ひとり、入る
突然のことに、ファンは一気に不安でいっぱいになった。確かに中を見てみたい気持ちはあるが、シンと一緒だからこそ僅かでも恐怖を覚える御柱も大丈夫だと思えたのだ。それが一人で回るとなると、“あの夢”が現実になりそうで怖い。独りで、と問うと、シンは申し訳なさそうに笑ったが、違う、と首をふった。
「案内は今御柱に入った者全員一緒のはずだ。巫子がつくだろうし、天社の中で滅多なことはない。ともあれ、俺は入れんようだ」
シンは湖の道から岸へと下がり、先に座っていた草地を指して、あそこで待っている、と言った。
「神獣だから入れないんですか?」
「そういうことなのかもしれん。まぁ、入れんということは誰かが気付いているということだ。そのうち人が来るだろう」
そして再び、行ってこい、と言う。御柱の入り口の方では人がどんどん中に入っている。その横で初めに現れた二つの影が、こちらを向いているような気がする。待っているのだろうか。入口とシンの顔とを見比べて、その場で足踏む。
「大丈夫だ、ファン。急いだ方がいいぞ、道はいつまでも出ているわけじゃあない」
再度促されて、ファンも意を決めた。
「わかりました。行ってきます! 師匠」
今こそ静かに凪いでいる湖面を見て、ファンは駆けだした。近づくほどやはり御柱は大きい。扉の横にいる人影がだんだんとはっきりする。自分より年下の子供に見える。扉の左右に一人ずつ、ファンが駆けて来るのを見ている。
中に駆けこむと、子供が声をかけてきた。発声は同時、同じ声が左右から響く。
「お連れの方はいいのですね。扉を閉めます、進んでください」
間に合った、と大きく息をついていると、背後からの光が無くなった。扉が閉まったようだ。音もなく閉まったそれははじめと同じように一切継ぎ目なく、ぴたりと壁に変わった。中には巡礼の人がたくさんいた。一人で来たのはファンだけのようだが、中には子供もいるようだった。
御柱の内部は外見よりも狭く見えた。円形に見えた外観に対して、入った場所が四角形だから、他に空間を余しているのだろう。扉は見えないが、きっと入り口と同じだ。陽の光ほどではないが、所々で灯る不思議な灯りで中はそれなりに明るかった。火ではなく、蛍のような光だ。壁は何で出来ているのだろう。くすんだ銀色で、金属にも陶器のようにも見えた。
「皆さま、お揃いでしょうか」
入口に立っていた子供二人が声を揃えて言う。改めてみると、二人はまるでお互いが鏡に映った像のようにそっくりだった。あまりに整った顔立ちのせいで、男女の別がつかない。その目は特徴的で、二人とも金と銀の違い眼をしている。服は祭りの時でしか見ないような童子のもので、片方は濃い黄色、片方は明るい灰色だ。童子二人はこちらを見渡して、互いに頷くと黄色の方が口を開いた。
「皆さまご存じでしょうが、ここが御柱、天のおわす社にございます。ご案内いたします、我々は金烏」
「玉兎と申します。天社の管理と皆さまの御案内を仰せつかっております」
灰色が続いて名乗って、よろしくお願いします、と唱和した。左目が金なのが金烏で、銀なのが玉兎のようだ。童子が近くの壁に手を触れると入り口と同じように、そこが開いて扉となる。
「御柱は広く、扉は我々にしか開けません。ですから、この中にいる間は、我々から離れませぬよう。天社には時折幻が現れますれば、それに心囚われて迷われる方がございます」
不安げに顔を見合わせた人々を見て、童子はにこりと笑む。
「失礼いたしました。迷うと言っても我々の目の届く範囲、他にも官は居ります故、閉じ込められるということはございません。幻の語る間は我々も動きませぬ」
「ここは天社でございます。幻といえども天の御業。由あって、懐かしい人親しい人の姿を借りて、皆さま方に道を示すものにございます」
懐かしい人、と聞いて、もしかしたら、と思う。期待する心と恐れる心が交互に瞬いて、ファンの脳裏を駆けた。この場所で会えるとしたら。いや、会えるとしたらこの場所でだけだろうから。
こちらでございます、と童子たちが先導して、初めの部屋の右手に次の部屋への口が開ける。ぞろぞろと歩き出した人々に混じり、ファンもその歩みに加わった。
部屋に入るやいなや、近くにいた人が、虚空を見つめて驚いたように誰かの名を呟いた。どうやらさっそく幻が見えているようだった。まるでこちらが見えていないかのようで、しばらくして話が終わったのか、その人はうんうん、と頷いてまた列の中に戻った。それを見て、周りの人は嬉しそうに顔をほころばせた。自分の番が待ち遠しいのだろう。もしかしたら、彼らの巡礼も社よりは幻に会うためなのかもしれない。
その人を皮切りに幻は次々現れたようで、他の順列者もその後、懐かしさに頬を緩ませていた。