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第九章:今後の計画の頓挫と能力の劇的な進化

9-1. 報酬の受け取りと、過剰な装備の要求


ラグリマ冒険者ギルドの一階。周囲の冒険者たちが遠巻きに羨望の視線を向ける中、受付カウンター越しにエレンさんが重々しい革袋を置いた。


「エレンさん、今回の特別報酬と素材の売却代金は確定しましたか?」


僕が事務的に問いかけると、エレンさんはどこか高揚した面持ちで頷き、革袋の紐を緩めた。


「はい、キース君。ギルドの規定に基づく特別報酬と、アイス・エイプの素材価値を厳密に計算した結果……全部で金貨二十枚になります。ラグリマ支部のDランクパーティーへの一度の支払いとしては、間違いなく過去最高額よ」


眩いばかりの純金が鈍く擦れ合う音。極限の過酷な環境と全滅の危機を乗り越えた結果もたらされた、純然たる「莫大な報酬」の現物だ。


「……妥当な金額ですね。事前の苦労に十分に見合う成果だ。確かに受け取りました」


僕が革袋を引き寄せると、背後に控えていたガラムが刃の欠けた戦斧を放り出しそうになりながら、身を乗り出してきた。


「き、金貨二十枚……っ! おいキース、これ夢じゃねえよな!? 俺たちみたいな下積みが、一回の依頼でこんな額をポンと渡されるなんてよ!」


隣ではリィンが、口元を手で覆いながら興奮に震えていた。


「信じられない……。金貨二十枚もあれば、しばらくは宿の部屋を良くして、毎晩お腹いっぱいお肉を食べてもたっぷりお釣りがくるわ!」


「馬鹿を言うな。たかだか金貨二十枚程度の資金で無駄に贅沢をすれば、あっという間に底を突いて元の木阿弥だ」


僕は浮かれる二人を冷徹な事実で切り捨て、手元の羊皮紙に素早く今後の使い道を書き込んでいく。

 莫大な金を得たからといって、それをただ浪費するような三流の真似はしない。金は速やかに必要なものに使い、次の目的における「成功率」と「安全性」を高めるための布石とするのが鉄則だ。


「いいか、全員聞け。この金は目先の欲求を満たすためのものではない。僕たちのパーティー全体の実力を高め、次なる目的である地下迷宮の探索における生存確率を極限まで引き上げるための『装備の刷新』に全額費やす」


僕の宣告に、ガラムがニヤリと笑って腕を組んだ。


「へっ、相変わらず計算が早いな。で、俺たちへの『装備の割り当て』とやらの内訳はどうなってんだ?」


「第一に、前衛という最も危険な役割を担うガラム。君のその欠けた戦斧は、武器としての価値を完全に失っている。これを速やかに見限り、重さと頑丈さを徹底的に向上させた新しい業物を買う。さらに、現在の革鎧では防御力に不安が残る。致命傷を防ぐための堅牢な『鉄の重装甲』への着替えも、この資金内で賄う」


「おおっ! 鉄の鎧か! そいつは前衛としては最高の待遇だぜ!」


「次にリィン。君の弓は、より張力の高い良質なものへと買い替え、射程距離と貫通力を劇的に引き上げる。遠距離からの精密な援護射撃は、僕の戦術において必要不可欠な要素だからな」


「任せて! 高い弓を買ってもらう分、きっちり矢を当てて働きで返してあげるわ」


ガラムとリィンが士気を高める中、僕は最後に、静かに控えているシノへと視線を向けた。


「そしてシノ。君には、魔力の消費を抑え威力を高めるための、高品質な杖を最優先で買い与える。君の魔法の精度は、我々の戦力において最も重要な要素の一つだ」


「……ありがとう。新しい杖……凄く、嬉しい」


シノは静かに頷き、その小さな両手で僕の袖をきゅっと掴んだ。そして、少しだけ上目遣いになり、普段の口数の少なさからは想像もつかないほどの、静かだが恐ろしく重たい「圧」を込めて囁いた。


「……でも、杖だけじゃ、新しい魔法は覚えられない。……私、もっと役に立ちたい。だから……『魔導書』も、欲しい」


「――なっ」


僕は思わず息を呑み、頭の中の計算を一時停止させた。

 魔導書。それは魔法使いにとっての究極の知識の結晶だが、店で売られている最低ランクのものでさえ、金貨五枚は下らない超高額商品だ。

 今回の報酬が金貨二十枚。そこからガラムの鉄鎧と斧、リィンの弓、シノの杖という必須の装備代を差し引けば、手元に残る資金は決して多くない。そこに金貨五枚以上の魔導書を追加すれば、一瞬にして深刻な資金不足を引き起こす。


「シ、シノ……。君の向上心は高く評価するが、魔導書という『過剰な出費』は、現在の我々の懐事情では認められない。それは明確な予算の超過だ」


「……ダメ、なの?」


シノの大きな瞳が、捨てられた子猫のように揺れる。あの極限の死線で僕に魔力を分け与えてくれた時から、彼女の僕に対する感情は明らかに重さを増しており、その懇願を冷徹に切り捨てるのは、想定外の心理的抵抗を伴った。


「……と、とにかく! まずは武具屋での価格の確認が先決だ! 値段も知らずに買うものを決めるなど、基本から外れている。行くぞ!」


僕はシノの視線から逃れるように早口でまくしたて、ギルドの重厚な扉を逃げるように押し開けた。背後でガラムとリィンが呆れたような笑い声を上げているが、今はどうでもいい。


(……くそっ、仲間の感情というのは、計算通りにいかない最も厄介な要素だな)


ラグリマの喧騒に包まれた大通りを歩きながら、僕は乱れた呼吸を整え、これまでの歩みを静かに振り返った。


思えば、ここまで辿り着くのにも、途方もない困難と危険の連続だった。

 すべての発端は、緊急のゴブリン討伐依頼での致命的な失敗だ。結果として、一週間の期限付きで金貨一枚という莫大な借金を背負わされた。


その絶望的な借金を返すため、宿で父の遺品から発見した羊皮紙と地図を頼りに遺跡の探索を強行し、そこで未知の力『物質創造』と『魔法創造』を手に入れた。だが、脱出路の確保に行き詰まって完全に魔力が底を突き、穴の底で死にかけていたところを、ガラムたちに救出されたのだった。


その後、借金返済のために彼らとパーティーを組み、懸命に討伐依頼をこなした。しかし、戦闘での想定外の怪我による治療費が稼ぎを大きく圧迫し、期日までに大銀貨一枚分の資金が不足。結果として、三ヶ月間に及ぶ過酷な鉱山への強制労働という、最悪の事態を招いてしまった。


だが、僕はその劣悪な環境すらも逆利用し、己の肉体と魔力回路を限界まで鍛え上げることで、絶望的な状況から強引に早期の自由を勝ち取ったのだ。


そして、Dランク昇格試験。

 そこではギルドの事前調査の甘さという名の「致命的な不手際」に巻き込まれ、本来なら全滅確定のBランク相当の脅威であるアイス・エイプ変異種と対峙させられた。僕は魔法の理屈を物理法則の暴力へと変換し、その理不尽な死闘を己の知略と仲間の犠牲を伴わずに完遂してみせた。


結果として、ガラムたちはCランクへの特例昇格という莫大な名誉を手に入れ、僕もDランクの階級と、ギルドマスター・アルタリアとの交渉材料を得た。地下書庫の調査で突き止めた真実。先人たちが辿った破滅の運命を未然に防ぐための唯一の手がかり――『過去への跳躍』という遺物は、街の外の有象無象の魔物ではなく、地下に眠る『迷宮』という全く新たな場所に存在している。


(……これまでの割に合わない地道な依頼は終わりだ。ここからは、未知の領域である地下迷宮への本格的な探索となる)


僕は懐に収めた金貨の重みを確かめながら、次なる一手へと思考を加速させる。

 そのためには、まず仲間たちの装備を整えて実力を限界まで引き上げ、盤石の体制を構築しなければならない。武具屋での用事を済ませた後、彼らを納得させ、僕の緻密な迷宮探索の計画へと完全に引き込むための、周到な説明が必要だ。


大通りを進む僕の足取りは、これから直面する「想定外の拒絶」など知る由もなく、冷徹な自信に満ち溢れていた。


9-2. 展開:今後の目的の致命的な不一致(迷宮都市への移動案と却下)


武具屋と魔法道具店を巡る徹底した価格交渉を終え、ラグリマの街角にある大衆酒場の一角で、僕たちはささやかな夕食の席に着いていた。


ガラムの傍らには、鈍い鋼の輝きを放つ新品の重装甲と、以前の倍近い質量を誇る、魔力付与が施された業物の大斧が立てかけられている。リィンは手入れの行き届いた強靭な合成弓の弦を何度も弾いてはその感触を確かめ、シノは僅かな魔力でも極めて高い伝導率を示す真新しい黒檀の杖を、まるで宝物のように抱き抱えていた。


彼らに対する莫大な装備の刷新は、間違いなく完了した。現在の彼らの戦力は、以前と比較して劇的に高まっている。

 僕は満足げに頷き、木製のジョッキをテーブルに軽く叩きつけて、三人の注意をこちらへ向けさせた。


「さて。全員の装備の更新が完了し、パーティーとしての基礎能力が想定水準まで引き上げられたところで、今後の計画……僕たちの『目的』について伝える」


僕の真剣な声色に、ガラムたちも顔つきを引き締め、居住まいを正した。


「結論から言う。我々の次なる目的地は、このラグリマ周辺ではない。……『地下迷宮』が存在する迷宮都市へ、拠点を完全に移す」


酒場の喧騒の中、僕たちのテーブルだけが不自然な静寂に包まれた。


「……えっと、キース。今、なんて言った?」

「迷宮都市への移動だ。僕がギルドの地下書庫で調べた結果、僕の人生における最大の『懸念事項』を完全に排除するための遺物……『過去への跳躍』という魔導具が、深層迷宮で発見されることが判明した。これを直接手に入れるためには、現地へ赴き、自ら迷宮に潜る他ない」


僕は手元の羊皮紙にラグリマから迷宮都市への移動経路、および必要な費用の概算を書き出しながら、流れるように説明を続けた。


「君たち三人のCランク昇格により、パーティーとしての迷宮への立ち入り制限はすでにクリアしている。問題は僕個人のランクだが、これも計算済みだ。迷宮都市までの3カ月の道中、立ち寄る各街のギルドで手当たり次第に高難度の討伐依頼を受注し、移動と並行して消化していく。君たちの向上した実力と僕の指揮があれば、迷宮都市へ到着する頃には、僕のCランク昇格に必要な実績も完全に満たせる手はずになっている」


僕は羊皮紙を指先で叩き、絶対的な自信を持って締めくくった。


「つまり、到着と同時に迷宮探索を開始できるというわけだ。ラグリマ周辺の有象無象の魔物を狩るような地道な依頼は、これ以上続ける意味がない。より危険だが、より実入りの良い場所へ打って出るべき時だ。出発は明後日の早朝を予定――」


「待て、待て待てキース! 話が飛躍しすぎだ!」


ガラムが慌てたように身を乗り出し、僕の言葉を遮った。その太い眉は、ひどく困惑したように寄せられている。


「迷宮都市って……ここから馬車で3カ月もかかる都市だぞ!? そんな遠くへ、拠点ごと移るなんて……無理だ。俺たちは、この街を離れるわけにはいかねえんだよ」


「……無理? それは移動にかかる旅費の懸念か? 案ずるな、手元の資金で十分に賄える計算だ」


「金の話じゃねえよ!」


ガラムの声が少しだけ荒くなった。隣に座るリィンも、ひどく言いにくそうに視線を伏せている。


「キース……。以前に私たち三人が孤児院育ちって言ったけど、このラグリマの孤児院で育ったのよ。今でも私たちの取り分の半分は、院の子供たちを養うための仕送りにしてる。……私たちがこの街を離れたら、あの子たちはどうなるの?」


「……なるほど。孤児院への支援か」


僕は一つ息を吐き、頭の中の計算を速やかに組み直した。彼らの行動の理由が「損得勘定」ではない部分にあることは理解した。だが、それならば別の角度から、圧倒的な「数字」をもって説得すればいいだけのことだ。


「リィン、君の懸念は理屈として完全に間違っている。いいか、現状のラグリマ周辺の依頼で稼げる額など、知れているだろう。だが、迷宮都市の深層で手に入る魔石や素材は、ここの相場の数倍から数十倍で取引される。つまり――」


僕は羊皮紙に大きく「五倍」という文字を書き込んだ。


「迷宮都市で活動すれば、我々の稼ぎは爆発的に跳ね上がる。そこから定期的にラグリマの孤児院へ送金させれば、君たちが今手渡ししている額の五倍……いや、十倍の仕送りが可能になる。院の建物を増築し、専属の教師を雇い、子供たちに最高の教育と食事を提供できる。距離が離れようと、送れる『金の総量』が圧倒的に増えるのだから、孤児院の生活はむしろ安定するはずだ。……違うか?」


完璧な論理だ。

 稼ぎを最大化し、その恩恵を孤児院へ与える。これ以上ない完璧な解決策を提示したはずだった。


だが。

 ガラムは、分厚い拳をテーブルに強く押し当て、どこか悲しげに首を横に振った。


「……お前の頭の良さは認めるよ、キース。数字の上じゃ、お前の言う通りなんだろうな。だがな……金だけ送ってるだけじゃ、俺たちは安心できねえんだよ」


「なぜだ。十分な金があれば、すべての問題は解決する」


「俺たちが直接顔を出して、子供たちの頭を撫でてやること。休みの日に一緒に泥だらけになって遊んでやること。……金貨百枚送るより、俺たちが『今日も無事に生きて帰ってきたぞ』って笑ってやることの方が、あいつらにとってはよっぽど価値があるんだよ」


リィンも、静かにガラムの言葉に同意した。


「そうよ。私たちにとってあの場所は、ただ寄付をするだけの場所じゃない。帰るべき『家』なの。……だから、どれだけ大金が稼げようと、家を捨てて遠くの街へ行くなんて、絶対にできないわ」


そして、いつもは僕の意見に真っ先に賛同するはずのシノまでもが、新しい杖を抱きしめたまま、申し訳なさそうに、けれど決して譲れないという強い意志を込めて、僕を見つめていた。


「……ごめんなさい、キース。……私も、あの子たちを置いて、遠くには、行けない」


「…………っ」


僕は言葉を失い、冷え切ったジョッキを握りしめた。

 彼らの口から語られたのは、計算書のどこを探しても記載されていない、全くの規格外の要素――「恩義」「愛情」「家族」といった、極めて感情的で数値化できない価値観だった。


僕の緻密な計画は、完全に根底から崩れ去っていた。

 どれほど論理的に稼ぎの大きさを説こうと、どれほど完璧な送金の仕組みを提示しようと、彼らの行動の根源にある「感情」という巨大な壁の前では、僕の計算は何の意味も持たなかったのだ。


「……キース。お前がその『過去への跳躍』ってのをどうしても探したいなら……止めはしねえ。だが、俺たちはラグリマに残る。……今まで、命を救ってもらって、こんな上等な装備まで見繕ってくれて、本当に感謝してる。だけど……」


ガラムの言葉は、これまでのパーティーの「解散」を示唆していた。


目的の、致命的かつ修復不可能な不一致。

 冷徹に計算を積み上げてきたはずの僕の「完璧な計画」は、この安酒場の片隅で、彼らの理屈に合わない愛情の前に、音を立てて完全に頓挫したのである。


9-3. 葛藤:仲間との「決別」と、費やした時間と金の呪縛


宿屋の安っぽい硬い寝台に背を預け、僕は煤けた木組みの天井をただ無言で睨みつけていた。

 暗い部屋の中、頭の中で幾度となく繰り返される計算の音だけが、ひどく虚しく響き続けている。


(……見切りをつけるしかない。進むべき道が根底から食い違った以上、彼ら三人とはここで別れるほかない)


迷宮都市への移動という、僕の絶対的な計画。それを「孤児院への愛情」という極めて感情的な理由で拒絶された以上、これ以上のパーティーの継続は不可能だ。彼らは現状の稼ぎに満足し、孤児院への支援という安定路線を選んだ。一方の僕は、自身の命に関わる「未知の脅威」を完全に排除するため、未知の領域である地下迷宮へと打って出る必要がある。

 双方の求めるものがここまで明白に違ってしまった以上、パーティーを解散し、僕が単独でラグリマを立つのが最も論理的な判断のはずだった。


だが、冷徹に割り切ろうとするたび、僕の脳裏には今日費やしたばかりの「莫大な装備代」の明細が、重くのしかかってくる。


ガラムに買い与えた、鋼の重装甲と魔力付与の戦斧。

 リィンに調達した、強靭な合成弓。

 シノに与えた、最高品質の黒檀の杖。


彼らの生存確率を高めるために注ぎ込んだ大金の大部分が、今や僕の手元には一銭も残っていない。もし明日、彼らと別れれば、僕が彼らの育成と装備に費やした時間と資金は、今後の僕にとって一切の恩恵を生まない完全な無駄骨と化す。

 過去に費やして取り戻せない金に執着するのは愚か者のすることだ。感情を殺し、冷徹に見切りをつけて次の目的地へ向かうべきだという理屈は、痛いほど理解している。


(……だが、本当にそれだけで済むのか?)


僕は寝返りを打ち、軋む木枠の音に顔をしかめた。

 仮に僕が単独で迷宮都市へ辿り着いたとして、あの深層迷宮という過酷な環境を、後衛の魔法使い一人でどうやって生き抜くというのだ。

 見知らぬ土地で前衛の盾役と索敵役を新たに雇い、一から戦術のすり合わせを行う。それにどれほどの時間と資金が失われるか、想像するだけでも目眩がする。


何より最大の懸念は、新しくパーティーを組む者たちとの「信頼関係の構築」だ。

 地下の暗闇で、命という最も重いものを預け合う関係において、利害だけで結びついた見ず知らずの冒険者が背中を刺さないという保証はどこにもない。窮地に陥った際、彼らが僕を容易に見捨て、金や素材だけを奪って逃亡する危険性は極めて高い。果たして新しいメンバーと、あのガラムたちと築き上げたような強固な信頼関係を、一から築き直すことなどできるのだろうか。


(……その点、ガラムたちは違った)


僕の脳裏に、これまでの過酷な死闘の記憶が蘇る。

 僕の理不尽なまでの指示に文句を言いながらも、最後まで絶対に逃げ出さなかったガラム。

 極限の吹雪の中で、負傷したバルガスを身を挺して救出し、僕の意図を正確に汲み取って一寸の狂いもなく炭の粉を詰めた袋の投擲を成功させたリィン。

 そして、己の魔力が空になる寸前まで僕に魔力を分け与え続けてくれたシノ。


彼らが共有している「孤児院出身」という強固な繋がり。僕が理屈に合わないと切り捨てたその感情の結びつきこそが、実は「絶対に裏切らない」という、金では買えない絶対的な『信頼』を形成していたのだ。


「……クソッ。僕としたことが、いつの間にか彼らという存在に、これほどまで依存していたとはな」


僕は前髪を乱暴に掻き毟り、深い溜息を吐き出した。

 彼らを切り捨てて一人で迷宮へ挑むのは、あまりにも痛手が大きすぎる。しかし、彼らの想いを論理でねじ伏せ、無理やり迷宮都市へ連行することも物理的に不可能だ。

 八方塞がりの状況。資金不足よりも恐ろしい「完全な停滞」が、冷たい壁となって僕の前に立ちはだかっていた。


明日、彼らと顔を合わせた時、僕は一体どんな顔で、どんな「別れの挨拶」を交わせばいいのだろうか。

 冷徹な計算の裏側に隠れていた、自分でも処理しきれない感情を持て余したまま、僕は浅く、ひどく不快な眠りへと落ちていった。


9-4. 転機:地道な依頼と、能力の劇的な進化


翌日の西の森。

 木漏れ日が差し込む穏やかな狩り場には、僕たちパーティーが抱え込んだ「目的の決裂」を象徴するかのような、ひどく重苦しく、気まずい沈黙が垂れ込めていた。


「オラァッ!」


ガラムの裂帛の気合いと共に、新調された鋼の戦斧が唸りを上げる。魔力付与によって異常なまでの鋭さと重さを獲得したその一撃は、飛びかかってきた犬頭の魔物――コボルトの粗末な盾ごと、その胴体をいとも容易く両断した。


「右からさらに三体来るわ! シノ、合わせて!」

「……ん。炎の槍、展開」


リィンの放った強靭な弓からの矢が、風を切り裂きコボルトの急所を正確に射抜く。その直後、シノの真新しい黒檀の杖から、魔力の無駄を一切感じさせない極めて高威力の炎の槍が放たれ、残る二体を瞬時に消し炭へと変えた。


(……見事なものだ。新調した装備の効果は、完璧に計算通りの強さを叩き出している)


僕は後方から戦況を観察しながら、小さく舌打ちをした。

 装備を一新したことによって、彼らの戦闘力は劇的に向上している。Cランクという名に恥じない、極めて優秀な戦力の完成形がここにある。だからこそ、目前に迫った「パーティーの解散」という事実が、取り返しのつかない痛手として僕の胸の奥を重く締め付けていた。


今日ここで僕たちがコボルト討伐という割に合わない地道な依頼を行っているのは、迷宮都市への移動計画が宙に浮き、当面の生活費を稼ぐ必要が生じたためだ。ガラムたちも僕の顔をまともに見ようとせず、ただ黙々と目の前の魔物を仕留める作業に没頭している。


「グルルルルッ!」


不意に、深い草むらの死角から迂回してきた四体のコボルトが、後衛で指示出しに徹していた僕へ向かって一斉に牙を剥いた。だが、僕の心拍数は一ミリも変動しない。これほど弱い相手に、貴重な魔力を大きく割くような無駄な真似はしない。


僕は手元の木杖を軽く握り、極めて冷静に魔法を構築した。高山での呼吸の補助や毒霧の濾過に使用してきた『エアフィルター』の魔法を逆用し、対象の顔の周りの空気を「強制的に薄く」する戦術だ。


だが、この極めて強力に見える魔法には、明確な弱点が三つ存在する。

 第一に、有効射程は十メートルに過ぎないこと。

 第二に、目で見える範囲の敵にしか使えず、死角にいる敵には発動できないこと。

 第三に、高速で動く複数の対象の「頭部」という狭い空間を正確に狙い続けるため、僕の集中力のほぼ全てを割く必要があり、結果として魔法を使っている間は一切の移動や防御ができない「完全な無防備」状態に陥ることだ。


(……射程圏内への侵入を確認。三体を捕捉、減圧開始)


「ギャン……ッ!? ゲ、ガハッ……!」


僕の視界に捉えられた三体のコボルトは、十メートルの境界線を越えた瞬間に突突如として喉を掻き毟り、白目を剥いて次々と泥土に倒れ伏した。顔の周りから空気を奪われたことによる「急性の酸欠」だ。


しかし、残る一体への対処には致命的な遅れが生じた。大木という障害物の死角から飛び出してきた最後の一体は、僕の魔法の狙いを掻い潜り、無防備に立ち尽くす僕の眼前まで肉薄していたのだ。


振り下ろされる、粗末だが質量のある太い棍棒。

 僕は即座に『エアフィルター』の魔法を解除し、硬直していた体を物理的な迎撃へと切り替えた。腰に帯びたショートソードを抜き放ち、迫る棍棒の軌道を剣の腹で滑らせるようにして最小限の動きで受け流す。

 相手の姿勢が前のめりに崩れたその一瞬の隙を見逃さず、僕は流れるような足運びでショートソードを返し、コボルトの胴体を袈裟懸けに両断した。


「……ふぅ。これでこの区画の魔物は粗方片付いたか」


血振るいをして刃を鞘に収め、圧縮していた魔力と肉体の緊張を解こうとした、まさにその瞬間だった。


――ドクンッ!!


心臓が、大きく跳ねた。

 僕の全身に張り巡らされた魔力回路そのものが、突如として爆発的な熱を帯び、器(肉体)の限界容量を無理やり押し広げるような、強烈な「拡張の波」が押し寄せてきたのだ。

 僕は堪えきれずにその場に片膝をつき、荒い息を吐き出した。


(……この感覚。レベルが上がったのか……!)


僕は喜びの混じった確信を抱き、内なる情報を展開した。

 視線を向けたのは、ステータス欄の最下部。遺跡で取得したあの日から「レベル1」と表示され続けていた、僕の『最大の武器』の項目だ。


【固有スキル:物質創造】

SP(創造ポイント): 0/6

※SPは十二時間につき「1」回復します。


(……最大値の増加、さらに回復時間の劇的な短縮だと……!?)


僕の頭の中で、凄まじい勢いで計算が弾き出される。これまでは最大値が「5」、そして二十四時間に「1」の回復という絶望的なまでの遅さだった。それが、半分の時間で回復するようになったということは、単純計算でSPの回復速度が従来の二倍に跳ね上がったことを意味する。これは今後の行動を劇的に楽にする、とてつもない能力の向上だ。


さらに、視線を横へ滑らせる。


【固有スキル:魔法創造】

『2番目の魔法体系(属性)を選択してください』

【火】 【水】 【風】 【土】 【光】 【闇】 【神聖】 【空間】 【無系統】

※初期習得は「初級」の基礎術式に限定されます。


「……!」


思わず口角が吊り上がるのを止められなかった。

 あの日、暗い穴の底で生き残るため、切羽詰まった状況で『風』を選択した時とは状況が全く違う。ついに、次なる未知の力を操るための権利が解放されたのだ。

 今回は命の危機に瀕している緊急時ではない。無闇に選んで後悔するような三流の真似はせず、今後の地下迷宮の探索に最も適した属性を、綿密な調査の後に慎重に選択するべきだ。僕は逸る気持ちを抑え込み、属性の選択画面を一時的に閉じた。


「おいキース! 大丈夫か、いきなり倒れ込んで!」


異変に気づいたガラムたちが、慌ててこちらへ駆け寄ってくる。僕は内心の喜悦を冷静な表情の下に隠し、ゆっくりと立ち上がった。


「……問題ない。自身のレベルが上昇したことに伴う、ステータスの急激な拡張による生理的な反動だ」


「レベルが上がったのか! そりゃあめでたいが……顔色が悪いぞ。無理すんな」


「大丈夫だ。僕の能力にいくつかの変化が確認された。早急に静かな環境で、新しく使えるようになった力の確認と検証を行う必要がある」


僕は周囲の森を一瞥し、泥を払った。


「今日の依頼の目標数はすでに満たしている。本日の討伐はこれにて切り上げ、直ちにラグリマへ帰還する」


僕の淡々とした指示に、ガラムたちは顔を見合わせながらも安堵の息をつき、「わかった」「すぐ帰る準備をするわ」と武器を収め始めた。


(……昨晩は、彼らと別れて単独で迷宮へ向かうしかないと結論づけたが)


僕は前を歩く三人の背中を見つめながら、頭の中の計画を静かに白紙に戻した。

 物質創造の効率化と、新たな魔法属性の獲得。この強力な新しい手札を活用すれば、彼らの孤児院への想いと、僕の目的である迷宮探索の双方を完璧に両立させる、全く新しい解決策を構築できるかもしれない。


早急なパーティー解散の決断は、一旦保留する。

 まずは自室へ戻り、己の能力の劇的な進化を極限まで分析し尽くすことが最優先だ。僕の冷徹な思考は、未だかつてない巨大な可能性を前に、静かに、しかし爆発的な速度で新たな計画を練り始めていた。

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