獅子の双子
玻璃の散るような小さな音を立て、孔雀藍の鱗が散った。その下に及ぶ獣の爪が、肉を裂いた。骨まではいかないが深い。シンは傷を押さえ、数歩退く。
「おい、何寝っ転がってやがんだ、シー。人質逃げてたじゃねぇか」
「遅れてきて文句か、イー」
背後から来た男は、先ほどまでシンが相対していた男と鏡で映したようによく似ていた。すでに獣と化した姿も声も同じだ。ただ違うのは、その腕から滴るほどに血を流していることか。次いで林の中から、出てきたのは青ざめ、今にも泣き出しそうな顔のファンと、その背に負われぐったりとしたバクだった。
「シンさん! 先生が、バク先生が……!」
こちらの腕だけの血にしては、多い血の量だ。きっと二人目の獅子の男が滴らせているそれは、ほとんどがシンのものではない。
「バクに何をした」
声に怒気をのせ、シンは双子の獅子に訊ねる。
「なぁに、ちょっとばかり爪で掻いただけさ。人質を連れて行かれそうだったんでな」
生身にあの爪が触れれば容易に裂けてしまうだろう。バクは獣人ではあるが、進んで戦えるような手合いの者ではない。暗くて様子はよくわからないが、地に寝かされた彼の服が、白でなくなっているのはわかる。先から居た獅子の男が起き上がり、シンを睨む。
「それよりも、お前、太極じゃねぇな。そういや、檮杌様は太極は定めを持たぬと言っていたしな。なら、御立派にも幻獣付きのお前が、太極なわけねぇ」
それに後から来た方が言葉を継ぐ。
「なら、太極はどこにいやがんだ? おい、先生……ああ、駄目か。答えられねぇよな」
男たちは笑う。じり、と二人がバクに近寄ると、それを守るようにファンがバクの前で手を広げ、きっと獅子たちを睨む。
「やめろ!」
叫ぶと、男たちはさも面白そうに笑い、こちらを見た。
「まさか、この餓鬼が太極、なんてことはねぇよなぁ? もしそうなら、お前らがこの餓鬼を助けに来なきゃ、俺達もさっさと事が済んで、大事な先生も怪我をしなかったわけだ」
ファンの目が見開かれる。男たちを睨んでいた目が下がり、ファンは閉口する。
「お? 図星か? こりゃあとんだ番狂わせだ」
「ファン、真に受けるな、こいつらは」
「――シンさん!」
ファンの声に、シンは言いかけた言葉を飲み込んだ。ファンはなおも俯いたまま、呟く。
「おれは獣人になりたい。素養が定まらなくたって、力は必要だよ。どんな力だって、ないより苦しいことなんてない」
その言葉に、獅子男は猫なで声で賛同する。
「そうだよなぁ、餓鬼。俺達もその気持ちわかるぞ。一緒に来い、檮杌様なら、お前にも望むように力をくれるぞ」
シーと呼ばれた男がそう言って腕を差し出す。止せ、と言った言葉に反し、ファンは垂らしていた手を持ち上げる。
「でも!」
ばしん、と小気味よい音を立て、ファンはその腕を払った。
「理由はあるよ。こんな奴らのせいで先生は酷い傷だし、シンさんだって怪我をしてる。なのに、おれは何もできない。だから、力が欲しいんだ。先生も、まず自分をちゃんと守れるだけの力が。そのためなら、ここで死んだっていい。こんな奴らをぶっ飛ばせるだけの力が欲しいんだ」
その言葉に、獅子男たちは顔を見合わせ、揃って腕を振り上げた。瞬間、シンは駆けだし、転がっていた剣を拾い、そちらへ走りだす。距離にして数歩だが、この瞬間では酷く遠い数歩だ。
「五体満足じゃ連れてってやろうと思ったんだがな!」
爪が高い音を立てて、風を切る。ぎゅっと目を閉じ、身を固くしたファンの横を、風が抜けた。