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第八章:帰還と報告(想定外の戦果と評価の再構築)

8-1. 素材の回収(解体):想定外の高純度な魔力


翌朝、山頂を支配していた狂乱の猛吹雪は嘘のように止んでいた。

 石造りの観測所の窓から差し込む朝日は、昨日までの死闘を象徴するかのように、冷たい石床に横たわる「最大の脅威の残骸」――アイス・エイプ変異種の巨体を冷酷に照らし出している。


(……さて、いよいよ『収穫』の時間だ)


一晩の休息により、完全に底を突いていた魔力はある程度の水準まで回復していた。だが、極限の戦闘を強いられた全身の筋肉は依然として鉛のように重く、限界を訴えて悲鳴を上げている。それでも、僕は気力だけで硬い寝台から這い出した。目の前にある莫大な成果を放置しておくことなど、絶対に許されるはずがない。


解体作業を主導したのは、バルガスだった。彼は手慣れた手つきで、予備の短剣を巨体の強靭な関節へと滑り込ませていく。


「見ろ、小僧。この毛皮の密度、それにこの異常な硬度だ。こいつはただのアイス・エイプじゃねえ。……極限の環境に適応した変異種だ。」


バルガスの言葉通り、熟練の刃によって剥がされていく純白の毛皮は、朝日に触れても決して溶けることのない、永久氷壁の結晶のような眩い輝きを放っていた。


「キース、これ見て! 凄い……こんなに大きくて透き通った魔石、私、今まで一度も見たことないわ!」


血まみれのリィンが、アイス・エイプの心臓部から摘出された魔石を両手で高く掲げた。それは、通常のアイス・エイプから採取される薄青色の石とは全く異なり、深海のような濃紺と、中心部で脈打つ不気味なほどの魔力を秘めている。


(……事前の予測を遥かに上回る成果だな)


僕は痛む身体を引きずりながら手帳を取り出し、即座に現場での簡易鑑定を開始した。


「バルガス、その毛皮は刃こぼれや損傷を最小限に抑えて剥いでください。特に首回りの剛毛は、極寒地用魔導具の極めて優秀な基材として、相当な高値で取引されるはずです。シノ、君があの極限状態の中で、一部の狂いもなく正確な火種を投下してくれたおかげで、最も価値の高い毛皮の評価額は、ほぼ無傷で保たれている。……完璧な魔法だった」


「……ありがとう。……ただ、必死、だったから」


シノは短く答えると、照れを隠すように、まだ少し震える手で自身の木杖を大事そうに握り直した。彼女の火種という最小の魔法は、結果としてこの巨大な素材を微塵も毀損させることなく回収するという、最高効率の莫大な価値を生み出したのだ。


「へっ、どこまでも計算高いのは相変わらずだな。俺の斧が折れた損害も、こいつの爪の欠片でも売ればたっぷりとお釣りがくるんだろ?」


ガラムが、布でガチガチに固定した脇腹を抑えながら、痛みを堪えてニヤリと笑う。


「当然だ、ガラム。君の戦斧の破損は、今回の全員生還のために避けられない代償として全額計上する。今回の素材の売却代金から、君にはより上位の魔力付与エンチャントを施した頑強な戦斧を新調するだけの予算を最優先で割り当てるつもりだ。……これはパーティーの将来的な戦闘力向上のための、未来への備えでもある」


「ははっ、そいつは嬉しいぜ!」


解体が進むにつれ、冷たい観測所内にはむせ返るような獣の血の匂いと、それ以上に圧倒的な富の気配が満ちていった。

 極めて純度の高いアイス・エイプ変異種の魔石。

 氷結剛毛の傷一つない完品。

 そして、希少なポーションの材料となる、無傷の様々な内臓器官。


これらを現在の市場価値に換算すれば、今回の昇格試験の正規の報酬額など、誤差のような端数に過ぎないほどの莫大な金額になるだろう。


「……バルガス、一つ確認ですが。この変異種の完全討伐。これは、当初ギルドが設定したDランク昇格試験の評価要件を、遥かに逸脱していますよね?」


僕は、血塗れの短剣を無造作に拭う監督役に静かに問いかけた。バルガスは解体作業の手を止め、真っ直ぐに僕を見つめ返した。


「ああ、当たり前だ。本来ならBランクの熟練パーティーでも、手を焼くような案件だ。それを、昇格試験中の未熟な小僧たちが、咄嗟の機転で完全に片付けちまった……」


バルガスは、感嘆とも呆れとも取れる重い溜息を吐いた。


「小僧、お前がやったのはもはや試験なんて生易しいもんじゃねえ。……全滅確定の絶望的な状況を完全にひっくり返して、最高級の獲物を分捕って、誰一人欠けさせることなく生還させやがったんだ。ギルドの連中、腰を抜かすどころか泡を吹いてひっくり返るぜ」


厳格な監督役による、この「異例の最高評価」。

 それは、僕にとって金貨数百枚以上に価値のある、市場における絶対的な「信用」の獲得を意味していた。


(……素材の回収、完了。監督役の絶対的な承認、確保。……次は、この『成果物』を持ってラグリマへ凱旋し、ギルドに対して僕たちの正当な報酬を突きつける番だ)


僕は回収した濃紺の魔石の冷たさを掌に感じながら、頭の中の計画を速やかに次の段階へと推し進めた。目的地はラグリマ。そこで待つエレン、そしてあの底知れぬギルドマスターに対する、最大の目的に向けて。


8-2. ラグリマへの凱旋:満身創痍の帰還


雪山の過酷な白銀が遠ざかり、視界に懐かしいラグリマの石造りの街並みが見えてきた時、僕たちの乗る荷馬車は、お世辞にも「誇り高き凱旋」と呼べるような代物ではなかった。

 幌は鋭い風雪と衝撃で無残に引き裂かれ、負担をかけすぎた車輪は断末魔のような悲鳴を上げ、御者台に座る僕の顔は極度の疲労で土色だ。荷台には、中級ポーションで最悪の事態は脱したとはいえ、未だ痛みの残る身体に包帯を巻いたガラムとバルガスが揺られている。


(……ようやく、この消耗を強いるばかりの悪路ともおさらばか)


僕は、手綱を握り直し、ラグリマの西門をくぐった。門番の兵士たちが、今にも崩壊しそうなボロボロの荷馬車と、その御者台に座る僕の幽鬼のような姿を見て、ぎょっとしたように槍を取り落としそうになる。


「おい、あれ……昨日山頂への昇格試験に行ってた連中じゃないか!?」

「救難要請による試験中断の報せが来てたはずだぞ! あの猛吹雪の中から生きて戻ったのか!?」


野次馬たちの騒る声を背中で完全に聞き流しながら、僕は馬車をギルド本部へと直進させた。僕にとって重要なのは、世間の無責任な評判などではなく、一刻も早くこの「莫大な成果物」を正規の窓口に提出し、確実な報酬を受け取ることだ。


冒険者ギルド・ラグリマ支部のロビーは、僕たちが足を踏み入れた瞬間、異様な熱気と混乱に包まれていた。

 本来なら昨日のうちに「試験中断」が正式に発令され、莫大な経費をかけた救助隊の編成が進められていたはずだ。巨大な依頼掲示板の前では、事情を知る冒険者たちが「あんな猛吹雪じゃ生存は絶望的だ」「中堅目前の若造が四人も無駄死にした」と、勝手に僕たちの全滅を予想して大声で騒ぎ立てていた。


その騒々しい混乱の中心、受付カウンターの奥で、いつもの完璧な冷静さを失って青白い顔で指示を飛ばしていたのが、エレンさんだった。


「救助隊の特別予算の承認を急いでください! 監督役のバルガスさんがついているとはいえ、あの高度での足止めは間違いなく致命傷に――」


彼女が悲痛な声で叫びかけたその時、ギルドの重厚な扉が開き、僕たちは静かに姿を現した。

 一瞬、ロビーの騒音が真空に吸い込まれたかのように完全に消え失せた。


「……ただいま戻りました、エレンさん。昇格試験の『討伐証明』を持参しました」


僕の声は、極限の疲労でカサカサに乾いていたが、水を打ったように静まり返ったロビーにはっきりと響き渡った。エレンさんは手に持っていた決裁書類を床にぶちまけ、信じられない幽霊でも見るような目で僕を凝視した。


「キース……くん? あなた、本当に……生きて……」


「ええ。多少の治療費はかさみましたが、パーティーメンバーは全員無事です」


驚愕に固まるギルド職員や熟練の冒険者たちを無言でかき分け、僕は背負っていた一つの「分厚い布袋」を下ろし、カウンターの木板の上に無造作に置いた。

 ドスン、と重厚な音が響き、布の隙間から尋常ではない冷気が白く漏れ出す。


「何だ、その袋は……?」


一人のベテラン冒険者が、恐る恐る近づいてくる。僕は無言で袋の紐を解いた。

 中から現れたのは、ギルドの魔石灯に照らされて妖しく、そして暴力的に輝く、濃紺の巨大な魔石。そして、純白というよりは透明に近い、氷の結晶を複雑に編み込んだようなアイス・エイプ「変異種」の剛毛の束だった。


「なっ……嘘だろ!? これ、アイス・エイプの魔石か!? それもこの異常な大きさ……ただの個体じゃねえぞ!」


「冷気が……全く消えてない。これほどの高純度な素材、ラグリマの市場でだって一度も見たことがない代物だ!」


静寂は一転して、怒号のような凄まじい喧騒へと変わった。

 冒険者たちが先を争うようにカウンターに群がり、その「圧倒的な成果物」を食い入るように見つめる。エレンさんは震える手で魔石に触れようとしたが、そのあまりの刺すような冷たさに、思わず指を引っ込めた。


「キースくん……! 本当に無事だったのね。バルガスさんから緊急の救難要請が届いて、試験は即時中断されたと聞いていたから……。でも、それなら一体なぜ、その袋にそんな異常な『戦果』が詰まっているの……?」


「ええ。運搬ルート上に、事前の調査にはなかった致命的な『予期せぬ障害(規格外の魔物)』が発生しましたが、依頼達成のために、現場での完全討伐を完了させました。……詳しい経緯については、こちらの監督役から直接報告していただきます」


僕が背後を指さすと、折れた肋骨を庇うようにして、バルガスがガラムに付き添われながらゆっくりと歩み寄ってきた。彼の姿を見た瞬間、ロビーは再び息を呑むように静まり返る。Bランクの実力者である彼が、それほどの深手を負っている。それが、今回の「案件」の異常性を何よりも雄弁に物語っていた。


「……エレン。こいつの言う通りだ。今回の試験は、ギルドの完全な事前調査ミスだ。……俺たちは、DランクどころかCランクの精鋭パーティーでも手に負えねえ『変異種』と真っ向からやり合った」


バルガスは、カウンターに重い拳を叩きつけ、周囲の冒険者たちを鋭く睨みつけた。


「だがな……この小僧が、ありえねえ論理でそのバケモノを崖から突き落とし、最後は想像もつかねえ物理の理屈で、変異種のアイス・エイプを完全に屠りやがった。……俺が監督役として保証する。今回の試験は、ギルド史上最も『規格外の利益』を生み出した、伝説的な一戦になるぜ」


その絶対的な宣言を合図に、ギルド内は再び爆発的な混乱――いや、熱狂の渦に包まれた。

 Dランク昇格試験の最中に、想定外の規格外の魔物を、知略と執念で屠り、誰一人欠けることなく生還した。

 その事実は、瞬く間に街中を駆け巡る爆発的な熱気となって、ラグリマの街全体を大きく揺るがし始めたのである。


8-3. 監督役バルガスの『最終報告』:戦場環境の支配と評価


ラグリマ冒険者ギルドの二階。一般の冒険者は立ち入ることのできない「特別査定室」の空気は、重苦しい沈黙と、焦げ付くような困惑に支配されていた。

 長机を囲むのは、ギルドの運営を司る三人の幹部たち。そして、その奥の上座で静かに腕を組む、最高責任者であるギルドマスター・アルタリアだ。

 彼らの視線の先、中央の椅子に深く腰掛けたバルガスが、痛む胸を押さえながら重い息を吐き出した。彼の身体には折れた肋骨を庇うようにさらしが巻かれているが、その双眸に宿る歴戦の覇気は全く衰えていない。


「……以上が、今回のDランク昇格試験における一部始終だ」


幹部の一人が、バルガスの口頭報告の内容を頭の中で反芻し、信じられないといった様子で声を震わせた。


「バルガス君……君の報告が事実だとしたら、このキースという受験者は、Bランクの君ですら死を覚悟した『アイス・エイプ変異種』に対し、空気の操作と、ただの暖房用の炭だけで引導を渡したというのか」


「ああ、そうだ。ただ力押しで倒したなんて生易しいもんじゃねえ。……奴は戦場そのものを完璧に手玉に取って、最小限の危険で、最大級の獲物を狩り取りやがったんだ」


「暖房用の炭を空中に散布し、それに着火して爆発させる……いわゆる『粉塵爆発』か」

 元高ランク冒険者でもある別の幹部が、顎を撫でながら深く唸った。

「理屈はわかる。だが、あの猛吹雪が吹き荒れる山頂で、どうやって粉を散らさず、着火に必要な空気の密度を維持した? 常人の魔法操作の処理能力を遥かに逸脱しているぞ。……もはや芸術的なまでの戦況の支配だ」


彼らのプロフェッショナルとしての驚嘆を裏付けるように、上座のアルタリアが静かに口を開いた。


「バルガス。彼が用いたという『空気を操る魔法』について、もう少し詳しく聞かせてもらえるか」


ギルドマスターの問いに、バルガスは真剣な面持ちで頷いた。

「俺にも魔法の詳しい理屈はわかりません。だが、あいつは教官役の賊を一瞬で気絶させるほど空気を極限まで薄くしたり、逆に高山で空気を濃くして俺たちの呼吸を助け、無理やり体を動かせるようにしやがった。……最後の爆発の時もそうだ。幹部の旦那が言った通り、散布した炭の粉が風で散らねえように、極めて精緻な『見えない壁』を作って空気を完全に閉じ込めてやがったんです」


その報告を聞いたアルタリアの瞳の奥に、鋭い知的好奇心の光が走った。


(……風魔法の応用か? いや、既存の術式体系の中に、特定の空間の気圧や成分だけをそこまで厳密に操作し、固定するようなものは存在しない。……未知のオリジナル術式か。実に興味深いな)


「なるほど……自身の魔力が尽きるのを見越し、周囲の環境と手持ちの物資を最大の武器に変えたのか。純粋な武力ではなく、戦場の状況を完全に読み切り、自らに有利な状況へと作り変える……恐ろしい小僧だ」

 幹部の一人が、感嘆の息を漏らした。


バルガスは、自身の巻かれた晒を指し示した。


「いいか、まずは俺の傷を見ろ。本来なら山頂に着く前に、俺たちは寒さと息苦しさでまともに動けず、そのまま全滅していてもおかしくなかったんだ。だが、あの小僧は薄い空気の中でも俺たちの体が動くように細工しやがった。ただの身体強化魔法じゃねえ。高地っていう戦場の不利そのものを、自分たちの都合がいいように作り変えちまったのさ」


幹部たちが無言で顔を見合わせる。バルガスの言葉は、単なる力押しの武勇伝ではなく、戦場の状況を完全に把握し、自らに有利な形へと作り変えて勝利を引き寄せる、驚くべき「知略と統率の証」として彼らの胸に響いていた。


「それに、あいつは俺やガラムを前衛、シノやリィンを後衛として、一番無駄がねえ場所に完璧に配置しやがった。あいつの頭にあるのは『勝ちたい』なんて熱いもんじゃねえ。『一人も死なせずに、最高の結果を出す』っていう、ゾッとするほど冷めた計画だよ」


バルガスは一息つき、机の上に置かれたアイス・エイプの濃紺の魔石を指で叩いた。


「この魔石を見ろ。外傷がほとんどねえだろ? 内側から焼き潰したからだ。おかげで素材の価値は跳ね上がっている。ギルドにとっても、これほどの『特大の手柄』はそうそうねえはずだぜ」


そこまで聞き終え、幹部の一人が難しい顔で腕を組んだ。


「彼の指揮能力と戦術眼が破格なのは十分に理解した。間違いなく一級品の『戦術家』だ。……だが、Dランクへの昇格となると、組織としての判断が難しいな」


「何だと?」バルガスが眉をひそめる。


「冒険者としての個人の武力評価は、現時点ではまだEランク相当だ。それに今回は、救難要請により正式に『試験中断』が宣言されている。規定上、これをそのままDランクの合格とするのは前例がない。今回特例でCランクに上げる彼のパーティーメンバーの『専属の指揮官(Eランク)』として据え置くか、それとも特例中の特例としてDランクを認めるか……」


「前例がねえなら作ればいい」

 バルガスが椅子を蹴って立ち上がった。その巨躯から放たれる歴戦の威圧感に、幹部たちが息を呑む。


「お前たちが用意した『試験』って名の予定調和を、現実は遥かに超えていたんだ。奴は、ギルドの事前調査ミスで起きた特大の危機を、一人も死なせずに乗り越えて、極上の獲物まで持ち帰ってきたんだぞ。奴をDランク未満に据え置くこと自体が、ギルドにとっての大きな痛手になる」


バルガスの眼光は、単なる同情や贔屓ではなく、一人の歴戦の冒険者が、自分を凌駕する冷徹な同業者を見つけた時の、純粋な敬意に満ちていた。


「俺の評価は決まっている。……キースの武力評価はEかもしれないが、現場の指揮・戦術の立案・臨機応変な状況判断においては、文句なしのBランク以上だ。昇格を認めるべきだ」


バルガスの激烈な主張と、幹部たちの規定に基づく迷いの狭間で、査定室の空気はついに沈黙した。

 全員の視線が上座に集まる中、目を閉じていたアルタリアが静かに目を開き、厳かに宣告を下した。


「……議論は尽きたな。試験の監督役であるバルガスの報告を、全面的に採択する。キースのDランク昇格を承認。……さらに、今回の『変異種討伐』という多大な功績を鑑み、パーティーメンバー全員への『特別報酬』の大幅な増額を決定する」


ギルドマスターの絶対的な決定に、幹部たちは深く頷き、バルガスは鼻を鳴らして再び椅子に深く座り込んだ。


(……へっ、わかればいいんだ。だがな、あの小僧が狙っているのは、こんなランクの称号なんかじゃねえ。……もっと深くて、暗い場所にある『真実』だ)


バルガスは、キースが絶望的な状況下で時折見せていた、あの冷徹な計算づくの眼差しを思い出していた。

 この査定は、キースという得体の知れない存在が起こす巨大な嵐の、ほんの序章に過ぎないことを、バルガスだけが確信していた。


8-4. 特例昇格:異例の決定と「資格」の壁


査定室からバルガスが出てきてから、数十分。ギルドの一階広間には、嵐の前の静けさのような異様な緊張感が漂っていた。

 僕たちは、受付に近い木造の長椅子に腰を下ろしていた。ガラムは、刃の欠けた自分の大斧を何度も指でなぞり、修繕費用と新品の買い替えコストを天秤にかけて唸っている。リィンは落ち着かない様子で足を揺らし、シノは杖を抱えたまま、時折僕の方を不安げに盗み見ていた。


広間にいた他の冒険者たちも、遠巻きに僕たちを見守っている。昨日の「遭難確定」から一転して「変異種討伐」という衝撃的な利益を持ち帰った僕たちは、今やこのラグリマのギルドという市場において、最大の注目パーティーだった。


「……お待たせいたしました。査定結果が出ました」


重厚な奥の扉が開き、エレンさんが四枚の階級証を銀の盆に乗せて現れた。彼女の表情は、いつもの事務的な微笑みではなく、どこか高揚し、それでいて困惑が混じったような、極めて複雑な色を帯びていた。


エレンさんは僕の前に立ち、銀色に輝く新しい階級証を差し出した。


「キース君。……当初の試験要件を遥かに超える、アイス・エイプ変異種の討伐、および観測所への物資輸送の完遂を認めます。本日付で、あなたはDランク冒険者として正式に登録されました」


受け取った階級証の冷たい重みを確認する。……だが、僕の内心は極めて冷静だった。

 Dランク。それは確かに一歩前進だが、僕の真の目的である「ギルド地下書庫」の閲覧権限は、規定ではCランク以上に限定されている。正攻法でのアクセスには、まだ一段階の「資格ランク」が足りない。


(……予定通りの昇格だが、依然として地下書庫への『資格の壁』は残ったままだな。次の交渉で、この不足分の条件をどう埋めるか)


僕が階級証を見つめて次の一手を練っている間に、エレンさんは隣の三人に視線を移した。


エレンさんは深呼吸を一つすると、残りの三枚の階級証を手に取った。それは、Dランクの銀色ではなく、鈍い金色を放つ――Cランクの証だった。


「続いて、ガラムさん、リィンさん、シノさん。……あなた方は今回、Bランク上位相当の脅威である変異種に対し、キース君の指揮下で完璧に役割を果たし、パーティー全滅の危機を未然に防ぎました。今までの確かな実績とこの貢献を高く評価し、ギルドマスターより特例としてのCランク昇格が言い渡されました」


一瞬、広間全体が凍りついた。


「本来なら、厳格な昇格試験が必要ですが……今回はそのすべてを免除し、本日よりあなた方をCランクとして登録します。これはラグリマ支部における、破格の特別待遇です」


「……おい、嘘だろ!? Cランク……!? 俺たちが、もう『中堅』入りかよ!?」


ガラムが驚愕で斧を落としそうになりながら立ち上がった。リィンは口を半開きにしたまま完全に固まり、シノは信じられないといった様子で自分の小さな手を見つめている。

 DからCへの昇格。それは冒険者にとって、単なる呼称の変化ではない。受けられる依頼の単価、ギルドからの絶対的な信用、そして社会的地位が劇的に跳ね上がる、莫大な「飛躍」に等しい。


(……なるほど。ギルドマスターの判断か。実に巧妙な組織の思惑だ)


僕だけが一人、冷徹にそのギルドの意図を分析していた。

 今回の莫大な功績を僕一個人のものに独占させず、パーティー全体に分配することで、組織としての忠誠心と結束を高め、同時に「キース」という特異点を、格上のCランクとなった三人が物理的・社会的に支えるという強固な体制を整えたわけだ。優秀な人材の離反を防ぎ、パーティー全体の戦力の底上げを同時に狙った、極めて見事な判断だと言える。


「おめでとう、みんな。君たちの冒険者としての評価は、これで大幅に上昇した。これからは、より高単価で難易度の高い案件を『選べる立場』になったということだ」


僕の事務的な祝福に、三人が苦笑しながらも駆け寄ってくる。


「本当、お前って奴は……。普通はもっと喜ぶもんだぜ、キース!」


「そうよ! Cランクよ!? 私たちが、あの憧れのCランクになったのよ!」


「これでお金に余裕が出来る。新しい魔法の書を買うのも、もう夢じゃない」


仲間たちの笑顔。それは、僕がこの数日間で投じた緻密な「計算」から生み出された、最も価値のある成果だった。だが、僕にはまだ、どうしても回収しなければならない「果たすべき目的」がある。


僕は歓喜に沸く三人を背に、エレンさんへと静かに向き直った。


「エレンさん。迅速な昇格の手続きに感謝します。……ところで、Cランクになった彼らとは別に、Dランクの僕個人として一つ、特別な閲覧申請を出したいのですが。このギルドの『地下書庫』への立ち入り許可を」


エレンさんの表情が、申し訳なさと困惑に曇った。


「……キースくん。書庫の閲覧権限は厳格に『Cランク以上』と定められています。どれほど大きな功績があっても、ランクという『資格』が伴わない限り、例外は認められないのがギルドの鉄則なんです」


明確な拒絶。想定内のリスクだ。正攻法が通じないなら、次なる交渉材料を切るまで。……そう僕が口を開きかけた時、広間の二階から、地響きのような威厳に満ちた声が降りてきた。


「――キース。地下の塵を漁る前に、まずは私の部屋へ来てもらおうか。……規定を超えた『特例』を望むなら、私を納得させるだけの相応の『対価』を、君自身の口で直接示してみせろ」


見上げると、そこにはラグリマの冒険者たちを統べる絶対的な最高責任者――ギルドマスター・アルタリアが、すべてを見透かすような鋭い眼光をこちらへ向けて立っていた。


8-5. ギルドマスターの審美眼:アルタリアとの対面


ギルド二階の最奥、重厚なマホガニーの扉の先は、喧騒に満ちた一階の広間とは完全に切り離された別世界だった。

 壁一面を隙間なく埋め尽くす分厚い古書と、心を鎮める香草の微かな香り。そして窓際の執務机に座る人物が放つ、凍てつくような静謐さ。


「座りたまえ、キース。……いや、錬金術師の末裔と呼ぶべきかな」


声をかけたのは、透き通るような銀髪と、鋭く尖った耳を持つ女性だった。

 ラグリマ冒険者ギルドの最高責任者、アルタリア。外見は二十代後半の人間女性に見えるが、その双眸には、二百五十年という悠久の時を為政者として生き抜いた者だけが持つ、澱みのない深淵が宿っている。


「光栄です、ギルドマスター。僕のような新規参入者の過去の経歴まで正確に把握されているとは、念入りな事前調査ですね」


「この街におけるすべての『戦力』と『脅威』を把握するのは、私の仕事だ。……そして君は現在、私にとって最も評価の難しい『未知の存在』となっている」


アルタリアは長い指先を静かに組み、じっと僕を観察した。エルフの視線は、肉体的な強さではなく、その内側にある「魂の本質」まで冷徹に見透かそうとしているかのようだった。


「単刀直入に伺います。僕がここへ呼ばれたのは、規律を乱したことへのお小言を聞くためではないはずだ。……ギルド地下書庫への特別な閲覧権限。その『取引条件』を提示していただきたい」


僕の言葉に、アルタリアの美しい唇がわずかに弧を描いた。


「合理的だね。だが、ギルドの規定は絶対だ。ギルド地下書庫は、この国の歴史と秘匿された魔導情報が眠る『重要機密事項』。閲覧資格は厳格にCランク以上と定められている。Dランクになったばかりの君に特例でその門を開くことは、組織の根幹を揺るがす重大な規約違反にあたる」


「規定はあくまで平時における一般論です。例外なき硬直した組織は、急激な事態の変化イレギュラーに対応できず崩壊します。……先ほどのバルガスの報告書には目を通されたはずだ。僕はすでに、Cランク以上の『莫大な利益(成果)』をこの組織に納品している」


「確かに。だが、君がそこまでの功績を担保にしてまで地下書庫を望む『真の理由』が不明なままでは、ギルドマスターとして許可は出せない。……君はあの書庫で何を探している? 知識か、富か、それとも――」


アルタリアの瞳が、鋭く細められた。

 安い嘘は通用しない。このエルフは、過去に何百、何千人もの「野心家」たちを査定し、選別してきた熟練の鑑定眼を持つ者だ。ここで見え透いた嘘を吐けば、今後の彼女とのすべての信用が完全に破綻する。


8-6. 情報の開示:固有スキルの査定と『密約』


「……発端は、父の遺品の中に紛れていた一冊の古い本でした。その難解な記述の隙間に隠されるようにして、一枚の古い地図が記されていたのです。僕はその『隠された遺物』の真偽を確かめるべく、件の座標へと向かいました」


アルタリアは無言のまま、先を促すように視線を向ける。僕は慎重に言葉を選びながら、情報の開示を続けた。


「地図の示す場所には、僕の知る一般的な建築の常識から完全に外れた、極めて異質な様式の遺跡が存在していました。建材は見たこともない未知の鉱石で、施された幾何学的な装飾も、到底今の人間が作ったものとは思えない不気味な代物でした。そしてその最奥で、僕は二冊のスキルブックを発見しました。これまでどこの市場でも流通しているのを聞いたことがない、全く未知の系統に属するスキルブックです」


アルタリアの瞳に一瞬、鋭い光が走った。彼女は僕から視線を外し、独り言のように低く呟いた。


「……古代文明以前の遺物。そして未知のスキルか。もしや、失われた『ゼノス・テラ』に関連するものか……」


「ゼノス・テラ? それはどういう意味ですか。何かの固有名詞ですか?」


僕が即座に問い返したが、彼女は冷徹な首振りと共に、その情報を完全に遮断した。


「現時点で君にそれを説明する義務も、私にとっての利益も存在しない。……それよりも、君がそこで得た『成果』についてだ」


「……二冊のスキルブックです」


僕は嘘を吐くリスクを避け、遺跡で見つけたスキルブックの件を正直に報告した。


「ほう……スキルブックか。なるほど、『物質創造』と『魔法創造』とは。実に見事な、そして戦術上極めて興味をそそる固有スキルを引いたものだね」


――心臓が、大きく跳ねた。

 背筋に冷たい汗が流れる。僕は自分の固有スキルの全容を、誰にも、受付のエレンさんにさえ正確には伝えていない。ましてや「魔法創造」という、物理法則そのものを書き換える不確定要素の強い力については、己の最大の切り札として徹底して秘匿してきたはずだ。


「……なぜ、それを。僕のステータス情報は、ギルドの登録上でも完全に秘匿しているはずですが」


「私を誰だと思っている。私が持つスキル『鑑定』の前では、いかなる隠蔽も無意味だ。この百年、この街の頂点でどれほどの人材の底を直接見透かし、見定めてきたか、君には想像もつくまい」


アルタリアは僕の僅かな動揺を楽しむかのように、薄く笑った。


「安心したまえ。固有スキル自体は千人に一人程度は持ち合わせている、それほど珍しいものではない。君がことさら特別視されるのを恐れる必要はないよ」


彼女はそう言って、僕を突き放すように窓の外へ視線を向けた。だが、彼女の内心の独白までは、僕には聞こえなかった。


(……だが、固有スキルを「二つ」持っているのは人間は、数えるほどしかいないがね。ましてや「物質創造」に「魔法創造」……。私の知る限りの聞いた事のない未知の、そしてあまりに危険な代物だ)


アルタリアは再び僕を向き直ると、机の引き出しから鈍い黒光りを放つ特殊な金属の鍵を取り出した。


「特別に、三日間の地下書庫閲覧を許可しよう。ただし、私の厳格な監視下での話だ。あそこで何を見つけ、何を知ったか、すべて私に報告すること。……それが、今回君が支払うべき代償だ」


「……契約成立ですね。感謝します、ギルドマスター」


僕はその重たい鍵を受け取り、アルタリアの部屋を後にした。背後に、彼女の静かな、だが底知れぬ期待と警戒に満ちた視線を感じながら。


8-7. 祝杯と人的資本の再評価


その日の夜、ラグリマの酒場『跳ね馬亭』は、かつてない熱気に包まれていた。安酒の匂いと焼けた肉の香りが混じり合う喧騒の中、僕たちのテーブルは間違いなくこの場における最大の注目の的だった。


「おい、店主! 一番高いエールを樽ごと持ってこい! 今日は祝いだ、俺たちが『中堅階級』入りした記念日なんだよ!」


ガラムが鈍い金色の階級証を誇らしげに掲げ、丸太のような腕でテーブルを叩く。隣ではリィンが、周囲の冒険者たちから向けられる羨望と驚愕の入り混じった視線を、まるで極上のデザートでも味わうかのように楽しんでいた。


「ちょっとガラム、はしゃぎすぎよ。……でも、確かに気分がいいわね。昨日までは『ひよっこ』扱いだった連中が、今は目を合わせるのも怖がってるんだから」


リィンは上機嫌で髪をかき上げ、僕に木製のジョッキを突き出した。


「キース、あんたもそんな澄ました顔してないで飲みなさいよ。今回の立役者は間違いなくあんたなんだから。……ねえ、正直に言いなさい。この結果、あんたの『計算通り』だったんでしょ?」


「……おめでとう、みんな。君たちの評価は、この数日間で大幅に上昇した。これからは、より高単価で難易度の高い案件を『選べる立場』になったということだ。……僕にとっては、投じた労力(魔力と知略)に対して、事前の予測を遥かに上回る莫大な見返りが得られた。それだけで十分に満足だよ」


僕が事務的な祝福を述べると、ガラムがガハハと豪快に笑いながら、僕の背中を力任せに叩いた。


「相変わらず可愛くねえ物言いだな! だが、お前のその『算盤そろばん』のおかげで、俺の折れた斧もより強力な業物に化けるんだろ?」


「当然だ、ガラム。君の武器の損壊は『依頼達成のために必要な代償』だ。今回の素材売却益から、君の将来的な戦闘力向上のための必要な準備として、新調するための予算を最優先で割り当てる。……リィン、君も予備の矢だけでなく、より精度の高い弓の購入を検討していい」


「やった! 言ったわね、キース。遠慮なく一番高いやつを要求させてもらうわよ!」


そんな喧騒の傍らで、シノが少しだけ顔を赤くして、僕の袖を小さく引いた。彼女はまだ、山頂でのあの決死の魔力譲渡の感覚が残っているのか、視線を泳がせながら囁くように口を開いた。


「……キース。……ありがとう。……私の魔法を、あんな風に『最高の結果』に変えてくれて。……私、もっと役に立ちたい。……だから、これからも……」


「……シノ。君のあの土壇場での『投資(魔力提供)』がなければ、今回の勝利は絶対にあり得なかった。君のとっさの判断を極めて高く評価しているよ。……次は、君の魔法構築速度をさらに短縮するための、高品質な魔法触媒への資金の割り当てを考えよう」


「……ん。……期待、してる」


シノが微かに微笑む。仲間たちの笑顔。それは、僕がこの数日間で投じた緻密な計算と、全損を覚悟した極限の取引から生み出された、最も価値のある成果だった。


しかし、祝杯の時間は長くは続かない。僕の頭の中の計画表は、すでに次なる目的へと完全に移行していた。


「――おめでとう、みんな。だが、浮かれるのは今日までにしておこう。明日から僕は、今後の活動の根幹に関わる『調査』に入る。それが終わり次第、君たちにも今後の計画を発表する」


僕の突然の宣告に、三人が酒の入ったジョッキを持ったままきょとんとした顔でこちらを見た。


8-8. 未知なる知識の探求:地下書庫の調査と『地下迷宮』への招待


翌朝。僕は約束通り、アルタリアの厳重な立ち会いのもと、ギルドの最深部にあるギルド地下書庫へと足を踏み入れた。

 ここにあるのは、町の図書館には決して置かれない、古代の真実や発掘されたままの機密記録の集積だ。僕はまず、町の図書館で立てた仮説――数千年前のお伽話こそが、先人たちを破滅させた『大戦』や『厄災』の正体である――という推測を裏付けるため、古代の被害状況や敵の正体を記した正確な記録を徹底的に洗い出した。


だが、調査を開始して数時間。僕の推測は半分当たり、半分はかつてない「致命的な情報の欠落」に直面していた。


(……なるほど。確かに機密資料には、数千年前に巨大な都市が一夜にして消滅した痕跡や、正体不明の規格外の脅威による大虐殺の記録が実在している。神話は事実だったわけだ)


だが、僕が必要としているのは歴史的事実の確認ではない。「敵の正体は何か」「どうやって先人たちは敗れたのか」という、自分に降りかかる危険を回避するための具体的なデータだ。しかし、どの機密資料を漁っても、その最も重要な『過程と原因』がすっぽりと抜け落ちている。


「……手が止まっているね。求めていた答えは見つからなかったかな?」


背後の棚に寄りかかり、優雅に銀髪を弄りながらアルタリアが問いかけてくる。


「ええ。確かにこの書庫には、数千年前の厄災が事実であったという記録がありました。ですが、当時の人々が何と戦い、なぜ滅びたのかという具体的な過程がどこにも書かれていない。……情報を残すべき人間が一人残らず全滅したとしか考えられません。これでは、危険を避けるための対策が立てられない」


アルタリアは優雅に微笑んだまま、静かに頷いた。


「歴史書の限界だね。どれほど機密の情報であっても、生き残った者がいなければ真実は紙には残らない。君が見つけた『空白』だけが、唯一の確かな事実だよ」


「……なるほど」


僕がメモを前に眉をひそめていると、アルタリアは面白そうに目を細めて僕の持つ「手紙」を指差した。


「ふむ。紙の記録に限界があるなら、調査の手法を変えるべきだろうね。……例えば、その手紙という『魔導具』そのものの正体を探る、とか」


「……魔導具? ただの紙片であるこの手紙がですか?」


僕の問いに、彼女は鋭い眼光を向けて頷く。


「その手紙には特殊な魔法の封印がかけられている。それは『所有者の周囲で起きる出来事』を読み取って内容を自動的に更新する、極めて高度な仕組みだ。過去の記録が語らないなら、その遺物がどこから来たのか、その特性そのものが答えを握っているかもしれないよ」


(……歴史を追うのではなく、この『手紙』の出所を直接調べろということか。盲点だったな)


僕はアルタリアの助言に従い、歴史書の棚を離れた。魔導具の鑑定記録、あるいは特殊な遺物の発見リストが収められた区画へと、速やかに調査対象を切り替える。

 そこで数時間を費やし、ついに一つの光明に辿り着いた。


「……これだ」


僕が指し示したのは、数十年前に未踏の迷宮から持ち帰られた、特殊な遺物のリストだった。そこには、僕が持つ手紙の謎を解明出来る可能性を秘めた魔導具の記述が存在していた。


『過去への跳躍』

 深層迷宮で発見されたそれは、魔導具に宿る魔力を媒介として過去の所有者に関する情報を取得出来るという、一見すると汎用性の低い遺物だった。


(……この手紙が魔導具であるならば、その『過去への跳躍』を使えば、この警告を残した前任者が誰だったのかを特定し、未来に訪れるかもしれない僕自身への破滅を未然に防ぐ手立てになるのではないか?)


心臓の鼓動がわずかに速まる。

 この手紙に書かれた一人目や二人目の悲劇を特定し、リスクを回避するための手段が、地下迷宮にある事を示唆していた。


真相は、歴史書の文字の中にはない。

 この遺物が産出されるような、世界の理が歪んだ「現場」にこそ、求めるべき真実が眠っている。


「アルタリア。……地下迷宮への立ち入り権限について、規定を確認させてください」


「ふむ。ギルドの規定では、迷宮探索の認可はCランク以上の冒険者に限定されている。Dランクになったばかりの君には、まだ少し早いかな」


アルタリアは、僕の目にある確信的な光を見て、満足げに微笑んだ。


(Dランクという現在のランクでは、まだこの『脅威』の正体には手が届かないというわけか)


僕は手元の資料を閉じ、ふと自身の核となるもう一つの『最大の武器』――固有スキル「魔法創造」について思考を巡らせた。

 あの遺跡でスキルブックを開き、この得体の知れない力を取得した瞬間の、無機質なメッセージの羅列をはっきりと記憶している。


『魔法創造:既存の数式を棄て、自分だけの法を綴る神の理』

『最初の魔法を選択してください』


(……『最初の』魔法。あの時は生き残るために無意識に風属性を選択したが、この表記には重大な示唆が含まれている。初期の段階で『最初』と明記されている以上、特定の条件を満たすことで、次なる魔法の数式を構築・選択できる可能性が極めて高いということだ)


僕が現在保有しているのは、鉱山で培った「風と気圧の操作」という極めて限定的な魔法の手札のみだ。今後の危険な地下迷宮に挑み、生き残るためには、手札の拡大が不可欠となる。


(……僕に与えられた書庫の閲覧期限は、残り二日。歴史の追求は一度ここで打ち切りだ。残る全時間は、既存の魔法体系の知識や数式の構造を徹底的に解析するための『研究と修練の時間』として全て費やす)


明確な次の目標を設定し、僕は迷いのない足取りで書庫を後にした。


書庫から出ると、新しい防具の調整を終えたガラムや、シノ、リィンが僕を待っていた。彼らの胸元には、先日授与されたばかりの、鈍い金色に輝く「Cランク階級証」が誇らしげに揺れている。


「よお、キース! 書庫の調査は終わったか?」


「ええ。待たせましたね。今から、先日保留していた今後の計画を発表します」


三人が真剣な顔で僕を見る。僕は、格上のランクへと一足先に到達した仲間たちを見据え、冷徹かつ明確な「目標」を告げた。


「我々の次の目標は、地下迷宮です。僕がCランクへ昇格するまでの期間を、徹底した効率化で最短まで圧縮します。先に中堅入りした君たちに僕が追いついたその時、僕たちの次に挑むべき場所は、街の外の有象無象の魔物ではありません」


僕は地下へと続く重厚な扉を振り返り、その先に眠る深淵を見据えた。


「……地下に眠る『迷宮』。そこにある未知の遺物を、すべて自らの足で調査しに行きます」


手紙の内容を正しく把握する事は、僕の今後の計画全体に極めて大きな影響を及ぼす。

 そこに「未知の危険」があるなら、自ら現場に乗り込み、徹底的な実地調査を行う。それが、僕にとっての絶対的な決断だ。


世界を数字と理屈で測る錬金術師の末裔。

 彼が自分自身の、そして世界の運命に決着をつけるための戦いは、深淵なる地下迷宮という新たな舞台へと引き継がれていく。

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