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四神獣記  作者: かふぇいん
白の国の章
139/199

柔和な青年

 松の峠を出てしばらく。山の間の夕日は次第にその赤みを強めて、楕円に崩れながら沈んでいく。あと二つ三つ坂を上り下りすれば、次の村があるらしい。峠の下で流れていた湍水は今傍で轟々と流れている。あと少し、とファンは膝に力を入れて、道を蹴った。

「見えたぞ、ファン」

 シンが坂の下の方を指す。六十といくつか目の滝を望む、小さな町が見えた。いや、町か村かはわからないけれども、これまでの山間にあったどの村よりも大きく、山間の集落にしては珍しく、塀で囲まれた場所だった。

「師匠、塀があるってことは、風水がかかったりするんでしょうか」

「わからん。昔は風水の張れるのは街道沿いの町だけだったからな。だが、西はどうかな、獣が多いなら山村でも封をするのかもしれん」

「急ぎますか?」

「いや、この調子なら、大丈夫だろうが……ん、あれは」

 先を見ていたシンが、何かに気付く。ファンも下向きがちだった視線を上げると歩く二人の前にもまだ、町に入っていない旅人がいる。峠の時にはいなかったから、それより前に発った人だろう。

 歩みを進めると、その人影はどんどん近付いて行く。こちらの足は別段速めてはいないから、旅人の足取りはずいぶんとゆっくりだ。よおく目を凝らして、ファンは微かな違和に声をあげる。

「師匠。あの人、脚が」

 そのようだな、と応えて、シンもそちらを注視した。旅人は左足を引きずっているが、杖の助けは無く、慣れた様子である。だが、やはりその歩みは遅い。この調子で歩いて来たのなら、途中、野営になりそうなものだ。もしかすると、次の町も日暮れまでに入れないのではないか。

 町まであと上り下りが一つとなった上りの道で、二人はその旅人に追いついた。横に並ぶと、シンが旅人に声をかける。

「お一人で旅を?」

 旅人は振り返る。若い男だ。二十を出るかどうか、というところか。険しい道だったはずが、青年の表情は晴れやかだ。青年はこちらをじっと見て、にこやかに微笑み、頷いた。

「ええ。僕にしかできない旅ですから」

 ファンは旅人を挟むように、シンと逆のほうに並ぶ。青年は懐から除いていた紙を取り出して、満足気に眺める。

「これで、僕の大切な人は救われる」

 横から覗き込んだファンには裏側しか見えなかったが、そこに四方の神獣印と麒麟印、そして“大赦”の二字が記されているのが見えた。シンは興味深げにそれを見ている。王府の使者でもなければ、王印などそうそう出回りはしないだろうし。それが四方揃っていて、天印まであるとなると、相当なものなのだろう。大赦、ということは、誰かを許すものだ。免罪符、というのだったろうか。彼のいう大切な人とは、咎人か。

 紙を再び大事そうにしまい込んだ青年に、シンは続けて問う。

「どちらへ向かわれます」

河伯(かはく)(わたし)へ」

 青年の答えに、シンが得心のいったように頷いた。シンには青年の言う大切な人がわかったらしかった。四方に許しを得ねばならないようなことだから、きっとシンも知っているのだろう。シンが一度、何か了解を得るようにこちらを向いてから、三度(みたび)青年に話しかけた。

「ご一緒しよう」

「でも、僕の脚はこの通りですから、お先へどうぞ」

 青年は突然の申し出に困ったように笑い、応える。長袴(ちょうこ)の下だが、彼が示す左足は見てとれるだけたわみがある。それでもとシンは首を振り、言う。

「いや、私にはその書の行方を見守る義務がある」

 その言葉に青年は驚いたように、シンの顔をじっと見る。そして、シンの身なり――青い巻き布を見て、わかりました、とそれを了承した。

 傍の湍水が橙に染まり、滝は火を流すように赤く輝いている。町まであとは長い下りだけだ。ファンは青年の荷物を預かろうかと思ったが、やんわりと断られてしまった。坂の上で門が見える。陽はまだ見えている、間に合いそうだ。

「久しぶりに、屋根の下で眠れそうです」

 青年の言葉に、シンとファンはぱっと顔を見合わせた。一人の旅で野営がち、その上、四方を巡ってここまで来たと言うのなら、それは運が良かったという話ではない。青年の旅の道具には特に、それを防ぐというものも見られないのに。獣に武器を持っているものと持っていないものの違いが解るとは思えないが、一人歩きとそうでないのはわかるはずだ。狙いやすいと思えば襲われる。現に、シンといたファンですら獣に襲われたことがあるのだ。

「失礼だが、何か術を?」

「いえ、僕は何も。ただ、旅に出る前にお守りを貰いましたから」

 青年は首から下げた袋を見せた。中身はわからないが、そのお守りが一切の獣を寄せないとしたら、とても便利だとファンは思った。どんな旅でも、外野の獣の恐怖とは常に隣り合わせだからだ。全ての旅人が安全に旅できれば、どんなにか良いだろう。

 あともう少しだ、と三人が表情を緩ませた時、滝の轟音に混じって、高く細く鐘の音が聞こえてきた。閉門すると言うのか。

「まだ、日は落ちてないのに!」

 ファンが声を上げると、シンがしまった、と額に手をやる。

「ここは高いからな、他でもう沈んだ陽が見えていたのか」

 慌てた様子の二人に対して、青年はのんびりと言う。

「お二人の脚なら、走れば間に合いますよ。おいて行ってください。雨も降らなさそうだし、門の横で寝ますから」

 事もなげな青年の言葉に、ファンはシンを見る。同時にシンもこちらを見たようで、二人は頷きあう。

「持ちます!」

 半ばひったくるようにファンは青年の小さな荷物を預かる。何ごとかとまごつく青年をよそに、シンは腕や足を龍化させ、その身体をひょいと抱え込んだ。

「失礼する!」

 とんとん、と軽快に坂を駆けていくシンを追って、ファンも龍化まではいかないが、気の巡りを意識して駆け下りる。閉門を告げる三つ目の鐘の音の中で、二人と抱えられた一人は門の内へと滑り込んだ。

 門を閉めようと待っていた町人が驚いて、こちらを見る。

「そんなに慌てなくても、見えていたからすぐには閉めやしないよ。しっかし、速かったなぁ」

 青銅の扉が閉められて、シンは青年を下ろす。何が起こったのかまだ飲み込めない様子で呆ける青年に、ファンはにっと笑って見せる。

「間に合いましたね! えぇと……」

「……ジピンと言います。ありがとう、東国のお二方」

 青年は立ち上がり、お礼を言う。

「礼を言われるほどのことでもない。ご一緒する、と言ったからには、これくらいは」

 シンは手足を戻し、それに応える。

「それでも、出会ったばかりの僕にこうしてくれるのは、やはりあなた方がいい人だからですよ。思った通りの人でした」

 青年は再び頭を下げる。宿まで一緒に、と言ったが、青年は用事があると言う。宿はどうやら町に一つらしいと聞いて、シンとファンは先に宿に向かうことにした。

 青年と別れ、宿に着いてすぐ。ファンははっと、自分の持ち物を見た。あの青年の荷物を預かっていたままだ。彼もいずれ宿にくるだろうが、何か買いに出たのだとしたら、戻るのが手間になってしまうだろう。届けなければ。ファンはシンに、その意を伝える。

「じゃあ、部屋を借りておく。入れ違いになるかもしれんから、一周りしたら戻ってこい」

「はい!」

 シンの言葉にしっかりと返事をして、自分の荷物をシンに預けた。外はもう薄暗く、虫の声がしている。でも、まだ山の向こうの残光があるから、人の判別くらいはできるだろう。急ごう。

 ファンは宿から、町へと走り出した。

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