第参章
俺と総司は、『月詠 紫癒』と、名乗った女が去った後も、弐人して、暫く其の場に固まっていた。
正直、初め俺は、俺に対してガンを飛ばしてきたあの女に、苛ついた。
女にガンを飛ばされたのを初めてだった。男なら慣れているものを。
とすら、思っていた。
だけど、嗚呼も表情がころころと変わるもんなのか。
人を斬った後の、あの冷静な顔、あの愛らしい泣き顔、あの涙に驚いた時の、両目を満丸くした少し可笑しな顔、
そして、極めつけは……
…あの小柄な容姿を、思い切り抱き締めたくなる様な、愛らしい笑顔。
一体、何だってんだ。動機が止まらねぇ。其れに身体中が、火照る様に熱い。俺があのガン飛ばし女に惚れただと。有り得ねぇ。いくら何でも、あんな、男みてな女なんかに。
俺は、そう思いつつも、あの笑顔が眼に焼き付いて、どうしても、忘れられなかった。
僕が、我に帰って、左之さんを見た時、左之さんは、今迄見た事も無いくらい頬が赤かった。
其の時、僕は、直感的に感じた。
左之さんは、お紫癒ちゃんに惚れている。間違いない。
という事は、僕は、左之さんと、戦わなければならないという事だ。
…まさか、あんなに可愛くて、愛らしい笑い方をするなんて、考えてもみなかったな。
…でも、僕だって…。
絶対に負けないからね。…左之さん。
と、心の中で呟いた。
そして、見廻りの帰り道も、僕等は、お互いに、壱言も、言葉を交わす事なく、屯所へと、帰って行った。
私は、原田左之助、沖田総司両名と出逢った、其の次の夜も、また宿を抜け出し、昨夜、酔っ払いの出た所に向かう途中にある、『神金川』と呼ばれる川の上に架かる『神金橋』で壱人、風を浴びていた。
そして、私は、壱人の人影が、私に近づいて来るのを感じた。
「ったく、お前、本当に女か。」と、其の人影は溜め息混じりに聞いてきた。
「原田…」私は、ただ壱言、そう言った。
「なんだよ。そりゃあ、いくら何でもねぇだろ。苗字に呼び捨てって。」と、彼は、怒った様子で言った。
そして私は、「じゃあ、何と呼べば良い。原田左之助か?」そう聞いた。
「だから、あるだろもっと、色々とさ。」と、彼は呆れた様子で答えた。
私は、頭の中を色々と張り巡らせたが……、
「…すまない。其の弐つ以外、思い浮かばん。」「あのなぁ。」そう、心の底から呆れた様に、私の隣に、橋に腕を掛け、彼は言った。
そして其の後、暫くの間沈黙が続いた。
そして、「なぁ、夜中に壱人で出歩くの、家の人とかは、何も言わねぇのか。」そう何処か寂しげに、彼は聞いてきた。
「否、私が身内では壱番強いからな。其れに、私の壱族は、内輪揉めは絶対にしないからな。」そう私がはっきり物を言ったのを見て、彼は、
「今日は会話してくれるみてぇだな。」と、言ってはにかんだ。
「壱族の慣わしに、乗っ取っただけだ。」と、私が言うと、「そうか。」と、短く呟いて、私の格好を見てから、
「寒くねぇのか?」と、心配した面持ちで、彼は私に聞いてきた。
私自身、鏡夜と東以外に心配など、ろくにされた事が無かった為、どうして良いのかわからない半面、昨日も確か心配されたよな?という気持ちもあり、ただただ私は、何も言わず、壱人考えていた。すると突然、背中から、温かい人の体温が伝わってきた。慌てて後ろを振り返って見ると、彼が私を、背後から軽く抱き締めていた。
「…………。」どうしたらいいのか解らず私が、何も言えずにいると、頭の上から、
「温けぇだろ。」と、優しい声で彼は言った。
私は初めての経験だった為に、全く、何も解らないまま、ただ黙って頷いた。
俺は、今夜は非番だったけれど、昨日会った、あの女の事が気になって、仕方がなった。そして、其のせいでなかなか寝付けず、俺は、昨日あの女と会った場所へと向かった。けれど、其の道中、俺は、昨日と同じ人影を見かけた。あの女は、壱人橋に腕を掛け、夜風に当たっていた。其の様子を見て、思わず俺は、また数秒見とれた。
そして、
「ったく、お前、本当に女か。」と、お紫癒に聞いていた。
するとお紫癒は振り返って、
「原田…」と言った。
「なんだよ、そりゃあ、いくら何でもねぇだろ。苗字に呼び捨てって。」俺は、他の隊士達に呼び捨てにされるのは、年がら年中だったが、女に呼び捨てにされたのは、初めてだった。
するとお紫癒は、
「じゃあ、何と呼べば良い。原田左之助か?」そう真顔で聞いてきた。
俺は、其の答えに苛ついた。
何故だかは知らねぇが、俺は、こいつにだけは、呼び捨てにされるのは、『ぜってぇ嫌だ。』と、感じた。
「だから、あるだろもっと、色々とさ。」と、彼が言うと、
お紫癒は、色々と考えている様子だったが、
其れもまずおかしいだろうと、言いたい気持ちを俺は抑えた。
だって、昨日あいつ等をあの速さで斬っていた奴が、こんな事で考えを巡らせているなんてよ。
俺の中で、おかしさが苛々を抜いた。
「…すまない。其の弐つ以外、思い浮かばん。」そう、本当に申し訳なさそうに言うお紫癒を見て俺は、「あのなぁ。」そう、心の底から呆れた。そして、俺はお紫癒の隣で、橋に腕を掛けた。
そして其の後、暫くの間沈黙が続いた。
そして、「なぁ、夜中に壱人で出歩くの、家の人とかは、何も言わねぇのか。」と、俺が聞いてみると、
「否、私が身内では壱番強いからな。其れに、私の壱族は、内輪揉めは絶対にしないからな。」
という、不思議な回答が返ってきた。お紫癒が壱番強いのは未だしも、内輪揉めは絶対にしないってのは何の事だ?俺達新撰組が内輪揉めしているとでも言いたいのだろうか。そんな事を考えていると、俺は、昨日と違い今日は、お紫癒がしっかりと会話をしてくれている事に気が付いた。
「今日は会話してくれるみてぇだな。」と、はにかみがちに俺が聞くと、「壱族の慣わしに、乗っ取っただけだ。」と、お紫癒は何でもない事の様に答えた。
「そうか。」と、俺は短く呟いただけだったが、先ほどからの、『身内』そして、『壱族』という言葉が俺は気になっていた。
やはり、何処かの密偵か何かなのだろうか。そんな事を考えていると、ふと、俺は、お紫癒が薄着な事に気が付いた。
「寒くねぇのか?」と、聞いてやると、何やら不思議そうな顔で此方を見てきた。俺は、羽織物を持っていなかった事に気付き、仕方なく、後ろから抱き締めてやったつもりだったが、抱き締めた事に気付くと、慌てて後ろを振り返り、俺の顔を見て俯き、黙り込んだ。
少しして、沈黙に耐えきれなくなかった俺が、
「温けぇだろ。」と、言うと、頬を淡い桃色に染めたまま、何も言わず、ただ黙ったまま、お紫癒は頷いた。
そんなお紫癒を見て、俺は、抱き締めている力を、ほんの少しだけ強めた。