御柱の地
「やはり、御柱に行くしかないか」
一息つき、茶が出された頃にシンは切り出した。
「陽山がまた騒ぎ始めたからの。しばらくはあの辺りは通れまい」
朱明が言う。騒ぎが収まって見ると、来た時のような微かな揺れが何度も続いているのがわかった。使いの話を聞いた南王によれば、噴火はいつ起こってもおかしくはないと言う。
「金環山を越える道が、今一番安全よ。そして、中央から西へ抜けるのがいいと思うの。山の周りの民も今避難しているから、あの辺りでは宿もとれないでしょうし」
「陽山にいる姉上から、しばらく塒をあけると使いの鳥が来た。姉上が山を離れるということは、此度は相当荒れるに違いなかろ」
「鸞殿が? そうか。ならば、仕方ないな」
山の主が離れるとなれば、普段ならば安全で穏やかな道も、ただ長く危険な道になる。だが、それを避けて進む道も、中央を守る天嶮、金環山を越えるものだ。多少の心配や不安は付きまとう。話しあいを聞いていたファンが、ふと口をひらく。
「御柱は、その……怖いところなんでしょうか」
不安げな顔だった。ファンにしてみれば、ただ御柱と言っても自分が生まれた場所である。バクは生まれたばかりのファンを連れて、逃げるようにそこを離れた。それを知るがゆえの問いだろう。
昼間、久しぶりに仮親と顔を合わせて安心したからだろう、ファンは話している途中で倒れるように寝入ってしまい、シンが途中でそれを引き継いだ。バクは呆れ笑いしていたが、嬉しそうだった。向こうも向こうで心配し通しの上に、ずっと傍にいた子がいないとやはり寂しいと言う。ファンと神獣の力の件を話すと、少し驚いた顔をしたが、さもありなん、といった様子で頷いた。中央は四つに分かれた四方の力が集い、その調和をとる場所、中央の気はどこの力とも馴染みうる。
経路の都合、御柱に連れていく、と言うとバクは顔を曇らせた。あの場所は聖域であって、様々なものが集まる場所。神官だったバクには四凶の復活が気がかりなのだろう。
「気を付けてください。あの場所ほど、天意に左右される場所はありません。ファンをお願いします」
もちろんだ、と応えると、ファン宛ての言伝をいくつか聞いて、繋がりを切った。バクの心配する少年はそれを知ってか知らずか、御柱に向かうことを聞いてからか心なしか表情がこわばっている。
ファンの問いに、心もち頬の赤い南王が、微かに笑みを湛えて答える。
「御柱は聖地よ、中つ国の人間ならば、一度は訪れたいと思う場所。かつて混沌に覆われて強大な魔が支配していたこの国を、光を持って治めた天のおわす場所。恐ろしいことなどありはしないわ」
「そう、ですか」
答える声に元気はない。何か言いたげな表情で、こちらの顔を見回す。
「どうした。バクの話が気になるのか?」
ファンは少し俯き、口を開く。
「それもあります」
そして、少し言い澱みながら続ける。
「気のせいかもしれないですけど、師匠も先生も、南王様も朱明さんも、御柱の話をする時、ちょっとだけ険しい顔になるんです。ただ、畏まるっていうよりは……だから」
「我らが天を怖がっているのではないか、と」
朱明がファンの後を取って続ける。南王、朱明と視線が合って、シンはため息をつく。ここまでくると、覚られるにもほどがあると言えるが、それだけファンはこちらを見ていたのだろう。漂う沈黙に、ファンは慌てた様子で頭を下げた。
「すいません! こんなことを言ったら罰があたるってわかってます。いや、きっと気のせいだって――」
「それは気のせいではないぞ、少年。のう、句芒」
ファンの言葉を制して、朱明がこちらに語りかける。頷いて返すと、ファンが驚いた顔でこちらを見る。
「ただ、怖いかどうかは俺でもわからん。ただ、天の意は俺達ですら未だに計れん。ただわからんだけならどうにでもなるが、天には俺達にくれてやるほどの力がある」
「信用しておるが、付き合い方が未だにわからぬ友人、という感じかの」
朱明がそう言うと、南王が口を開く。
「まぁ、人間の方からすれば、わからないだけで充分怖いものよね。私も、火王もそう思っていたようだし。でも、天は暗い世を照らして、平和な世界を望んだ。充分、“善い人”だって思わない?」
南王がファンの方に目配せし、ファンは幾分か明るい顔で応えた。
「それなら、ずっと前から御柱は見てみたいって思ってたんです。天まで届いているって本当ですか?」
ああ、と答えると、ファンは目を輝かせた。それに朱明が説明を足す。
「天へと続く地ゆえに、人はあの場所に答えを求めに行くというな。答えが返ってくることもあるというぞ。ならば、少年、そなたの抱える疑問もあるいは解を得られるやもしれぬ」
「楽しみにしているといい、あの光景は壮観だ」
御柱は暗き地にたてられた光の剣だ。そう言ってやると、ファンは嬉しそうな顔をした。これなら、バクの心配も杞憂で済むだろう。
「なら、充分に体を休ませておかないとな。御柱までの道は険しいんだ。明日中には用意を終わらせておくぞ」
頷くファンを見て、こちらも充分に満ちたような気持ちになる。話しながらでは冷めがちになる茶を急いですすり、シンもようやく息をついた。