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四神獣記  作者: かふぇいん
白の国の章
142/199

船場(1)

「ジピンさん!」

 駆け寄ると、その青年も顔をほころばせた。昨日はどうも、と青年はシンに頭を下げる。

「少し早めに出たんですが、やっぱり追いつかれましたね」

 にこやかに笑い、列の前のほうへと詰める。先では船頭姿の男が、人の数を数えてはそれぞれに金子を預かっている。

「でも、昨日はゆっくりと休めたので、結構早い調子で来られたんですよ」

「そのようで。――ところで、ここはどういうところなのだろうか。湍水の渡し場と言えば、一つだけだと聞いていたが」

 とりあえず列に並びながら、シンが青年に問う。

「ここは(わたし)ではなくて、下流へと下るための早船ですよ。河伯(かはく)の渡まで歩けば二日以上かかりますが、これなら今日中に着くことができるんです」

 ファンは小屋と川岸の舟を見やった。細く長い舟が三艘ほどあり、その横には荷運びの為のものか、鉄の鋲がされた平たい大船が置かれていた。長い舟に乗れるのは一艘に五、六人だろう。前に並んでいた数人が、笠の男に連れられて、それに乗り込んだ。全員乗り込んだのを確認した船頭は、(もや)い綱を外し、長い棒で岸を突く。

「湍水に人が()を繰るようになったのか」

 岸を離れゆく舟を見やり、感心そうに呟いたシンに、青年は続ける。

「凶荒の大水で湍水もだいぶ流れが変わりましたから。僕が出る前はまだ試しの段階でしたけど、軌道に乗ってよかった。湍水の荒も悪いことばかりじゃありません」

 青年は喜ばしげに、岸を離れていく舟を見つめる。早瀬に水棹(みさお)を差し進むその影を、見送る他の目も、誇らしげでやさしい。

 再び、列の人数を数え始めた船頭は、こちらまで指差しで数えてその表情を曇らせた。

「参ったね、お兄さん方三人組かい。舟に乗れるのはあと一人なんだよ」

 困り顔で腕組みした船頭は、改めて先頭から人数を数え始める。シンがこちらを見たのに気付いて、ファンは頷き返した。旅も始まってしばらくだ、師の言いたいことは、言わずとも(てい)に伝わる。シンが船頭を呼びとめて、青年を指して言う。

「我々は途中行き連れになっただけだ、この御仁は急ぎの様子。あと一人と言うなら、丁度いい」

 何か言いだそうとする青年の裾を引いて、ファンはそれを制した。にっこりと笑ってみせると、青年も済まなそうに笑んで返す。船頭はなるほど、と言ったが、それでも困り顔は消えなかった。

「どうしたんですか?」

 問うと、船頭は桟敷の方を指して言う。小屋の中に船人は残っているようだが、見ればいくつか並べられていた舟は残り一艘だけだ。

「今日はあんまり盛況だったもんだから、もう舟がないんだよ。舟は夜の間に荷馬車で戻すからね、これが行ったら今日はもう(しま)いなんだ」

 申し訳なさそうな船頭に、ファンは首を振って見せた。急流下りも面白そうだと思うが、山道でなければ徒歩(かち)でゆっくり西の国を見るのもいい。この先の道は中つ国に円を描く大街道だ、宿場もすぐにあるだろう。

「大丈夫です! ね、師匠」

「ああ、問題ない。二日ばかりゆっくり景色を楽しむのもいい」

 遠くなる舟を見ていたシンが、そちらから目を離して言う。

 二人は躊躇(ためら)う青年をさぁと後押しして、一枠だけ開いた早瀬舟に乗せた。鈍く軋る音を立てて、彼を乗せた舟は川辺を離れる。湍水に乗った船体がゆらりと揺れ、乗り込む客がめいめいに船べりを掴んで、歓声にも似た声を上げた。船底を撫でていた水が、彼らを乗せた舟を押していく。始めはゆっくりと、船頭の棹で流れに留められた舟も、(あお)い深瀬に着いて次第に勢いを増す。

 最後尾に乗っていた青年が、船場に残るこちらに振り返って声を上げた。

「何から何までありがとうございます! 河伯の渡でお待ちしていますから!」

 ファンはそれに応えて、大きく手を振った。流れに沿って丘を回ったその舟が見えなくなるまで、じっと見送った後、ファンは川沿いに続く街道に向き直った。

「さぁ、行きましょう、師匠!」

 幾分か上がった意気でファンは師の方を見やった。それに応えてシンが頷く。早馬を呼ぼうかという船人の申し出を辞して、二人は河原を離れて街道の方へと踏み出す。街道はこれまでと違って平らに整えられた道だ、これなら思うだけ進める。

 いざ先に進もうとすると、シンがふうと息をついた。先んじていたファンは、足音が止まったことに気付き振り返る。

「どうしたんですか?」

「いや、舟が随分速かったもんでな、面白そうだと思ったんだ」

 小屋の船人から見えない向きで、口惜しげに笑う。船場でじっと下る船を見ていたあの表情を思い出す。そういう風にも見えなかったのに、シンも本当は乗りたいと思っていたのか。頬が緩むのを感じて、ファンは、おれもですと応えた。

 ああ、と応えて、シンはちらりとだけ船場を振り返り、顎を撫でる。

「いや、惜しかったな」

 遥けし年を生きるその人が見せた子供のような表情が、なんだか嬉しくてファンは見えないようにして小さく笑ったのだった。


 改めて進もうかと荷を担ぎ直すと、ファンは微かな(ひづめ)の音と車の音に気がついた。人影のなかった赤の国から来る街道からだ。足を止めてそちらを見やると、遠目に荷馬車が見えた。複数だ、商隊だろうか。

「南からか。……まさか、陽山を越えてきたのか?」

 ファンの見る先に同じく気付いたシンが、こちらへ来る荷馬車を見やる。二頭立ての、古く使いこまれた様子だ。

 がらがらと車輪を鳴らし、(ほろ)がけの荷馬車が二台、早船の船場へと二人の横を通り過ぎていった。御者の男が降りていき、船場の前で止まった荷馬車の中から、ひょこひょこと顔がのぞく。子供だ。ファンと同じくらいの子もいれば、もっと小さい子もいる。こちらの視線に気づいたのか、中から呼ばれたのか、その顔はすぐに荷馬車の中に引っ込んでしまった。

「物売りって感じじゃないですね」

「ああ。それにあの印、どこかで見たような気がしないでもない」

 幌の横には、斜交(はすか)いの剣と雲の模様が描かれている。文字が書かれているようだが、離れているせいか、こちらからは読めなかった。真っ先に降りていった御者は、船場の小屋の方へ入っていく。

 しばらく様子を見ていると、そちらから何か言い争うような声が聞こえてきた。その声に、引っ込んでいた荷馬車の顔が再び現れる。今度は大人の姿もある。次第に大音声になるそれに、二人は顔を見合わせた。

「……行ってみるか」

 ファンは頷き、シンについて駆けだす。荷馬車の横を通り過ぎる時、ファンは模様の下に書かれた文字に目を走らせた。

「雲海座……?」

 南からやってきた、何人も人を乗せた奇妙な荷馬車。やおら大きくなる怒声に、二人は口論の続く船人達の小屋に飛び込んだ。

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