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四神獣記  作者: かふぇいん
黄の地、御柱の章
131/199

「父さん、おれは」

 ファンは呟くように答える。

「父さんや母さんに、会いたいと思ってたよ」

 先生がいたから、特別寂しいと思ったことはなかった。でも、自分の父を、母の姿を追ったのは無意識だっただろう。夢にみるその姿が、痛苦に満ちたものであったからなおさらに。

「子供、俺の……俺は、俺は……!」

 一度しっかりと合った瞳の、その焦点がずれる。そして、再び父の周りに黒い霧が漂い出し、吸い込みそうになったファンは、とっさに顔をそむけた。

「俺の子供、俺の、何のために、俺は……」

 錯乱が言葉に現れて、父はファンの上から飛び退いた。がらん、とその手から、剣の柄が滑り落ちる。黒い影は(さいな)むように父の周りを取り囲んでいる。父をこの世に呼び戻し、繋ぎ捕える魔性の霧。

「殺して……俺は、あの時、死んで……リリ、あいつを守って、俺は、子供は、やめろ、やめろ……」

 断片的な言葉がその口から零れては、苦しげに父は(うめ)く。頭を抱えてふらふらと後ずさり、砕かれて折れた柱にその体を預けた。ゆらりとその周りを取り囲んだ影は、人のかたちをとって、あざ笑うように揺れる。あの少年のかたちで。

 ファンは足元に転がる剣の破片を拾い上げた。あの影が良くないのだ。刃を握った手から痛みが走るが、ファンは構わずしっかりとそれを握りしめた。そして、父のもとへと駆けだす。

 ずっと、ずっと傷になるまで胸に刻み続けた思い。――父や母の、運命を歪めてしまったのは自分なのだ。だから、笑顔を見られず、その苦しみの最期を見続けたのは、その罰なのだろうと思ってきた。そして、その魂が、いのちがここで弄ばれると言うのなら、何が相手でもそれを止めなければならない。

 影のより濃いところへ向かってファンは剣の欠片を振りおろした。その刹那、確かに振り返った影は、紅くその口を開け嗤っていた。音もなくはじき返された、剣と自身の体。離れた床に投げ出されると、ファンは受け身も取れずに転がった。

 影は再び父の体にまとわりつき、その口からは低い呻きが漏れる。傍に転がった血のついた刃を拾い上げ、その影がじりじりとこちらに向かってくる。そこにあるのはすべての負が宿った狂気の眼。

「おれには、何もできない……!」

 一番に心を蝕んだ無力感が、どっと溢れる。やっと止まった涙が、また視界をじわり滲ませる。父は獣のような叫びを上げ、腕を振りかぶる。

「ごめんなさい……父さん、母さん」

 謝罪だけが口をついてこぼれる。

「謝るな――ファン」

 剣は振り下ろされなかった。その行き先は、父自身の鳩尾(みずおち)、母が穿った穴に違わぬ場所だった。

「誰のせいでもない。お前は謝らなくていいんだ、ファン」

 父はそう言って、突き立てた刃を引き抜いた。その切っ先には何か黒い塊がついていて、空に触れると辺りに漂っていた暗い霧ごと霧散した。

「……案外、うまくいかないものだね。まぁ、いい。またね、ファン」

 ジュジの声が辺りに響き、影は消え、真の社はまた元通りの闇に戻った。

「天か地か知らないが、死に方も、その先の生き方も選べなかったんだ。死後くらい俺が選ぶ」

 父は毅然とした声でそう言った。手から零れた刃が床に落ちて鋭い音を立てる。影が消え去ると、消えていた傷は元通りに血をにじませたが、父はファンの前で膝を折り、嬉しそうに微笑む。

「大きくなったな……いや、違う。初めまして、だ。ファン」

「父、さん……?」

 差し出された手を取り、ファンは体を起こす。その笑みはどこか照れ臭そうで、父親という言葉さえくすぐったがっているように見えた。ファンにもその姿は父と言うよりは、そうなろうと迷いながらも直向きな若い男の姿に見えた。

「こんな挨拶は、やっぱ変かな。俺な、結構考えたんだぞ、お前に会ったら何て言おうかって」

「おれも……なんて言ったらいいかわからないよ。でも、嬉しい。すごく嬉しいよ」

 ああ、と応えて父はファンの肩に手をやる。

「俺は――悔しいのが一番だ。リリ、つまりお前の母さんとお前と、家族になって一緒に生きてやれなかった。……俺はな、ファン。リリがここに来たいって言いだしてから旅の間、ずっとどうやったら父親ってやつになれるのか、足りない頭使って考えてた」

 父はそう言って、ファンを抱きしめた。そして、しっかりとした声で言う。

「結局、解らなかったよ。でも、だからこそ決めたんだ。お前が生まれたら、めいっぱい愛してやろうって。そうすれば、そのうちにちゃんとした父親になれると思ったんだ」

 力強く温かい腕に、ファンは眼を閉じ、ただ抱きしめ返した。器に水が満ちていくような、静かで優しい感覚。

「これが偶然でも宿命でも、もういい。何だって構わないさ、俺の人生は無意味でも、簡単に意味づけされるようなもんでもなかった。なら俺は、すべてを受け入れるだけだ。これでいい、これでいいんだよ」

 父は腕を解き、強い瞳で言う。

「ファン。お前の人生だってそうだ。どこにあっても、ひたすらに、善く生きろ。それで出来るなら、きっと幸せになれ。俺が残してやれるのは、この願いだけだ」

 ファンはせり上がる思いに、言葉を詰まらせ、ただ頷いた。そして、ふと下に目をやってはっと息をのむ。少しずつ薄く透けていく父の体。父もそれに気付いたのか、困ったように笑って、言う。

「これが最期だ、聞け、ファン」

「待って、おれはまだ何も……」

 父はゆるゆると首を振る。そして再度、聞け、と続ける。

「お前のせいで死んだんじゃない。お前のために、俺達は生きることができたんだ。お前のいのちこそ、俺の誇りだ。俺達はずっとお前と会えるのを待っていた。ファン、お前は――」

 腰へ、胸へと消えていく父に、ファンは手を伸ばしたがその手は向こうへと突きぬけてしまった。父は一段と声を張る。

「お前は、確かに、愛されるために生まれてきたんだよ。じゃあな、俺の、大事な息子――」

 音もなくその姿は闇に溶け、消えてしまった。ファンは茫然とそこに居尽くす。残るのは、確かにそこにあったという感覚だけだ。

「ありがとう、父さん……」

 ファンは自らを抱いて、静かに呟いた。もう、足りないものなど何もない。

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