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四神獣記  作者: かふぇいん
白の国の章
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夢病み

 海からの狭霧は平地を山へと駆けていく。借りた夜具に微かに重みを感じてファンは目を覚ました。布の上とはいえ地面で寝たからだろうか、手足に軋むような痛みがある。まだ辺りは暗いが、きっともう朝だ。いつもは町で鐘の音があるが、外にあっては夜明けの手掛かりが少ない。それでも鳥の声は朝を告げている。高く行く鳥には朝日が見えるのだろう。

 周りの子供たちはまだ小さく寝息を立てている。少し離れたところにいるシンはこちらに背を向けていて、顔はわからない。ちゃんとよく眠れているだろうか。大丈夫だ、と繰り返しはするが、その顔に浮かぶ疲弊の色に気付かないわけがない。旅の道、弟子は師の顔をずっと見てきた。人の為に無理をしても、己の身を後にまわす。そういう人の顔は、生まれた時から見てきたからわかる。

 冷え冷えとした夜の名残の中に体を起こし、ぐっと伸びをする。焚火はすっかり灰がちになっていて、残る火も星のような散らばりでしかない。火のそばでは、ダオレンが座ったまま寝ていた。吹き寄せる風はひやりと冷たい。皆起きたら、火にあたった方がいい。まだ温かくなるまで時間がかかるだろうから。ふうと焚火を吹くと、灰が舞って顔にまでかかった。

 それから数日。白の国の道を西都に向かって北上している。西都は高い岩山の中にあるらしい。さらに町をいくつか過ぎた頃、そこへ向かう街道の勾配もきつくなり、皆は荷馬車から降りて歩くことになった。ちびや他の小さい子は乗っているが、他の皆は馬の負担を減らすために担げる荷をそれぞれに負っている。ファンも衣装の入った袋を、手伝って背負った。

「ファン、飲み水は残っているか?」

「充分に。……大丈夫ですか? 師匠」

「ああ、今日は少し喉が渇く」

平気な風な答えが返ってきたが、変わらずシンの顔色はあまり良くない。ファンは水筒を手渡し、持っていて欲しい、と告げた。本人は元気だと言うが、もうファン以外にもそれを心配する者が出てきた。以前シンは、自分は病気とは無縁の体だ、と言ったが、いくら神獣の体で、人より気の巡りに優れても、生きている限りは何もなしとはきっといかないはずだ。もし、具合が悪いなら、一座を離れてもどこかで休ませたい。シンの様子を見ていると、ふと別からの視線に気付いた。大きな荷を負い、しんがりとして歩くダオレンのものだ。見返すと、ダオレンは深く頷いた。シンのことだろう。ちょうど、山道の途中、沢の音のする開けた場所に出たところだ。

「よし、ここらで休むぞ。ここなら車が下に転がる心配もねぇしな。水も近い」

 ダオレンが、一座全体へと声を張る。子供たちがわっと、草地の方へ駆けていって荷を下ろして座り込んだ。皆も旅慣れた様子ではあっても、勾配と荷物が一度に二つでは辛い。止められた荷馬車の車輪にもたれて、シンが座り込む。剣を支えにして、前にのめる。ファンは再び、ダオレンの方を見やった。そして、顔を見合わせ、頷く。

「……おい、兄ちゃん。具合悪いんだろ、前の荷馬車が少し空いてる。横になったほうがいいぜ」

「いや、充分に歩ける。問題は」

「ねぇわけねぇさ。人一倍鈍い俺が気付いてんだ。兄ちゃん、倒れる寸前って顔してるぜ。頼むから、少しでも寝てくれ」

 シンは傍に立つダオレンを見あげて、難しい顔をして黙り込んだ。その手が、夙風を握りしめる。

「邪魔になるなら、置いて行ってくれて構わんぞ。西都も近い、すぐに追いつく」

 答えたその声には、微かな苛立ちが込められていた。ファンははっとしてダオレンの方を見やった。さすがに少しばかり腹を立てた顔だ。何か言いたげに唇がふれている。ファンはシンにすがるように、その間に割り込んだ。

「おれが頼んだんです、師匠。邪魔だからじゃありません、これからも旅を続けるのに――道はまだ半分なのに、倒れるわけにはいかないじゃないですか。師匠のことですから、きっと少し休めば随分楽になりますよ。お願いします」

 シンはやはりさっきと同じ顔をして、こちらを見ていたがしばらくしてふっとその表情を緩めた。夙風を支えに立ちあがり、小さく息をつく。

「すまないな。なら、少し厚意に甘えさせてもらおう。一刻ばかりで構わん、起こしてくれ」

 シンの様子に、はしゃいでいた子供たちが心配げに視線を向ける。シンは微笑み、大丈夫だ、と応えた。幌を閉ざし、その向こうにシンは入っていった。ファンはダオレンに礼を言ったが、ダオレンはただ、何もしてねぇさ、と笑った。

 出発して、再び西都までの山道を登る。ファンは少しだけ足を速めて、シンが休んでいる荷馬車の横についた。シンのこの状態が、疲れや病気でないのはわかっているが、今はこの眠りでその体が、心が少しでも休まるといい。

 夕刻、街道から少し逸れた山間の林に一座は野営を張った。子供たちは、ダオレンと山の中に薪を取りに行っていて、残った幾人かは夕餉の支度をしている。ファンは残って馬の世話を預かって、まず止められた荷馬車に寄った。シンを起こすためだ。

「師匠、そろそろ夕餉……」

 幌をくぐろうとして、ファンは呻くような声に気付いた。寝言だろうか。そっとシンの顔を覗き込むと、表情は苦悶そのものだった。夢を、見ているのだろうか。薄く開いた唇が動き、零れるように言葉が出る。

「シェ……ラン」

 切なそうに、眉根が寄せられる。

「すまない、すまない……!」

 誰かへの深い謝罪の言。うなされながらも、シンは幾度もそれを繰り返した。まだシンは辛そうだが、躊躇いながらもファンは起こそうと手を伸ばした。きっと、この夢がシンの心を食うのだろう。父母の夢がかつて自分の心を食ったように。過去の夢がすがりつくから、今の歩みが重くなる。

「師匠、師匠!」

 ぱっとその目が開き、弾けるようにシンが体を起こした。ぐっと深く覗き込んでいたから、急に起き上がるのを避けられなかった。

「でっ!」

 したたかに額同士をぶつけて、しばし二人揃って悶絶する。そして、互いの顔を見合わせて、ぷっと吹き出した。ぶつけたところがじんわり赤い。

「おはようございます、師匠。具合はどうですか」

「あまり変わらんが、目は覚めたよ。……もう夜なのか? すぐに起こしてくれて構わんと言ったのに」

 シンは幌の向こうの暗さを見て、ふうと息を吐いた。

「みんな上るのに必死で。明日の昼には、西都へ着くそうですよ。もうすぐ夕餉です」

 そうか、と応えて、シンはさきに荷馬車の外に出た。ぐっと伸びをして、中に残るこちらに振り返る。

「ファン、紐か何か持っていないか?」

「あ、結い紐で良ければ!」

ファンは外に飛び出て、置いてあった自分の荷から旅に出た頃の結い紐を引き出した。赤の国で変えてから、使っていなかったものだ。渡すと、シンは夙風の鞘と剣とをそれでぎゅっと結わえた。そして、口元に柄を寄せ、何ごとか呟く。

「ずっと同じ夢を見ているんだが、これが騒ぎだしてから少し酷くてな。これで多少は和らぐか。使わんから、これでいいだろう」

 再び、腰にそれを帯び、シンは大きくなり始めた火の方へ歩き出す。

「座長に少し当たってしまった、謝らなければ」

 子供たちと薪を抱えて戻ってきたダオレンを見て、シンは申し訳なさそうに頬をかいた。そちらへと歩いていくシンを、ファンはふと呼びとめる。

「あの、師匠。……シェランさんってどなたですか?」

 驚いた顔で、シンが振り返る。

「……俺が言っていたのか?」

 頷くと、シンはこちらへ戻ってきた。

「それは、陛下の名だ。……他に何か言っていたか?」

「いえ、他はただ、すまない、とだけ」

 応えると、シンはそうか、と俯いた。

「最近、組み手もあまり相手できずにすまないな。少し考えていることがある」

 大丈夫です、と応えて、ファンはシンを見つめ返した。向こうで、ダオレンが呼んでいる。二人は、揃って返事をすると、皆の輪に加わった。

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