雲海座(2)
舟を降りると、しばらく水の上だったせいか、脚がぐらぐらした。
「ここが河伯の渡ですか?」
問うと、船頭は首を振った。
「ここは渡より少し上流さ。渡し場はこの先にあるんだが、この先は浅くなったり深くなったり、岩が出ていたりするからね。舟を入れられないんだよ」
しばらく離れていた街道も町の傍になり川沿いにまで近づいた。馬に乗った若い衆はまだ来ないようだ。船上ではしゃいでいた子供たちは着くなり、先に下ろされ、ダオレンの渡す荷物を手分けして岸に運んでいる。騒いではいるが、仕事は我先になって手伝っている。重い荷もあったように見えたので、二人はそれを手伝うことにした。
馬の到着を待ってに、一行は街道沿いに荷を下ろし、馬車を組み始めた。仕事のない小さな子どもたちは、傍の平地で追いかけっこをしている。辺りは今までに嗅いだ事のない不思議な匂いがする。なんだろうか、と問うと、シンが海の匂いだと教えてくれた。河口が近いのだという。
「おい、兄ちゃんたち。こんな時間だ、今日はこの町に宿を取んだろ? 渡った先は町が遠いらしいしな」
手慣れた様子で荷馬車を組みながら、ダオレンは言った。幌を掛けられた荷馬車は、元通り、あとは馬をつなぐだけだ。残りの一台の幌がけを手伝いながら、シンが答える。
「ああ、そうするつもりだ。荷物も随分軽くなってきたからな、買い足さなければならないものもある」
途中の小さな町でもあるにはあったが、やはり長く歩くと靴も傷むし、大きな町の方が、買い出しが容易い。シンが向こうから投げた幌布の反対側を受け取って、ファンはダオレンに習いながらそれを台車の部分に結び付けた。
「俺達は今夜、そこの町で興行して、兄ちゃんたちが立て替えた分をそれで払う。で、どうするんだ? 俺達はまっすぐ西都へ向かうんだけどよ」
ファンが結ったところをきつく締めて、ダオレンは更に問うた。どうする、と尋ねられたシンが、荷馬車の向こうからこちらを見る。今までずっと旅の道は二人で進んできた。細い道を通ったり、きつい山道が多かったからもあるが、二人旅の気安さに馴染んできたのもある。脚に何かが飛び付いたのを感じて、ファンは視線を下にやる。一座の中でも、一番幼い子だ。三歳かそれくらいだろうか。
「にいちゃ、つかまえた」
腿のところにひしと抱きつかれて、ファンは頬を緩める。鬼ごっこの仲間になれ、ということだろうか、子供は離れようとしない。
「お、ちびに気に入られたか! 人見知りするんだが、よっぽど気にいったんだな」
ダオレンが子供を抱き上げようとすると、子供はファンに尚更ぎゅっとしがみついた。苦笑しながらシンの方を見やると、シンは息をつき、微笑んだ。
「なら、御一緒しよう。賑やかなのも良いし、貴殿が獣を遠ざけられるというのも好い」
その応えに、ダオレンは歯を見せて笑った。
「そりゃあ良かった。金返すだけってのも、何か納得できなくてよ。もしよければ、今日の興行も見てってくれ」
ああ、と返事をすると、向こうで遊んでいた子供たちがわっとこちらへ寄ってくる。
「ねぇ! 兄ちゃんたち一緒に行くの?」
頷いて返すと子供たちはやった! と飛び上がる。
「ね、ファン兄ちゃん、遊ぼう! きっと馬が来るまで暇だもん。そうだよね、ダオレン」
子供たちに周りを取り囲まれて、ダオレンは仕方ねぇなぁとこぼす。
「ただし、馬が来たらすぐに興行いけるように支度しとけよ!」
子供たちは揃って大きな声で返事した。途端に、ファンはぐいぐいと袖を引かれ始めたので、子供たちにちょっと待つように宥めなければいけなかった。向こうではシンが少し年長の男の子たちに、龍化を見せてくれるようにせがまれている。
「何でちびは俺を嫌がんだろうなぁ」
ダオレンはファンの足の子を見て呟く。ダオレンが触れようとするたびに、この小さな子は泣きそうに顔を崩す。
「だって、ダオレン怖いもん! 私も最初怖かったもん」
年少の女の子が小さな子の手を取っていう。女の子が来るとようやく小さい子はファンから離れた。女の子たちは、路傍の草花を摘んで、おままごとを始めている。ファンと同じくらいかの子たちは先に完成した荷馬車に荷を積んでいる途中だ。
「怖い? 俺がか?」
納得いかないという様子のダオレンを見て、子供たちをみていたあの女性がこちらへ来て言う。
「髭面で大柄の男がきて、怖がらない子の方が少ないわよ。ねぇ、ダオレン。興行はいいけど、町長さんに話を通さないと駄目よ。場所を借りないと」
いけね、とダオレンは頭を掻く。
「じゃあ、俺はさきに町に入って、場所を借りてくら。ユーリー、ちっとここを頼むな」
ユーリーと呼ばれた女性が頷き、ダオレンが町の方へと駆けだしていく。簡単に手足だけ龍化して見せていたシンがそれを見て、立ち上がる。
「町へ行くなら、俺もだな。宿を取ってこなくては」
そういうと、周りで龍化をせがんでいた子供たちが不満げに口を尖らせたが、女性にたしなめられて、大人しくなった。代わりに、皆、ファンのところへやってきて、ぐいぐいと平地の方へ引っ張っていく。
「兄ちゃん暇になっただろ! 遊ぼう!」
それを見て、シンは笑って言う。
「お前も待ってろ、ファン。すぐに戻るから」
子供たちのあまりの勢いに、ファンもシンと共に行きたかったが、そうもいかなかった。シンに行ってらっしゃい、と言うにも一苦労、湍水の波のような勢いでやってくる子供たちと、ファンはそれだけでくたくたになるほど遊ぶことになった。
ふいに何かに見られている視線に気がついて、ファンははっとそちらを見やる。何か悪いものがいた時の間隔に似ていたが、周りには一座の子供たちが遊んでいるだけで、何も見当たらなかった。