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四神獣記  作者: かふぇいん
赤の国の章2
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桃源郷

「師匠、これって……」

 ファンがこちらに尋ねて来るが、シンとしても答えようがなかった。一面に広がる花はすべて咲き誇り、様々な鳥が頭上で歌う。水の流れる沢は陽に照らされてきらきらと、底の玉石は白く輝く。近くに果樹があるのか、花の香に混じり水菓子の匂いがする。そして、その奥、山の岩肌が深灰色にあらわになっている手前には小さな庵が建てられていた。

 頂上まではまだ遠いとしても勾配の厳しくなってきた中腹に、このような開けたところがあるはずはない。その上、金環山は天の傍元(そばもと)。山の中に家を建てようとすることは不届き、とされてきたのだ。ならば、この光景は異常。

「少しここで待て、ファン」

 林の切れ目から、花の上へ足を踏み出す。四凶の気配はないが、踏みこんでみるとやはり外とは異なる気が漂っていた。花の香も沢の水も、シンにとってはやや強すぎるほど香を立てている。そして、踏みこんでから微かに漂う酒のにおい。

「――異界か」

 そこにあって、そこにない空間。繋がりながらも、閉ざされ隔絶された場所だ。しゃがみ込み、掌を地に伏せる。この場を覆う気を手繰る。あたかも、当たり前のように存在する、当たり前でないこの絶景には、目的や手段ならば持つ積極性を欠いていた。拒絶や排除のような害意も、歓待する意志もない。ただ、存在しているだけの(くし)び。

「ファン、注意して入って来い。大丈夫だ」

 ファンが恐る恐る前に踏み出し、確かなのを確認して、シンの隣に寄る。

「師匠、ここっておかしいですよね」

 ファンはしゃがみ込み、足元に咲く白く小さい花に触れながら、こちらを見あげて言う。

「この花、確か今の時期は咲かないんです。この時期は若芽を薬にするんだって、先生が」

「ああ。それ以外にもおかしいところがある。気の流れもな。ファン、桃源郷というのを聞いたことがないか?」

ファンは立ち上がり、頷く。

「たしか、昔話に、仙人の住む、(うれ)いのない国だって」

「そうだ。もとは天に仕える仙が、外に干渉を受けずに業を行うために作り出す異界だった。おそらく、ここもそうだろう」

 何のためにかはわからないが、シンが知る限りここまでの異界はそうお目にかかれるものではない。天から誰か遣わされているのか。

「仙人がいるってことですか?」

「たぶんな。だが、誰が出て来るというわけでもないようだ」

 こちらに用があってのことではなさそうだ。シンは辺りを見回す。庵の中か、どこかに主がいるのだろうが、出て来る気配もない。

「行こう。用のない者があまり異界に留まってもな。抜ければ、峠だ」

 花の上を突っ切って、再び林の中に入る。異界で見えていた岩壁は外に続いている。辿れば黄の地に抜ける切り割りがあるはずだ。

 少し歩いて、再び足を止める羽目になった。目の前にはずっと続いていた岩壁。黄の地まで続くはずの道は、そこで途切れていた。否、途切れされられた、というのに近いか。ファンもそれが尋常でないのがわかるのだろう。走り出て、ぺたぺたと岩壁に触れる。

「普通の岩、みたいですけど……」

 シンも岩壁に手を触れる。岩はひやりと冷たく、紛うことなき本物の質感。だが、微かに。

「ファン、龍化してここに触れてみろ。大丈夫だ、集中すればできる」

 ファンは静かに頷き、深く呼吸する。ざわ、と風が騒ぎ、その周りで吹くと、次の瞬間にファンは龍化していた。毎日の練のおかげか、随分滑らかにできるようになった。充分。そう頷いて見せるとファンはほっとしたように笑った。道から外れた岩壁の部分と、道があったはずの岩壁に触れさせる。

「その状態なら、わかるな?」

 ファンは順々に岩に触れ、正面の岩に触れてはっとした表情で振り返った。シンはそれに応えて頷く。

「ここからは、あの異界と同じ気を感じる。それに、酒と……微かだが墨のにおいだ」

「字を書く、墨ですか?」

「ああ。戻ろう。あの異界の主に話を聞かなければな」

 はい、と返事をして、ファンは龍化を解く。岩壁を後にしようと、二人が踵を返すと、その上をさっと影が覆った。続いて、大きな羽音。(ふもと)で聞いた鳥だろう。ファンが隣で体を強張らせたのに気付き、シンは降り立ったであろう林の方に目を凝らした。

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