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第四章:再起の計画と新たな協力関係

4-1. 引退宣言と情報の偏り

「……人生の損得の分かれ目を、僕はついに超えたらしい」


鉱山からの帰路、穏やかな日差しを浴びながら、僕は誰に聞かせるでもなく独りごちた。

 脳内ではすでに、新しく獲得した力『物質創造』を用いた稼ぎの計算が完璧に終わっている。一日一回、二十四時間の周期で回復するポイントを消費し、数秒の意識を割くだけで、大銀貨一枚を無条件で作り出せるのだ。


一ヶ月に手に入る金額は大銀貨三十枚。そこから安全な宿代と十分な食費、そして最低限の嗜好品にかかる生活費を差し引いても、月間で優に大銀貨二十枚以上の手残りが残る計算だ。もはや、これ以上の過酷な冒険……すなわち「自分の命を、何が起こるか分からない危険に晒す行為」を続ける合理的な理由は、世界のどこを探しても存在しない。


(……長かった。ようやく辿り着いた。これこそが僕の求めていた、働かずに得る完全な平穏だ)


足取りは羽が生えたように軽い。僕はそのまま、未練など微塵もなく『琥珀の爪』ギルドの重厚な門を潜った。


ギルドの中に入ると、相変わらずの荒々しく不衛生な喧騒が鼓膜を打つ。だが、すでに「あちら側」の人間ではなくなった今の僕には、それが自分とは無関係な、ひどく無駄な雑音にしか聞こえなかった。

 迷いなくカウンターへ向かうと、受付のエレンさんが僕の姿を見つけるなり、椅子を蹴らんばかりの勢いで身を乗り出してきた。


「あら、キースくん! 予定より十日も早いじゃない、無事だったのね! あの過酷な北の鉱山から、生きて五体満足で帰ってこられるか、本当に心配してたんだから!」


「お久しぶりです、エレンさん。その節は多大なご迷惑をおかけしました」


僕は事務的な微笑を浮かべて会釈を返すと、懐から一枚の書類――鉱山長から発行された正規の『借金完済および刑期免除証明書』を取り出し、冷たい木板のカウンターに置いた。


「今日は、最後のご挨拶に来ました。……僕は本日をもって、冒険者を引退します。以前の借金未払いによって登録が消された際、身分証であるプレートは既に返却済みですが、規則上のトラブルを避けるために改めてはっきりとした意思表示をしておこうと思いまして」


「……えっ? ちょっと、私の耳がおかしくなったのかしら。キースくん、今、なんて言ったの?」


エレンさんは目を丸くし、僕の顔をまじまじと見つめた。


「引退です。僕のギルド登録はすでに消されています。仮に再登録の手数料を支払い、再びFランクから地道に実績を積むための時間を考えれば、ここで未練なく見切りをつけるのが一番賢いやり方です。……短い間でしたが、あなたとは良い付き合いができました。感謝します」


「ちょっと待って、本気なの!? 冗談でしょう? キースくん、あなた……鉱山で一体何があったか知らないけど、その体、見違えるようじゃない。以前のひ弱な面影なんてどこにもないし、そこら辺のEランクの人達よりずっと強そうに見えるわよ?」


「肉体や魔力という基礎的な力が大きく成長したことは認めますが、それを『冒険』という死ぬ危険が高く効率の悪いことに使うつもりはありません。僕はもっと安全で安定した金の稼ぎ方を見つけましたから」


なおも食い下がろうとするエレンさんを背に、僕はホールの一角、安酒の臭いが漂う円卓に集まっていたガラムたちの元へ歩み寄った。傷も癒え、頑丈な肉体を取り戻した三人は、近づく僕に気づくと弾かれたように立ち上がった。


「キース! お前、その顔……生きてたんだな!」


ガラムが熊のような太い腕で僕の肩を力任せに叩こうとしたが、僕はそれを最小限の体の動きで滑らかに避けた。その反応の速さと無駄のなさに、ガラムが驚きに目を見開く。


「キース……あんた、なんだか雰囲気が変わったわね。もっとこう、折れそうなほどひょろひょろしてたはずなのに……あんたの理屈っぽい言い回しを借りれば、少しは『戦力になる存在』になったってこと?」


リィンが皮肉げに、だが心底嬉しそうな笑みを浮かべる。シノも無言ながら、僕の体内で桁違い増大した魔力を凝視するように、深く頷いた。


「よかった。ちょうど今、俺たちのCランク昇格に向けた長期的な計画を話し合ってたところなんだ。お前が戻って来たなら百人力だ。また一緒に――」


「すまない、ガラム。僕は今日で冒険者を完全に辞めることにしたんだ」


一瞬、円卓の空気が凍りついた。ガラムの差し出した大きな手が、行き場を失って宙で止まる。


「……辞める? なんでだよ。俺たち、これからもっとデカい仕事を受けて、もっと稼げるようになるんだぜ?」


「僕には現在、最優先で解決すべき『重要な問題』があるんだ。君たちのパーティーの活動に僕の貴重な時間を割くことは、今の僕にとっては完全な損でしかない。……僕の個人的な用事が一段落したら、外部の助っとして考え直す可能性もゼロではないが、今は君たちと一緒に行動する事は出来ない」


「完全な損、だぁ? なんだよそれ! 命を助け合った仲なのに、お前はそんな冷てえ計算しかできねえのかよ! もっとはっきり言え!」


「端的に言えば、今の君たちと組んで泥をすするよりも、一人で安全な調査に専念する方が、僕の将来的な平穏という名の見返りは遥かに大きくなる。……そういうことだよ。じゃあ、元気で」


僕は呆然と立ち尽くす彼らを残し、迷いなくギルドを後にした。恩義や友情といった不確かな感情に流され、本来の目的を見失うのは、判断としては三流のやることだ。僕は今、人生で最も完璧な計画の入り口に立っているのだから。


4-2. 情報への先行投資:歴史とスキルの調査

翌日、僕は街に一つしかない、領主直轄の大図書館へと向かった。この世界において、本という物理的な物は極めて高価なものだ。手書きの精巧な写本や、高度な魔法による複製が主流であり、一般人がまとまった高度な知識を得るには、高い入場料を払ってこの情報の聖域に入るしかない。


入場料は、銀貨二枚。

 以前の僕なら絶叫して避けるほどの莫大な出費だが、今の僕は明日の大銀貨(銀貨十枚相当)の収入が約束されている。僕はこれを、自分の人生における最大の危険を避けるための「どうしても必要な出費」として迷わず支払い、埃っぽい書庫の奥へと潜り込んだ。

 調査の対象は、古書に記されていた先人たちの死因である『大戦』『厄災』『惨殺』という言葉。そして何より、僕が手にした『神の理』の歴史的な裏付けだ。


(……まずは僕自身の能力の調査からだ。もしあの羊皮紙にある記述が、僕の持つ『物質創造』と『魔法創造』を指すのなら、これほどの理屈抜きの力を持った過去の先人たちが、歴史の表舞台に名を残していないはずがない)


僕は分厚い歴史書のみならず、古今東西の魔法の仕組みを網羅した系統図や、錬金術の深淵に触れた魔導書を片っ端から読み漁った。しかし、どれだけページを捲り、目次を追っても、『物質創造』や『魔法創造』といった名称、あるいはそれに似た「対価なしに無から物を生み出す」「既存の法則を根本から書き換える」といったおかしな能力の記述は、世界中のどこにも存在しなかった。


(……不自然だ。これほど強力で規格外の力が、過去数千年の歴史において一度も確認されていないなんてあり得ない。……考えられる仮説は一つ。過去の所有者たちは、この『神の理』という名の異端の力を、徹底的に隠して生活していたんだ。国や巨大な宗教組織に目をつけられる危険を極端に嫌い、表舞台から完全に姿を消して、ひっそりと力を使っていた……。だが、それほどの周到な隠蔽工作を貫きながら、なぜ彼らは『戦死』や『惨殺』という、最悪の結末を迎えることになった?)


謎は深まるばかりだ。僕は次の調査段階、歴史的な「悪い出来事」の特定へと移行した。キーワードの一つである『大戦』は、人間の歴史上あまりに頻繁に起きすぎていて、対象を絞り込むには関係のない情報が多すぎる。ならば、より特徴のあるキーワードである『厄災』、それも街一つを滅ぼすような『惨殺』という異常な出来事に焦点を当てるのが合理的だろう。


だが、ここでも僕の計算は狂った。

 最近数世紀にまとめられた公的な記録の中に、巨大な街が理由もなく壊滅したり、数万の住民が一夜にして惨殺されたりするような、大規模な「厄災」の記述は一行たりとも存在しなかったのだ。


「……おかしいな。条件に合う客観的な記録が全く見当たらない」


どれも数千年前の、本当かどうかも分からない神話ばかりだ。もし二人目の先人がこうした厄災に巻き込まれたのだとしたら、あの手記を遺した過去の所有者たちは、そんなお伽話の時代の人物だったということになる。


(……いや、待てよ。僕があの二つのスキルを手に入れたのは、現在よりも高度に発展していた数千年前の古代遺跡の底だ。あの古書の隠し底にあった地図がその古代の聖域を示していた以上、手記を残した先人たちもまた、その数千年前の古代を生き、そして死んだ人間だと考えられるのでは?)


(ならば、この歴史書に記されている『お伽話』……『黄金の竜が天空から怒りの火を吐き、一夜にして罪深き王国を灰に変えた』や『禁忌の悪魔召喚の代償として、都市の住民全ての魂が死神の鎌に刈り取られた』といった神話的な伝承こそが、先人たちを襲い、破滅へと追いやった『大戦』や『厄災』の正体だとしたらどうだ? 数千年というあまりに長い時の経過によって正確な記録は風化し、一般的な書物にはもはや歴史的事実としてではなく、後世の人間の手で脚色された『物語』や『神話』として変容して伝わっているのだとすれば、辻褄は合う。それに、数千年前の時代に使われた魔法やスキルの細かい情報が現在に正確に伝わっているはずも無い。そう考えれば先人達が遥か昔の人物だと考える方が合理的かもしれない。)


(だが、お伽話のままでは『どうやって先人達と同じような末路を避けるか』という具体的な対策が立てられない。僕が必要としているのは、長い年月で脚色された物語ではなく、数千年前の『実際の被害状況や、敵の正体』を記した正確な歴史の記録だ。……そんな古代の真実が、誰でも入れる公立図書館の一般向けの本棚にあるはずがない。それらを厳重に管理し、隠し持っている場所は、この街においてただ一つしか考えられない)


「……冒険者ギルドの、地下書庫か」


そこは一定以上のランク制限がかけられた、現役冒険者のための『戦術的な資料』としての機密記録が眠る場所。過去の遺跡から発掘された古代の真実や、一般には知られていない歴史的な事実そのまま保存されている情報庫だ。


働かずに得る金という至高のゴールを達成し、完全に労働から解放されたはずの僕の前に、新たにして最大の「壁」が立ち塞がった。一部の人しか見られない情報にアクセスし、先人たちを襲った破滅という見えない危険を避けるために、僕は再び、最も避けたかった『冒険』という名の不確実な世界へ身を投じる必要があるらしい。


(……皮肉なものだ。二度と働かずに生きるための安全を手に入れるために、引退宣言を取り消して再びランクを上げなければならないとは)


僕は図書館の重い扉を押し開け、夕暮れに染まり始めた街並みへと出た。

 一度は完璧に組み上がったはずの脳内の計画書を、不本意ながらも「情報への先行投資」という全く新しい段階へと、大幅に書き換え始めていた。


4-3. 再登録の手間と見返り:レベル十二の衝撃

冒険者ギルド『琥珀の爪』の喧騒は、昨日僕が立ち去った時と何ら変わりがなかった。だが、そのむせ返るような熱気の中を横切る僕に向けられる視線には、明らかな困惑と失笑が混じっている。

 昨日、あれほど大見得を切って「完全引退」を宣言したFランク冒険者が、わずか二十四時間で舞い戻ってきたのだ。周囲が滑稽なものを見るような目を向けるのも、無理からぬことだろう。


「あら、キースくん。……ギルドに何か忘れ物? それとも、昨日言っていた『安全な稼ぎ方』とやらがたった一日で行き詰まって、また冒険者として登録し直してくれって泣きつきに来たのかしら」


受付のエレンさんは、カウンターで頬杖をつきながら、ひどく意地の悪い、それでいてどこか楽しげな笑みを浮かべて僕を迎えた。


「いえ。戦略的な方針の変更です、エレンさん。昨日下した『引退』という判断は、その時点で持っていた情報に基づいた一時的なものでした。ですが、その後に僕自身の将来的な平穏を根本から脅かしかねない、解決していない重要な問題が浮上したため、冒険者への復帰を決断しました」


「……相変わらず、何を言っているのかさっぱり分からないわ。要するに、また冒険者をやりたいってことね?」


「端的に言えばそうです。再登録の手続きをお願いします」


エレンさんは大仰に呆れたような溜息をつくと、カウンターの下から見慣れた羊皮紙の登録書類を取り出した。


「いいわよ。でも分かってるわね? 一度自分の意思で消された登録を復活させる場合、規則により再び最低ランクの『Fランク』からのスタートになるわ。登録の手数料として銀貨五枚。それと、半年程度の地道な活動実績と一定の成果を挙げてから、初めて正式なEランクへの昇格試験を受けられる……」


「その効率の悪い過程は却下します」


僕は書類をエレンさんの方へ押し戻し、彼女の目を真っ直ぐに見据えた。


「Fランク、つまりレベル一から五の初心者がこなす雑用から再び始めるのは、僕の人生において最も価値のある『時間』という資源をドブに捨てるようなものです。僕の現在の能力に対し、Fランクという低い評価のラベルを貼ることは、ギルドの労働力運用としても明らかな損のはずだ」


「……はあ? 規則は規則よ。どんな実力者だって、最初は下積みから――」


「エレンさん。ギルドは形式よりも実益を重んじる、完全な実力主義の組織ですよね? ならば、書類上の過去の経歴よりも、現在の『本当の実力』を優先して評価すべきだ」


僕はカウンターの端に設置された、冒険者の基礎能力を測るための魔導道具――青白い光を放つ水晶球――に、迷いなく手を触れた。

 精神を集中し、地底で異常なまでに太くなった自らの魔力の通り道を同調させる。数秒の魔力のやり取りの後、水晶球の表面にはっきりとした光の文字が浮かび上がった。


【測定完了】

【適合者:キース】

【レベル:12】


「な……っ!?」


エレンさんの喉から、引き攣ったような鋭い声が漏れた。


「レベル、十二……? ちょっと、三ヶ月前はたしかレベル五だったはずよ。……たった三ヶ月の鉱山送りで、レベルが七つも上がるなんて……そんなの、死地を何度もくぐり抜けた精鋭の成長速度じゃない……!」


エレンさんが思わず震える声で漏らしたその数値に、周囲で聞き耳を立てて僕を嘲笑う準備をしていた冒険者たちの間に、水を打ったような静寂ののち、信じられないものを見るようなざわめきが波紋のように広がっていく。


「計算通りの結果です。鉱山という過酷な閉鎖環境で、僕は自分の力を伸ばす努力を一日たりとも怠りませんでしたからね。レベル十二といえば、ギルドの規定上はDランクの中位に相当します。それなのにFランクから始めろというのは、純金貨を銅貨として使わせるような、明らかな不条理だと思いませんか?」


「そ、れは……」


エレンさんが言葉に詰まる。ギルドのレベルの基準によれば、FからEランクはレベル五まで。レベル五から十五までは、すでに「半人前」を卒業しつつあるDランクの領域だ。

 僕が提示したのは、制度という名の『壁』を、反論の余地のない数値という暴力で粉砕するための客観的な証明だった。


「僕の要求は一つです。Fランクのお試し期間を完全に免除し、すぐに能力に見合った相応のランクへの登録を認めること。……エレンさん、この取引、優秀な働き手をすぐに確保できるギルドにとっても決して悪い話ではないはずですよ?」


エレンさんは困惑したように髪を掻き回すと、奥の執務室――ギルドマスターがいる部屋へと険しい視線を向けた。

 絶対的な制度の壁と、目の前の異常な数値。彼女の中の天秤が、大きく揺れ始めていた。


「確かに……レベル十二という数値だけを見れば、今すぐDランクの昇格試験を受けてもおかしくない水準だわ。でもね、キースくん。ギルドは『信用と実績』を重視するの。どれだけ見た目の数値レベルが高くても、実戦で使い物にならない『書類上の冒険者』に、命を預かるランクを与えるわけにはいかないのよ」


エレンさんの指摘は、組織を守るため、そして危険を避けるという観点から見れば極めて正しい。数値という「見た目の力」と、実戦能力という「本当の力」に差がないかを確認するテストは、組織を運営する上で不可欠な手続きだ。


「分かりました。ならば、その『本当の力』を確認するためのテストの機会を要求します。僕に半年も雑用をさせて能力を腐らせるより、今ここで数分の実技試験を行う方が、お互いの時間の無駄を最小限に抑えられる一番賢い判断のはずだ」


4-4. 実力テスト:現在の力の証明(Dランクとの模擬戦)

エレンさんが奥の執務室と掛け合った結果、異例の「即時実力テスト」が行われることになった。

 場所はギルド裏手に併設された、土埃の舞う訓練場。立ち会うのはエレンさんと、腕組みをしたギルドの専属教官。そして僕の「テスト相手」として指名されたのは、現役のDランク冒険者――名を『ザックス』という大柄な男だった。


「……おいおい、鉱山帰りのモヤシっ子がレベル十二だと? 鑑定器の故障じゃなきゃ、よっぽど運良く魔物のトドメだけをかすめ取り続けた『数値だけのハリボテ』だろうよ」


ザックスが太い鼻を鳴らし、刃を潰したずっしりと重い訓練用の鉄剣を肩に担ぐ。彼はレベル十。典型的な「力押し」でDランクまで這い上がってきた男だ。僕より基礎数値は低いが、数年に及ぶ実戦経験という名の色眼鏡が、彼に絶対的な自信を与えている。


「ザックス、絶対に手加減しなさいよ。いくら彼が鉱山で頑丈になったとはいえ、これはあくまで再登録のための能力の確認なんだから。余計な怪我でもさせたら承知しないわよ」


「わかってるっての。……ほら、構えな小僧。お前のその『レベル十二』っていう見掛け倒しの数値が、本物の殺し合いでどれだけ使い物になるか、俺が直々に確認してやるよ」


僕は彼の挑発で感情を動かすことなく、木箱から訓練用の短いナイフを一本手に取り、最小限の予備動作で構えた。


(……今回のテストの目的は『実戦に対応できる戦闘能力があるかどうか』だ。ならば、相手の肉体を完全に破壊する必要はない。僕の現在の能力と錬金術師の末裔としての計算能力が、彼の『実戦経験』という曖昧な基準を論理的に上回っていることを証明すればいいだけだ)


「始めッ!」


教官の鋭い号令と同時に、ザックスが荒々しく地面を蹴った。

 典型的な初撃――自分の体重と筋力に完全に頼った、大振りの唐竹割り。迫り来るその太い腕と鉄剣の軌道は、地底の暗闇で岩盤を砕くための最も効率的な動きを常に計算し、自身の肉体動作から一切の無駄を削ぎ落とし続けた僕の目から見れば、あまりにも「粗末で予測が簡単な」動きの塊だった。


(……右足の踏み込みから体重移動が終わるまで約一秒。剣の軌道に修正の余地なし。力学的な効率を完全に無視した、極めて隙の多い動きだ)


僕は正面から受け止めるような無駄な真似はせず、半歩だけ横へスライドするように身をかわした。凄まじい風を切る音が耳元を過ぎる。だが、それだけではレベルと実戦経験に勝る彼にすぐ体勢を立て直されてしまう。

 だから僕は、彼が剣を振り下ろし、全体重が前のめりになったその「最もバランスの崩れやすい瞬間」を狙って魔法を放った。


「『空気塊エアブロー』」


僕の指先から放たれた見えない空気の塊が、ザックスの踏み込んだ右足のつま先で鈍い音を立てて破裂した。

 威力の低い初級魔法だが、全力で踏み込もうとしていた足元に予期せぬ反発力を受けたことで、ザックスの強引な体重移動は完全にコントロールを失った。


「おわっ!?」


情けない声と共に、ザックスの巨体が大きく前へとつんのめる。僕はすかさず、彼のもつれた足元へもう一発『突風ウィンド』を放ち、訓練場の砂埃を派手に巻き上げた。

 視界を奪われ、完全に足の踏ん張りを失ったザックスは、自らの大振りの剣の重さに引きずられるようにして無様に地面へと転がり込んだ。


僕は砂埃が晴れるのを待たず、倒れ伏した彼のすぐ脇へと静かに歩み寄る。そして、慌てて起き上がろうとする彼の無防備な首筋へ、訓練用ナイフの刃先をそっと「置く」ように突きつけた。


「攻撃時の力の出し方に無駄が多すぎます。勢いを全く制御できていないため、わずかな外的要因で自滅する危険性が跳ね上がっている」


僕は冷徹な声で告げた。

 試合開始から決着までの所要時間、わずか数秒。刃を突きつけられたザックスは、屈辱と驚きで顔を真っ赤にしながらも、完全に動きを止めるしかなかった。


「……まだ、テストを続けますか? 次の一手を打つとなれば、あなたの気管を完全に『破壊』しなければならなくなりますが」


訓練場の端で観戦していたエレンさんと教官は、瞬きすら忘れたように言葉を失い、完全に固まっている。


「……そ、そこまで! 勝負あり! テスト終了だ!」


一拍遅れて、教官のひっくり返ったような声が響いた。

 僕はナイフを静かに置き、汚れた服の裾を軽く払う。


「見ての通りです。僕のレベル十二という数値には、十分な本当の実力としての裏付けがある。……エレンさん、これで『Fランクからのやり直し』という理不尽極まりない案は、完全に取り消していただけますね?」


エレンさんは数回大きく瞬きをした後、ようやく深く、信じられないものを見たというような吐息をつき、手元の板に挟んだ紙に力強くペンを走らせた。


「……ええ、認めざるを得ないわね。Fランクのお試し期間は完全に免除。特例中の特例として、本日付けで『Eランク』での再登録を承認します」


DランクではなくEランクからのスタートとなったのは、組織の面子を保つためのギリギリの妥協点だろう。それでも十分だ。

 こうして、僕は最小限の手間で、冒険者としての資格を「買い戻す」ことに成功した。

 全ては、見知らぬ先人たちが残した謎という名の「巨大な危険」を排除し、二度と働かないための完璧な平穏を手に入れるために。


4-5. 合理的な協力関係の再構築

鈍い光を放つ新品のEランクプレートを懐に収め、僕はギルドホールの喧騒を静かに見渡した。

 現在の僕の目標は、機密情報の閲覧権限が与えられる「Cランク」への最短での到達だ。そのためには、ギルドの規定上、レベルを十五以上まで引き上げ、なおかつそれなりに難しい討伐依頼を複数回やり遂げたという、確固たる『実績』が必要になる。


(……一人でレベルを三つ上げるのに必要な時間は、今の僕の成長した能力をもってしても一ヶ月は下らない。……先人たちの『破滅の歴史』という情報の価値が落ちる前に地下書庫へ到達するには、あまりに効率が悪すぎるな)


効率的なレベル上げには、自分より格上の獲物を狩ることで莫大な経験値を得る「てこの原理」が必要だ。だが、一人の戦闘では不測の事態に備えて安全への余裕を大きく取らざるを得ず、結果として得られる経験値の見込みは著しく低くなる。

 そこで僕の脳内の計画に浮上するのが、「外部の戦力を利用する」という選択肢だ。


(ガラムたちの武力という『既存の優秀な戦力』に、僕の戦況の把握や支援といった『付加価値』を付け足す。……これが現状、最も効率が良い戦略だ)


僕は昨日、全くの不要な存在として冷たく突き放したはずの三人――ガラム、リィン、シノが陣取っている円卓へと、何の悪びれもなく迷いなく足を進めた。


「見てみなさいよ。昨日あんなに偉そうに『冒険者はもう辞める』なんて言ってた人が、一日も経たずに戻ってきたわ。何? 自慢の『安全で確実な金の稼ぎ方』とやらは、たった一日で失敗しちゃったのかしら?」


僕に気づいたリィンが、頬杖をつきながら意地の悪い、彼女らしい皮肉を投げかけてくる。ガラムは気まずそうに視線を逸らし、シノは無言で不思議そうに僕を観察していた。


「戦略的な方針の修正だよ、リィン。取り巻く状況が変化し、僕の新たな計画の達成に、どうしても君たちの戦力という力が必要になった。……ガラム、君たちのパーティーと僕の『協力関係(パーティーの合併)』を改めて提案したい」


「協力だぁ? お前、昨日あんなに俺たちのことを『時間の無駄だ』なんだと冷たく切り捨てておいて、今さら何言ってんだよ。俺たちだって、適当に数合わせで誰とでも組むわけじゃねえんだぞ」


ガラムが不満げに太い鼻を鳴らす。無理もない。昨日までの僕は彼らを「利益を生まない不良債権」として完全に切り捨てたのだから、この反発は想定内の初期の反発だ。


「昨日は、お互いの実力を正確に測るための情報が足りなかった。だが、僕は今日、特例のテストを通過して『Eランク』として正式に再登録を済ませた。……ギルドの裏手で行われた模擬戦において、現役のDランクを無傷で圧倒したという、客観的な証明付きでね」


僕が真新しい銅色のプレートをテーブルの真ん中に置くと、三人の表情に明らかな驚愕が走った。


「模擬戦であのザックスを倒したってのは、本当なのか……? あいつ、性格は最悪だが、実力だけは本物のDランクだぞ。お前、鉱山で一体どんな怪しい薬でも飲んだんだ……」


「怪しい薬じゃない。過酷な環境での、緻密な努力の結果だよ。ガラム、今の僕は君たちの背中に隠れる『お荷物』ではない。君たちのパーティーの成長速度を二倍以上に引き上げる、最強の起爆剤だ」


僕は空いていた椅子を引き、彼らの中心に深く腰を下ろした。


「提案はこうだ。君たちは今まで通り、それぞれの役割――ガラムの強固な前衛、リィンの遠距離からの遊撃、そしてシノの魔法の火力――を存分に発揮してほしい。僕は後方から戦場全体のバランスを『一番良い状態』にする。魔力の使い方、敵の行動の予測、そして逃げる判断――これらすべての管理を僕が引き受ける」


「管理ねぇ……あんたが後ろで偉そうに指示出しするだけで、本当に狩りの効率が上がるわけ? 私たちは今までだって、三人でそれなりにやってきたわよ」


「リィン、君は弓を射る際、風の抵抗や湿度の計算にムラがある。僕が『風魔法』を用いて後ろから矢の軌道を正確に直せば、君の矢の命中率は劇的に上がり、矢の無駄遣いは三割減らせる。シノ、君の最大の懸念である魔力切れの危険も、僕が高価なマナポーションをタダで提供することで完全にカバーする」


「マナポーションを……タダで?」


高額な回復薬を自費で買うことができず、常に魔力の残りを気にしながら魔法を撃ち渋っていたシノが、その縛りから完全に解放されるという事実に、パッと表情を明るくして身を乗り出した。もちろん僕が提供するのは市場の品ではなく、『物質創造』で元手ゼロで作り出す特注品だが、彼らにその出処を明かす必要はない。


「そうだ。僕の指示による最高のタイミングで使えば、君の火力を叩き込む効率は今の二倍に加速できる。……どうだい、手を組む相手としては全く悪くない条件だろう?」


具体的な数字と理屈を並べられ、三人の間に重い沈黙が流れる。

 ガラムたちが現在最も求めているものは「Cランクへの確実な昇格」。そして僕が求めているのは、その昇格の先にある「Cランク限定の機密情報を見る権利」だ。

 互いの目的の最終地点は違えど、そこへ至るまでの道筋は完全に一致している。


「……分かったよ。お前のその『理屈っぽい言葉』、もう一度だけ信じてやる。考えてみれば、お前がいなきゃ、俺たちはただの力任せの暴れ牛だからな」


ガラムが呆れたように笑い、分厚く大きな手を差し出してきた。僕はその手を、冷徹な計算以上の、僅かな熱を込めてしっかりと握り返した。


「契約成立だ。……さあ、早速Cランクへの昇格の条件を満たすための、最短ルートの攻略計画を立てようか。君たちは一人前の『地位』を、僕は上位の『権限』を手に入れる。お互いの利益を最大にするために、最も効率の良い協力体制を築こうじゃないか」


こうして、一度は完全に断ち切ったはずの縁を、僕は自らの目的のために最も合理的な形で「再び結び直した」。

 先人たちを破滅へと導いた不条理な見えない危険。それを排除するための泥臭くも強欲な計画が、三人の強力な戦力を伴って、ついに本格的に動き始めたのである。

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