習作の少女
寝息は瞬く間にいびきに戻り、二人はとりあえず、といった感じで辺りを見回した。イェンジーと名乗ったこの男は、鸞が言ったように過ごしているのなら、起きては酒を飲み、気が向けば描き、そして、こうして眠っているのだろう。
「参ったな。どうやらこの御仁が絵を描くまでは、先に進めん」
仙人は得てして変わり者だと聞くし、知る限りの仙も確かにそうだと言えたが、よりによって今回もそういう偏屈者にあたってしまったようだ。この異界ですら、イェンジーが頓着せず、居座ることを許したからここに居られるが、もし敵とでも邪魔者とでも思えば、すぐにでもはじき出されるだろう。残れただけでもよかったのか。
「他に方法はないんでしょうか」
ファンは床に落ちている絵を見て、一枚一枚拾い集めながら、そう訊ねた。
「あるんだろうが……仙の術となると、俺は門外漢だ。だから、本人が解ければ一番早いんだが、無自覚に術を使っているのならそのすべも知るまい」
「やっぱり上書きしてもらうしかないんですかね」
ファンは床に落ちていた絵を集め終わり、卓子の上でとんとんと打ち揃えた。
「でも、こんなに綺麗な絵を、この人が描いてるってなんだか信じられませんね」
「人は見かけによらんということだな。……ちょっと待て、それを貸してくれ」
シンはファンから絵の束を受け取り、凝視する。花鳥の絵の中に数枚、人を描いた作品がある。筆遊びに描いたようなものだが、どうも見覚えのある顔。十五、六の少女の、座り込んだ絵だ。どれも後ろ姿や横顔ばかりで、人物画にしては良い向きではない。
「ファン、まだ山歩きできるか?」
シンは卓子の上に紙を置き、尋ねる。こちらを気にしながらも、食べ物を拾い集めていたファンは、果物を抱えて頷いた。が、小動物の無くような音がして、ファンはさっとその顔を赤らめる。
「す、すいません」
腹の虫を上から押さえつけて、ファンはこちらを見上げ謝る。それに応えて、シンは笑って首を振る。
「食べても構わんらしい、少し頂戴して腹に入れたらまた山に戻ろう。次は少し林の中に入る」
「林に、絵の人に関わるものがあるんですか?」
「絵の雛型に覚えがあってな。それと、ひょっとすると仙の術を解く方法が得られるかもしれん」
そこまで言うとファンも、合点がいった、という顔で頷いた。絵の主は当分起きる気配がない。二人はとりあえず庵の床に腰かけ、男が描いたという食べものに、おずおず口をつけたのだった。
腹ごしらえを済ませ、異界から出ると日は真上から照らしていた。山の上とはいえ流石に暑さを感じるが、山の上へと吹きあがる風のおかげでそれほど酷に思わず済む。
「とりあえず、また切り割りの方へと向かうか」
「その、鸞という人を探しに行くんですよね?」
ああ、と頷いて返し、その表情を険しくする。
「逃げられなければよいのだが。あの人は姿を見られるのを極端に嫌う」
鸞ほどの聖獣なら同じ場所にいれば場所も知れるが、それは向こうにとっても同じだろう。顔見知りということで、向こうがあまり警戒していなければいい。とりあえず、先ほどのように藪の向こうでもいいのだが。