花鳥を見る
異界に戻ると、イェンジーは起きて、外に出ていた。
「おう、お前らか。そういえば、この花を描いて花見もしてねぇと思ってよ」
花畑の中にどっかりと腰を下ろし、回りの花を見ながら、水差しの酒をぐいとあおる。手元には紙と筆が置いてあって、手遊びに鳥や蝶を描き出しては、眺めて笑う。一夜の夢のような光景に満足そうなその表情を見て、二人は妙に気が抜けてその前に腰を下ろした。
「鸞殿の件だが」
言いかけると、イェンジーは良い良いと水差しを振って見せる。
「どうせその顔だ、小娘に逃げられたんだろ。まぁ、気にすんな。何でか知らんが、今日は気分がいいんだ、飲んでるうちにころっと気が変わるかもしんねぇぞ。ってわけだ、ほら、兄ちゃんも酒に付き合え。飲めんだろ」
イェンジーは筆をくるくると回し、手元の紙に盃と銚子を描く。瞬く間に花の上には一対の酒器が現れる。イェンジーに、小僧も飲むか? と問われてファンが慌てて首を振った。イェンジーに対して座したシンは盃を手に取る。
「すまない。ならば、付き合わせてもらおう。仙の酒など久しぶりだ」
「おう、うわばみの親玉みたいなもんなら、兄ちゃんも相当いける口だろ? 飲め飲め。小僧もこっちに来て座れ! 食いてぇもんがあったら言え。酒だって飲みたくなりゃ飲みゃあいい」
手招きされて、こちらの後ろに座っていたファンが立ちあがる。が、外の林の方を見て、そのまま立ちつくした。
「どうした、ファン」
「あ、あの、師匠。えぇと、おいでになって、ます」
依然硬直しているファンが、林の方を示してみせる。その目が唖然として見つめる先には、一人の少女。油煙の色に汚れた手足。乱れたままに伸びる煙色の髪。服の裾を掴み、こちらを睨むように見据える少女は、唇を不機嫌に結んでいる。
「昼間から酒たかるなんて、良い御身分ね」
思わず盃を取り落としそうになって、シンはそちらに向き直る。
「まさかいらっしゃるとは」
「そっちが言いだしたんでしょっ、あたしを描きたいって!」
火のようにその頬を赤らめながら、鸞は言う。
「……何と?」
尋ね返すと、鸞はさらに裾を手繰り握りしめる。煤けた細い脚が見えて、少女はわめくように答えた。
「だからっ! 描かれてあげるって言ってるのっ! 早くしなさいよ、帰るわよ!」
気がつけばイェンジーが横で本当に水差しを取り落としていて、前にのめりながら鸞を凝視していた。そして、その手で何度も左目と右目を交互に覆って、呟く。
「お前が本当に、あの小娘なんだな……?」
そして、イェンジーは俯きながら手にしていた筆をぎゅっと握った。俯き、そして、顔をあげると、そこには先ほどのとは見違えるような、真剣な顔があった。
「小僧、水だ!」
ファンに水差しを投げ渡し、慌てながらもファンがそれを掴む。空にある間に酒は零れ、水差しは空になってしまった。ファンは小川に浸し、水をくみ上げる。ファンから水を受け取ったイェンジーは水差しに口をつけ、水をぐびぐびと飲み干した。
「こっちだ、小娘! 庵で描く!」
「小娘って言わないで! あたしにはフーって名前が……」
「んなもん、後で聞く!」
イェンジーは鸞の手を引き、庵の中のただひとつあった椅子に座らせる。床に大きな紙を一枚敷くと二人に、退いてろ、といった。そして、その場の空気を張り詰めながら、筆を手にイェンジーはじっと鸞を見つめたのだった。