第伍章
私が、宿の部屋で壱人、緑茶を飲んでいると、やたらと宿屋の中が騒がしくなった。
すると、私の部屋に東がやって来て、
「今日から来た団体客だとよ。はぁあ〜、寝みぃな。」そう言って、私の部屋に寝転がった。
「其れなら、自分の部屋に行けば良いだろう。布団も、ちゃんと弐組あるはずだが。」そう言う私を他所に、本格的に寝息を起て始めた。刀を横で拭っているというのに、よく寝られるものだと思いながらも、私は、東を起こさずいたら、
「甘やかすとろくな事にならぬ。特に東の様な者は。」と、言いながら、鏡夜も私の部屋へと入って来た。そして、
「つい先日、此の近くで約参拾人程の酔っ払った浪士が、全員斬られた。」と、私に言ってきた。「其れで?」と、刀を見ながら言った私に対し、「其の頃、新撰組が、夜の見廻りとやらをしていたらしい。」と、鏡夜は続けて言った。
「何が言いたい。」そう睨み付けた私に対して、鏡夜は、「新撰組に斬られぬ様、用心しろと言っている。」と、睨み返された。
「俺が負けるって、意味じゃないんだろう。…怪しまれるなという、意味か。」と返すと、「当たり前だ。」と冷静に返された。
…そう、私達は、お互いに、自分が壱番大事な、参人集なのだ…。
東を残し、紫癒の部屋を出た俺は、壱人、小さな声で呟いた。
「…此れでいい。……恋心は我等を狂わせ、接吻は我等を人に変える。」
…そう、其れは我等月の者の秘密。
何があろうと、紫癒と東には教えてはならない。
姫様が、此の俺に託された秘密。……是が非でも守らねば。
俺は、冷たい秋風が吹く中、壱人、光和堂へと辿り着いた。
団体客なのだろう、入口はとてもじゃないが、入れる雰囲気ではなかった為、俺は裏口から宿内に入った。
其の時、中庭に出て来る壱つの人影が見えた。
其の人影は、紛れもなくお紫癒だった。
「紅葉が綺麗だな。」
そう、壱人呟いたお紫癒に、俺は話し掛けようとした。
けれど、壱度躊躇い、先に、考えを纏める事にした。
先日の不逞浪士の件は、俺と総司が御用改めをした事になっているから、問題はない。新八も問題なく、黙っていてくれるだろう。
……しかし、お紫癒が月の者だと?
本当にそうなのだろうか……。
けれど、不思議と俺は、お紫癒が月の者というのは、本当だと、心の何処かで確信していた。
だから、お紫癒が自分から、言い出さない限り、知らない振りをしようと思った。
そう、あいつの言葉で、あいつが言わなければ、意味がない事だと、俺は思った…。
そして、俺が考えを纏め終え、話し掛けようとした時、奥から壱人、男が現れた。
背は俺より少し低く、年の頃は、俺とあまり変わらないであろう男が、
「寒くねぇの?あんまり勝手すると、鏡夜にまた何か言われるだろ。」そう言う男にお紫癒は、「東、俺は鏡夜の家来じゃないんだ。お前も鏡夜の家来じゃない。」と、冷静に返した。
「新撰組の事は…さ。鏡夜なりに色々考えて言ったんだと思うぜ。確かに鏡夜の言い方は、どうかと思うけど、実際、悪気はないと思うぜ。」と、男が言ったのを聞いて、俺は、嫌な汗をかいた。
「話した事も無い奴等の事を、悪い奴等だと決めつける。…あの考えが俺には解せないんだ。」
そう真剣な表情で話すお紫癒の顔を見て、俺の額を流れる嫌な汗は止まった。
「けど、此の前は、其の考えもやむを得ないだろうって、言ってたじゃねぇか。」
「あの時は、……ああ言う様に、鏡夜に頼まれたんだ。冠檸とかいう娘がいたろ?あの娘を諦めさせる為とか何とか。で、其れに協力してくれって言われて。」
「ん?何だそれ?其れじゃまるで、あの冠檸って女がお前に惚れてたみてぇじゃねぇか。」
「…だよな。でもいくら成りは男でも、中身は女だ、俺は。」
「……まあ、冠檸って奴も、最近は現れなくなったし。いいじゃねぇか。な!」男はそう言って、宿の中へと壱人、入って行った。
男が中に入ったのを確認してから、俺は、『冠檸』という奴との事を聞こうと、お紫癒に話し掛けた。
「よっ!お紫癒、元気にしてたか。」そう言いながら草影から入って来た俺を見て、
「嗚呼、…其の…、お紫癒っていうのは、初めてだ。」と照れた様に言った。
俺は、静止しそうになったのを抑えて、「さっきの話してた奴って、…お前の身内か?」と、聞いた。
「嗚呼、兄の様であり、弟の様なものだ。」そう冷静な表情に戻って言った。
「そうか。……偶然聞こえたんだが、冠檸ってのは……。否、言いたくねぇ様ならいいんだ。無理にとは言わねぇ。」
そう言う俺を前にお紫癒は、「『米沢屋』って酒屋の娘だ。もう壱人の兄の様な奴の事を、大分好いていたんだが、…弐ヶ月程前に、そいつが振ったんだ。其の酒屋の娘をな。」俺の顔が、余程気にしている様に見えたのか、お紫癒は、
「何て顔するんだ。気にしないでくれ。身内の色恋沙汰だ、原田。」そう言って、俺の右頬を撫でて、笑った。
少しして、お紫癒は、俺の頬から手を離し、
「またな。」と微笑みながら言い、宿の中へと、戻って行った。
俺は、其の姿が見えなくなる迄、お紫癒の笑顔に見とれていた。