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四神獣記  作者: かふぇいん
白の国の章
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白海を臨み

 開門の鐘の音にファンは目を覚ました。辺りはまだ暗いが、鳥の声は夜明けを告げている。寝台がら下りて、雨戸をあけると狭霧と夜露を含んだ空気が部屋にさぁっと入ってきた。水気のせいか、少し肌寒く感じる。陽の光は山に切り取られて、山の稜線から日差しがこぼれ、辺りを疎らに照らしている。

朝の冷たい空気に、シンが寝台の上であおむけに寝がえりをうつ。腕で目を覆いながら、寝起きにこもる声で、こちらに尋ねる。

「もう、朝か」

「はい、まだ随分暗いですけど」

 そうか、と答えたが、シンは身体を起こさなかった。

「悪い、少し休ませてくれ。変に寝付けなくてな。先に支度をしていてくれ」

「大丈夫ですか? ずっと進み通しですし、今日はここで休んでも」

 ファンは雨戸を閉め、シンの方に寄る。見れば、酷く寝汗をかいていたようだった。夜は特に暑くなかったから、夜気のせいではない。

「師匠、具合が悪そうですよ。やっぱり……」

「大丈夫だ、俺は病気とは無縁の身だからな。ただ少し夢見が悪かっただけだ。大丈夫だよ、ファン」

 でも、とファンがその表情を覗き込もうとすると、シンは目にあてていた腕をのけ、薄く笑った。

「気にするな、もう半刻もすれば起きる。今日は山道から抜けるぞ」

 はい、と返事をしたものの、心配はなくならなかった。しばらく荷物を整理しているふりをして部屋に留まったが、静かな寝息が聞こえてきたのを確かめて、ファンは部屋の外に出たのだった。外に据えられていた水盤で顔を洗い、いつもより急ぎで身体を動かしてから、また宿に戻った。客が次々に起きだしていて、宿は賑わいつつある。宿の客は殆どが商人だ。思えば、南の道が使えないのだから、白の国へは皆、黄の地を経由して至黄の道を下るしかないのだ。

 ファンは辺りを見まわして、旅客の中にあの青年の姿が無いのに気がついた。宿の主人に尋ねると、鐘の鳴る少し前にもう宿を払ったという。ファンは人々の間を抜けて部屋に戻った。部屋に戻ると、シンは既に目を覚まし、旅の支度を整えていた。髪が濡れているが、その表情には先ほどの暗さは無い。

「もう大丈夫なんですか? 師匠」

「外が大分賑やかになってきたからな、湯屋を借りて水を被ってきたんだ。おかげで目が覚めた。もう出られるか?」

 問われて、ファンは頷いて返す。開けられていた雨戸からは、朝靄に霞む、細い山々が見える。透けて見える空は青い。

 町の食堂で朝餉を取って、二人は滝の町を出た。町を出てからもしばらく下りで、岩がちの道が続いた。途中に点在する、滝の傍に立てられた石碑にはその名前と黄の地から数えた番号が書かれている。それを数えて、ちょうど七十。ファンが顔を上げると、視界は一度に開けた。山道は緩やかになり、湍水の勢いこそ変わらないが、川幅はぐっと広くなった。

 ファンは流れの先に地平に白い線を見とめて、目を凝らした。眩しい。何かが日を照り返して光っているのだ。足を止めたファンに、シンも足を止める。

「そうか。海を見るのは初めてか、ファン」

「えっ、あれが“うみ”ですか?」

 そう答えると、シンはさも面白そうに笑った。ファンは再び、その光る線を見つめる。ここからではそれはただの白い地平にしか見えない。青の国は北の黒の国と接する北部の僅かしか海岸がなく、その上に町から離れたことのないファンは、その存在を言葉でしか知らないのだ。川や池と違って、果て無く広がる水。それは飲めないほどに(から)く、そこからいくら塩を取っても変わらぬという。

 歩き始めて、遠くの海を眺めやりながら、

「とはいえ、俺も随分久しぶりに見た。やはり大きいな。……今日は海のものが食えそうだな」

「あ! あの塩辛い魚とかですよね! それなら、町にいた頃に食べたことがあります。やっぱり、水が鹹いと魚も鹹くなるんですね」

 声を弾ませそう言うと、シンは聞き取れなかったのか、ぱっとこちらに振り向いた。それを何かとファンが見返すと、今度は噴き出して笑い始める。ひとしきり笑うと、肩を震わせながら、シンは言う。

「あのな、ファン。魚は日持ちしないから、海のものは大抵、陸へ出回る前にきつく塩をするんだそうだ。傍で食べれば海の魚も鹹くはないんだぞ」

「えっ、おれ、てっきり泳ぐ間に塩がしみるものだと思ってました。じゃあ、海の魚は水の中で息をしないんですか?」

 町にいた頃、時たま行商が持ってくる干魚は焼くだけですぐ食べられるだけ味がついていた。焼いた時は滲む油に、塩が白く浮くほどだ。魚は水の中で息をするそうだから、塩水で泳ぐ海の魚はだからしょっぱいのだと思っていた。塩を抜いてもなお鹹い魚。思い出して、口の中が一気に乾く。食べ物を思うと、朝しっかり食べていても腹が空いてくる。

「どうなんだろうな、生きていて息をしないものはないだろうが……」

 今度はシンがううんと考え込む。

「浜のものなら知っているだろうか。こんなに生きていながら、考えたこともなかったな。今度聞いてみよう」

 二人して頭をひねった魚の疑問をひとまずおいて、歩き続けてしばらく。先に小さな小屋と、別の方からこの道にぶつかる道が現れた。

「あれが街道との分岐だろう。さすがに、向こうは人がいないな」

 山が切れたおかげで、ようやく遠くまで見回す事が出来る。今まで通ってきた至黄の道は、振り返って見ると山に当たって途切れて見える。陽のある南のほうは、陽山からの煙がずっと雲のようにたなびく。風はこちらへ流れてきていたのか。向こうの空が薄暗いと言うと、シンが灰のせいだろうと応えた。

 ファンは先へと目を戻し、湍水とその横の小屋を見やった。川岸には何か、細いものが並べられている。

「あれは、舟でしょうか」

 問いに、シンは首を傾げる。

「そのようだが……湍水に渡せる舟があるのか?」

 近寄ると、小屋の周りには人が集まっている。笠をかぶり、長い棒を携えた男の前に人々が列を作っている。通り過ぎる者もいるが、旅人の大抵がそこに止まっていた。

 ファンはその中に、見覚えのある姿を見つけて、おおい、と声をかける。気がついたその人もこちらに気づいて手を振った。先に出たその旅人に、二人はようやく追いついたようだ。

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