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四神獣記  作者: かふぇいん
黄の地、御柱の章
125/199

獏(1)

 支えて貰った体を、今度は柱にもたれさせる。痛みは弱まったのか慣れたのか、最初のように吐き気を伴うようなこともない。声になっているかはわからなかったが、ジュジに聞こえるように、大丈夫、と呟いてみせた。

 幻の先生は黒い上衣を纏い、中段の裳と帯を臙脂(えんじ)に揃えている。蔽膝(へいしつ)には麒麟印と一匹の獣が描かれていた。今までに見たこともないような獣だったが、きっとあれが幻獣、獏なのだろう。あの町にいた時、先生はいつも、長髪が邪魔になるからとひとつに結っていたが、ここではまっすぐ、流れるままにしている。

『ご機嫌麗しゅうございます、神官長様』

 女性は大きな腹にも関わらず、器用に挨拶してみせる。それまで他の巡礼に挨拶する素振りをしていた先生は、それに軽く礼をして返し、応える。

『これはこれは。身重の方とはめずらしい。ようこそ、天社へ』

 先生は立ち上がって、女性のほうへ歩み寄る。

『旅の道は大変だったでしょう、どうぞお座りになられてください。白澤(はくたく)、椅子を』

 先生は見えない部下に指示を出し、にこやかに笑んだ。

『いえ、そこまでしていただく訳には。重そうに見えますが、ここまで来るだけ充分に動けるのです』

 女性は丁寧に辞して、再び頭を下げた。そうですか、と先生は微笑をたたえて女性を見つめ返す。お手を、と二人と順に握手すると、先生は続けた。

『母親というものがどれだけ強いかは知っていますよ。でも、隣の御主人は、この旅の間ずっとあなたを心配してきたのです。差し出がましくてすみませんが、いくら黄の地と言えど、無理をしてはいけません。ここに来てから、少し息が苦しかったでしょう?』

 先生の言葉に、二人ははっと顔を見合わせた。“夢”は記憶だ。先生は二人の旅の記憶を読んだのだろう。先生は別の方を見やって、声をかける。

金烏(きんう)玉兎(ぎょくと)。先に行ってください』

 現実の金烏玉兎がいる方とは別だ。今焦点が合うのが幻のせいか、現実の人々は霞んで見える。声もこもって遠く聞こえる。

『御婦人、巡礼の列は急ぎ足ですから、私がご案内しましょう。ゆっくり回れば、それほど辛くないはずです。いいですね、御主人』

 尋ねられた男は、それは、と恐縮そうに応える。

『有り難い話ですが、いいんでしょうか。家内のためにお手を煩わせるわけには……』

『いえ、ちょうど散歩しようかと思っていたんです。お気になさらず』

 黒い衣を翻し、先生はゆったりと歩き出す。

『それに、ここまで来られたのも故あってのこと。思う所もありましょう。私でよければ、力になりたいのです』

 優しい笑みに、困惑顔をしていた両親の頬も緩む。お願いします、と男は頭を下げ、女性の手を取って立ち上がらせた。その間に先生が次の部屋への入り口を空けたのだろう、歩き出した夫婦の姿は壁に吸い込まれてすぐ見えなくなった。先生もそれに続こうとしたが、ぴたりと立ち止まる。呼び止められたのか。

『……すみませんね。でも、ただ贔屓(ひいき)というわけでも、心配だというのではありません。はっきりとしませんが、あの二人、気にかかることがあるのです』

 見えない部下に向かって、先生は難しい顔をしながら答えた。

『少し空けます。(あいだ)、よろしく頼みますね、白澤』

 その後、先生の幻も次の部屋へと消えていった。

気にかかること。先生は、この後起こりうることを予知していたのだろうか。幻が消えるとともに、ファンはゆるゆる頭を振った。あの表情は、どういう意味を持っていたのだろう。物腰は柔らかく、心なしか町にいる時よりも言動も優しいように思えたが、その表情はどこか憂げで、少し疲れているように見えたのだった。

「ありがとう、ジュジ。もう大丈夫……」

 体を立て直し、振り返るとジュジの姿はなかった。また部屋の移動があったのだろうか、人々は次の部屋に向かって移動し始めていた。ファンは再び最後尾になっている。ジュジの代わりに後ろに立っていたのは、閉扉(へいひ)の役を務めていた玉兎だった。

「お若い方。顔色がよくありません、大丈夫ですか」

 幼い顔がじっとこちらを見あげていて、ファンは答えて頷く。金烏玉兎も、自分が生まれる前から居たのなら、先生のような不老の化生なのだろうか。お若い方、と言った金銀の目は姿以上の年月を感じさせた。

「幻を見て、少し。でも、大丈夫、平気です」

「強い幻に逢われたならなおのこと、それに心を寄せてはいけません。いくら幻が天のものとて、無理をして見れば心を(むしば)みます」

 はい、と静かに答え、ファンは次の扉の方へと歩き出した。ジュジは先に行ったのだろうか。後ろから玉兎がついてきているから、やはり自分が最後だ。近く使われた様子のない神官長の机を見て、ファンは黒衣の先生を思った。

「あの、玉兎さん」

 振り返り、ファンは銀の童子に話しかけた。

「なんでしょうか」

「せん……いや、神官長はここを離れる時、何て言っていったんでしょうか」

 童子は怪訝(けげん)そうに眉を寄せて、こちらを見返した。そして、間があって玉兎は静かに応える。

「少々、質問の意図をはかりかねますが」

 その目がちらりと長の机を見やる。

「――別段何も。少々空けているだけでございますから。さ、次は聖堂です。お進みくださいませ」

 先へ、と勧められてファンは慌てて次の部屋に駆けこむ。聖堂だという、そこはこれまでの部屋とはうってかわって、光にあふれていた。ファンは巡礼の列に紛れこんで、辺りを見回す。先に行ったはずの、ジュジを探さなければ。



蔽膝(へいしつ):上衣下裳の一部、裳(袴)の上に身につける、膝を覆う布。様々な文様が描かれている。

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