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四神獣記  作者: かふぇいん
黄の地、御柱の章
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宿世のごとく、旅は続く

 広大な獄の中央に、闇が凝ってできたような宮殿が据えられている。辺りは完全な闇ではないが、獄に陽の光など指すはずもなく、少し進めば何も見えなくなるような暗がりに燐光のような青い火だけが辺りを照らしている。青白い光の他に輝くのは、闇を往く有象無象の目だ。地上に出られぬ弱々しい力の塊が影となり、生き物を真似て動き回っているのだ。が、どれも粘菌のようにずるずると這いまわるものばかり、よくて餓鬼のような痩せたものが、そこの“今の主達”を恐れて逃げ惑うだけだ。

 宮殿のもっとも奥、空の玉座の前で黒い霧が集まり揺れた。霧は次第に人の形をとり、再び散るとそこには銀灰の髪の少年が経っていた。口元にはうすく笑みを浮かべている。慈愛の笑みと言えばそう思えたかもしれないが、目はどこまでも冷たく、灯りのないその室内を見渡していた。

「今帰ったよ。いるんだろう、檮杌(とうこつ)窮奇(きゅうき)

 ジュジと名乗った少年が、少し先の闇に向かって呼びかける。

「おかえりなさいませ。――御帰りは一人とは思いませんでしたが」

 窮奇の声。暗がりが揺れて、影の逃げる鳴声がする。鬼火に照らされて、痩身の男と、その後ろの大男が姿を現す。

「つれてこれなかったよ。やっぱり難しいね」

 ジュジが肩をすくめてみせたが、二人の反応は薄かった。

「……本当にできなかったのか?」

 檮杌が短く問う。言葉少ななのは不機嫌ゆえか。

「うん、駄目だったよ。キミたちができなかったんだし、大変なことだよ」

「俺達にできなかった、御柱への侵入を簡単にやっておきながらか?」

 疑う声と剥き出しにされた下顎の牙に、気付かぬとばかりに無邪気にジュジは笑みを作る。

「そう噛みつかないでよ、檮杌。結構大変なんだよ。だから、結局殆ど何もできなかったんじゃないか」

 ひらりと手を振って見せると、檮杌はふん、と短く鼻を鳴らした。

「とはいえ、太極がこれ以上力をつけても困るでしょう」

 窮奇は下で這う影を、鬱陶しげに指の先で払って言う。しぐさだけでも、払われた影は弾けて消える。ジュジはぐっと伸びをしながら答える。

「それなんだけどさ。別段焦る必要もないと思うんだよ。力をつけたとして、父さんが起きてしまえば、もうこちらのものだろうし。……あ、今まで通りに狙ってもらってていいんだけどね」

 ジュジは目の前を舞う燐光を、蝶を取るように捕える。仄白い灯りは少年の顔を照らして、次には叩かれて消えた。

「まぁ、そういう算段は、窮奇、キミのほうが得意だと思うからお願いするよ。えぇと、次は饕餮(とうてつ)の番だっけ」

「俺様の名前を勝手に呼ぶんじゃねぇ!」

 別の方からの声に、三人は振り返る。そこ姿は無く、目を凝らせば空気の揺れのような(もや)が漂っているだけだった。

「いたのですか、饕餮。見えないのでてっきりいないのかと」

「てめーもだ窮奇。俺様の名前は俺様のものだ。おい、蚩尤様の子供だか知らねぇけどな、俺様を呼んでいいのは俺様と蚩尤(しゆう)様だけだ、わかったな!」

「そうだったね、ごめんよ」

 呆れた様子の東、南の魔に対して、ジュジは靄に向かって微笑む。

「そうさ、俺様のものは誰にもやらねぇぞ。おい、その太極とかいう奴は俺様のもんにしていいんだな? 欲しいものは何だって奪ってやるよ。この世だってな!」

 燐光を得て、靄が照らされると顔のようになったそれが、にぃっと笑って消えた。

「西は饕餮に任せましょう。まぁ、上手く奪ってきたとして、その時に饕餮から太極を預かる方が骨が折れますけどね」

 そう言って、窮奇は(きびす)を返す。微かに漂ったのは、煙草の匂いだろうか。

「私は蚩尤様の様子を見てきます。目障りな影がうろついているかも知れませんから」

 窮奇が出るのに合わせて檮杌もどこかに行き、玉座の前にはジュジだけが残される。

「――あの目、まるで信じるつもりはないらしい」

 くすくす笑いながら、ジュジは玉座に腰を下ろした。闇しか見えぬ王座。かつてそこに座っていた主を待つ臣は、形ばかりこちらをその子息としておきながら、利なしと思えば切って捨てようという目をしていた。こちらがそれに気付いていることにも、気付いていながらだ。だが、今はそれでもいい。大人しくしていよう、こちらの真意に気付かれるまでは。

「ジュジ、か。天もなかなかに傲慢な名を名乗ったね」

 その言葉が指すのは、救済。調停者として、天がそれを名乗ったのなら、自分もそれを倣って名乗ろう。同じように、機を待ちながら。ジュジは高く笑う。何に対するか知れぬその声も意も、すぐ闇の中に消えて行った。


 湖のほとりに立てられた二つの墓標に、ファンは深く礼をした。身体はここに眠ろうとも、その心は今自分の中にある。

「行きます。父さん、母さん」

 後ろで待っていたシンのところに戻りながら、ファンは自らに頷いて見せた。かつての自分がここから町へと旅立ったように、今また自分はここから旅立つのだ。今度は、太陽を追って西へ。見送りに立つ白澤(はくたく)に、シンは問いかけた。

「先ほど見ていて思ったが、バクがいない間はお前が長なのではないのか?」

 問いに対して、白澤は淡々と答える。確かに、衣の背に描かれた麒麟印には、副官を示す一重の輪。

「私は“間を頼む”と言われただけです。天に与えられた座ならば、それは容易に受け継ぎできるものではないでしょう。天命とはそういうもの、誰かが代わってくれるものではないし、それを全うすることが仕合せなのです。我らの長は一人だけ」

 かつてバクが言っていたことと同じ言葉に、ファンは頬が緩むのを感じた。こうして通じるからこそ、先生は何も言わなかったのだろう。歪みのない信頼だ。

 途中まで白澤に付き添われて、西に向かう道に立つ。逆行することになる西からの至黄の道は、この湖を元とする大河沿いに進む道らしい。河の名は湍水(たんすい)、名だけならファンも知っている。別れを言うために旅人二人は振り返る。

「騒がせて済まなかったな、白澤」

 ファンもそれに合わせて再び礼を言う。白澤はそれに頷いて返し、口を開いた。

「貴兄らの旅の無事を願います。……青龍。西の地を見れば、かならず何か思うことになるでしょう。白虎と、白の王と話しなさい」

「ああ、もとよりそのつもりだ。践祚(せんそ)して顔も知らぬままだからな。見送り感謝する。天の安寧と、御柱の者たちの息災を祈る」

 シンが歩き出したのについて、ファンも足を踏み出す。進めて数歩、白澤がシンを呼びとめた。忘れていました、と、シンに向かう。

「天が只一言だけ、あなたに言葉を。聞きますか」

「無論だ、聞かせてくれ」

「……天曰く“その剣の故を問え”と」

 ファンには何のことか解らなかったが、シンはしばらく考えて、確かに、と答えた。使う所を見たことが無い、シンの持つ一振りの剣。見つめていると、シンは再び歩き出した。追って、ファンは急ぎ足に踏み出す。

 少しして足を止め、振り返った御柱はやはり、悠然と高い。行く手へと傾く陽にその形貌(けいぼう)を照らされながら、湖に映える姿は黄金に輝いている。

 先で呼ぶ師の声に、ファンは同じ色の髪を風に流し、駆けだした。


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