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四神獣記  作者: かふぇいん
白の国の章
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早朝

 眠りに浸かる意識の向こうで、夜明けの鐘の音がする。胸の上を撫でる風はしっとりと冷たく、ファンは布団を上に引き上げた。高く澄んだ音の向こうに、低いさざめきが途絶えることなく聞こえる。あれがきっと、潮騒なのだろう。時々聞こえるのは、海鳥の声だ。山の鳥とは違う、長く尾を引くような声。

 しばらくまどろみの中を漂っていたが、外の音に人々のざわめきが聞こえるようになって、ファンは目を覚ました。部屋を見回すと、シンの姿がない。荷物があるのを確認して、ファンは雨戸をあけ、見える範囲にその姿を探した。町に出ているのか、ただ階下に下りているだけなのか。

夜明けの町はまだ薄暗く、煮炊きの煙が、あちこちで細く上がっていた。潮の匂いと荷車をひく音が町を包んでいる。シンの荷物はいつでも出発できるようにまとまっているから、きっと先に下りて身支度をしているのだろう。ファンは重いまぶたをこすり、手ぬぐいを取って入り口の方へ向かった。

「ああ、起きていたか、ファン」

 開けようとしていた扉が先に開いて、シンが部屋に戻ってきた。外に出ようとするファンと同じように手ぬぐいを持っているが、シンのそれは濡れて重そうだ。

「すみません、急いで支度してきます」

「いや、わざと起こさなかったんだ。まだ急ぐような時間じゃないから、しっかり支度してこい」

 頷いて出ようとして、ファンは寝台に座るシンに振り返る。

「もしかして、師匠、寝てないんですか?」

 どことなく暗く見えた表情は、朝の暗さだけではないようで。けれども、噛み殺すようにあくびをしたシンは、いや、とこちらを向いて頬を緩めた。

「充分寝たよ。それでも明ける前に目が覚めたから、町の端まで散歩してきたんだ。帰りがけに渡の方を見てきたが、もう人が集まっていた」

町の朝は早い。陽は東の山からまだ完全に顔を出していないというのに、町には人々であふれている。荷売りの声がする、市ももうすぐ始まるだろう。

「そういえば、一座の迎えが来るんだったな。支度して来い、朝餉を頼んでおく」

 ファンは頷き、それでもやはり、急ぎます、と応えた。階段を駆け下り、水場の方へ下りていく。外はもう来た時のような活気が覆いつつある。これだけ朝が早いから町が復興したのか、こう早くなければ復興しないということなのか。伸びをしながら少し考えたが、ファンにはどちらとも判じかねたのだった。


 水場から戻ろうとすると、道の向こうから子供が走ってくるのが見えた。よく見れば一座の子のようだ。あの、東の町から来たと言った子。向こうもこちらに気がついたのか、ぱっとその顔を明るくすると、倒れこまんばかりに体を倒して走ってくる。

「ファン兄ちゃん、おはよう! もう出られる?」

「おはよう。ちょっと待って、師匠に聞いてみないと」

 朝餉もまだだ、と応え、少年を待たせて階上へあがる。迎えが来たことを告げると、シンはやはりか、と頷いた。

「すぐに出ると言ってくれ。飯は持って出られるものを頼んだ。じきに来るだろう」

 返事して、ファンはシンと共に荷を担いで、少年のところへ向かった。こちらへ朝餉を持って上がってこようとした宿の者から、それを受け取って、シンが宿を払う。

「本当はもっとゆっくりのつもりだったんだけど、ダオレンが兄ちゃん達呼んでこいって。何かね、おっかないのが河渡してくんないんだ」

 少年の応えに、シンは首を傾げながらも、わかった、とだけ応えた。シンは昨日、今なら渡しの番人の機嫌は良いと踏んでいた。河とは何かと縁がないと、ファンは受け取った饅頭をかじりながらぼんやりと思った。

 町を出て、少し歩けば河伯の渡がある。円を描く街道の、西の要。急流である湍水を渡せるのは、一匹の水妖だという。道連れになったあの青年が言っていたものだろう。

 渡しにつくと、ダオレンは再び船頭姿の男と揉めていた。離れたところに、一座の荷馬車と馬が控えていた。馬は何だか様子がおかしかった。怯えているものと、妙に気を立てているもの。馬には何かわかるのだろうか。ダオレンが相手にしているのは、今度は渡河するための船人だ。今度は前のように怒鳴っていないが、小さな袋を覗き込みながら、困った顔をしながら頬をかく。

「今度は何だ」

 シンが問うと、ダオレンはようやく表情を緩ませた。

「ああ、よかった、来てくれたか。いや、何、渡しの金が上がったらしくて、今度は払えるんだが、兄ちゃんたちに返す分からまた少し借りるかもしれねぇんだ」

「何だ、そんなことか。それなら構わん。西都についてからでいいと言ったろう」

 ありがとよ、とダオレンは笑んだが、またすぐその表情が曇る。

「あとは、これは兄ちゃんに行ってもどうなるかわからんのだけどな、渡しの水妖が、舟を出そうとしないんだとよ。何でも、もう仕事をしなくていい、とか言ってよ」

 ダオレンは渡しに使う大船の先を指差した。馬に付けるような引き綱がついているが、今それを引くものは見えない。重そうな舟だ、これをたった一匹の水妖が引くのだろうか。シンは、言う。

「ああ、そうか。責が解かれれば、河伯が仕事をする理由もない。とはいえ、ここの渡を失くすようなことは四方どの王もしないだろう」

 そこまで話すと、ダオレンとシンの間に渡しの男が割って入った。

「何はともあれ渡るなら、先にお代を払ってもらおうか。何、ちょっときつく言えば、河伯の野郎も舟を――」

 男が嵩にきた様子で言う間に、シンが河の中を指した。

「奴も近くには来ているようだぞ」

 男はひっと言葉を飲み、黙りこむ。見れば、なだらかながらも、表面に渦を巻く湍水の流れの中で、きらりと何かが朝日を照り返している。魚のようなひれが見える。こちらが視線をやると、それは再び水の中に沈みこんだ。あれが、水妖だろうか。ふと、ファンはこちらに急ぎ来る足音を聞いて、そちらを見やる。左右で調子の違う、特徴のある足音だ。

「もういらっしゃってたんですね。もう二、三日かかるかと思ってました」

「ジピンさん!」

明るい声音に、ファンも応えて声をあげた。ジピンは町の方から来たようだ。横を見ると、ジピンの姿に船頭は苦々しげに顔を歪ませていた。互いに軽く挨拶を済ませると、シンが舟を指して言う。

「河伯と話ができないか。舟を出さなくていい代わりに、四方が、特に西王あたりが何か言っていると思うのだが」

「そうなんです。そうじゃないと街道がここで切れちゃいますからね。で、昨日から言ってるんですけど――おじちゃん!」

 青年が呼びかけると湍水がざわりと波立った。波間に消えたあのひれがまた現れる。

「とりあえず、出てこないと。ちゃんと話をつけないと、駄目だよ」

 水音ばかりが続いてしばらく、低い声が返ってくる。

「面倒だな」

 水面から音もなく人の頭が浮かんだ。続いて、剥き出しの上半身があって、その下に碧の鱗に覆われた獅子のような下体が続く。魚のような尾が河原の石を叩き、飛沫を飛ばした。ファンの二倍はあろうかという巨体。水かきのある手で、藻色の髪を上げ、水妖はこちらを見回して言う。

「――何だ、見た顔があるな」

 思わず身構えたファンに、シンが小さく大丈夫だ、と呟いた。水妖のほうへ青年が駆け寄る。かの青年が大事な人、と言い示した水妖は、皆が恐れるだけ恐ろしく見えて、青年が慕うだけ美しく勇壮に見えた。

 足元を濡らしながら、水妖がこちらに歩み寄る。なるほど、これならあの大船を引けるのが、彼だけというのも頷けようものだ。

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