町中では大騒ぎしないようにって言われたんだから」
皆の動きがぴたりと止まって、嘆息が聞こえた。皆がしぶしぶ野営の準備を始めた中、ユーリーはこちらに向かって微笑んだ。
「今日の私たちはいつも通りよ、だから、あなたもこれまでと同じようにゆっくりしていってね」
ファンは頷く。なんだかんだ言いながらも、夕飯の支度をする皆は楽しそうだ。ちびがその騒ぎに目を覚まし、目をこすっている。たとえ、元の家族に戻れなくても、ちびはきっと、寂しい思いをすることはないだろう。皆が帰る場所を作ってくれるから。