藍女花舞
初めの演目は曲芸だった。見れば、あのファンと同じくらいの年の少女だ。体に沿う形の明るい色の衣装を身につけている。頭の上よりも高いところに張られた縄に、弾みをつけて、軽々と飛び乗った。
「あれ、今の」
歓声にまぎれて、ファンは呟く。すぐに、シンが指を立て、静かに、と合図して見せる。飛びあがる瞬間だけ、少女の手足が猫のそれに変わったのだ。猫の素養を持つ、と言っていたが、もう獣人なのだろうか。その間にも、少女は縄の上でぴんと手を伸ばし、すいすいと縄の上を歩いて見せる。縄のたわみを使って、まるで地上でやるように跳ねて見せる。会場が一斉に息を飲む。これは人の手足のままだ。少女は次いで、縄を足で揺らしてみせる。ひとつ、ふたつ、そして、みっつを数えると、少女は宙へと高く飛び上がった。空中で二転三転、再び縄の上に着地する。ひと際、大きな拍手があがった。明るく爆ぜる篝火に照らされながら後ろに前に、くるくると少女は飛んでみせる。飛びあがる度に、観衆からは大きな歓声が沸く。
少女の綱渡りが終わると、若手の男が筒の上に板を置いて、その上でいくつもの球を空中でやり取りして見せる。色とりどりの球が空で踊る華々しさと、その数が増えるたびに拍手は大きくなった。横に、いくつもの小刀を持った者が出てきて、球に交えてそれを投げた。球はだんだんと小刀と入れ替わり、火が刃に映って、まるでそれそのものが燃えているように輝いた。男は何周もそれをやりとりすると、全て高く投げ上げた。そして、足で足元の板を跳ねあげ、傘のように頭上に掲げて見せた。降ってきた刃がすべてその板の上に突き刺さる。どれもまがい物ではない、うっかりすれば怪我では済まない真剣だ。
軽業や、火吹き、皿回しなどがそれに続いて、それらが終わる度に、歓声と拍手が広場に高く鳴り響いた。昼間あんなに子供らしくはしゃいでいた子供たちが、今、目の前で見事な芸を見せている。自信を持って、観客に笑顔を見せるその姿は、実際よりもずっと大人びて見える。
三人で繰る獣の着ぐるみとそれと戦う英雄の剣舞が終わると、再び舞台裏からダオレンが姿を現した。
「我が雲海一座には、古くより伝わるものがございます。それこそが本日の目玉、天神降臨の唄と、我が一座きっての美姫、真珠御前による、藍女花舞にございます!」
童子の服を着た子供たちが、舞台の下に並び揃う。楽人がゆるやかな旋律を奏でると、子供たちが神話の一部を描いた歌を歌い始める。いくつもの声が重なり、幻想的で独特な空気を創りだす中、舞台の裾から青い衣装に身を包んだ、美しい女性が現れた。あのユーリーと呼ばれていた女性だ。
広げられた扇から、微笑みを湛えた彼女の顔が覗く。優しく美しい、天女のような笑み。元から彼女は美人だったが、白く塗られた肌、差された紅、薄絹を染めた青の衣に包まれた彼女は、真に神話の世界の人間を思わせた。まわりから、ほう、とため息が漏れる。手には鈴のついた扇と、銀に輝く短刀。それらは互いに藍の紐で繋がれていて、彼女の動きに合わせて揺れた。鈴や刃は灯りに煌めき、一層、観衆の目を神話の乙女へと惹きつける。
「陛下……」
シンの呟く声に、ファンはそちらを見やった。藍女、と言うのは、東の初代王の事を指すのか。薄く開いたシンの唇が、震えるように小さく動く。その表情は何とも表現をしかねた。
「師匠?」
シンが膝の上に置いている手に力が入ったのを見て、ファンはそっと声をかけた。シンははっとしてこちらを見る。どうした、と問われて、ファンはいえ、と口を濁した。東の初めの乙女、木王に扮した真珠御前が、舞台の上で扇と剣とを持って舞う。風の歌に舞い、木々の音に遊ぶ、青の乙女の舞。ファンは木王を知らないが、この舞と真珠御前の扮装が真に迫っているのだとしたら、木王と一度垣間見た今の王は、とてもよく似ていやしないか。
子供たちの歌が、木王の言葉をなぞる。青の国を歌う歌は、生命のへの讃歌だ。生きる喜びに、青い乙女が舞う。楽人の演奏がひと際高まると、子供たちの歌は天を称える言葉で締められた。舞い手の扇についていた鈴の音が、静まりかえった会場の空気を醒ますように鳴る。
静寂に包まれていた広場から、拍手がぽつりぽつりと聞こえ出す。それは地から湧くように、だんだんと大きくなっていって、広場は歓声と拍手と、称賛の指笛とに包まれた。シンとファンも、大きく拍手する。舞台の裏から、一座が出て来ると、それは一層大きくなる。ダオレンが終演の挨拶をしても、それを掻き消さんばかりに続いている。
一座は再び礼をし、拍手が引くのを待って舞台の裏へと引いていった。一座の演目の話をしながら、観客が満足気に帰っていく。二人は立ち上がると、舞台の裏へと顔を出した。
「すごかったです! 昼間と別人に見えました!」
ファンが感想を言うと、ダオレンがかっかと笑う。
「おいおい、別人って言われると、まるで昼間が駄目みたいに聞こえるぜ。とはいえ、ありがとな! 今日の演目はうちの一座のとっておきなんだ」
衣装から元の服に着替え、終わった者からどんどんと舞台の撤収にかかっている。
「藍女歌舞とは、初めて見たな。驚いた」
シンの言葉に、ダオレンは、そういやそうか、と呟く。
「四方での興業じゃあ、その国の初王の舞はやらない決まりなんだよ。決まりっつうか、まぁ崇敬と謙遜の意味でな。で、黄の地を挟んだ、反対側の初王の舞をやるのが通例さ。兄さんたちは東から来たんなら、確かに初めてだろうな。良かったろう、藍女歌舞はうちの十八番さ」
「ああ、見事だった」
シンの応えに、ダオレンは笑みを深めた。よし、と呟くと、白い袋を持ってくる。
「これで、兄ちゃんたちに借りた分はあんだろ」
袋からは、じゃり、と金の擦れる音がする。
「少し多いな。どの道、これから一緒に行くんだ、返してくれるのは西都で構わん」
シンは白い袋をつき返し、それでも何とか寄こそうとするダオレンと何度か同じようなやり取りをしたあと、シンは引かないと見たダオレンが、済まなそうに荷の中に袋を戻した。
「宿にいるんだろう? 明日は、宿のところまで迎えをやるから」
ダオレンの後ろで、子供が、おれが行く! と声を上げる。ずるいずるい、と声が上がるのを、後でな、と押さえてダオレンは近くの荷を持ち上げた。
「今日は俺達もゆっくり休む。また明日、会おうぜ」
ああ、と応えて、シンが歩き出す。ファンは子供たちに手を振って、その後について歩き出した。
宿の部屋に帰ると、眠気が全身を覆った。ファンはあくびをして、寝台に座る。それを見て、シンが言う。
「先に寝ていい、ファン。明日は河を越えてかなり歩くそうだ」
「はい。師匠は?」
問い返すと、シンが小さく苦笑する。
「後でちゃんと眠る。今はまだ、なんだか興奮してて寝付けそうにないんだ」
荷を手早くまとめて、ファンは頷いた。シンは窓から外を見ている。ファンが戻るのを見て、シンは灯りを消した。外の月は明るい。
挨拶を済ませると、ファンはそのまま倒れこむように眠った。