94話:朝太郎。待ってろよ(浅倉孝太郎)
「うーん。孝太郎と朝太郎がいれば私は何でも良いと思うんだけど。二人が幸せなら、私も幸せだし」
妻は言った。今日は久しぶりに家族で海へと繰り出そうとしていた。
「それはつまり、今が幸せ的なそういうこと?」
彼女はこくりと頷く。
幼い息子は自分の手を引かれ、とことこ歩いている。まだ、夏の日差しは今ほどは強くはなかった。どちらかと言うと涼しげな気持ちの良い海風が吹く昼下がり。
「手を繋がないと危ないんだぞ。車だってたくさん通ってるんだ」
「うん」
わかったような。わかってないような。返事だけは良い。
しまいには手を離して、自分で歩きたがる。
とことこ転びそうになりながら、縁石やらに登ろうとする朝太郎を必死で追いかけ、抱き抱える。すると、手を挙げ体をくねらせ、せっかく抱き抱えたのに逃れようとする。
妻はその様子を見ながら、けらりと笑う。
「ほら。朝太郎。パパの言うことを聞かなきゃだめよ」
「うん」
朝太郎は妻の忠告にとりあえずの返事だけをする。全く。誰に似て調子が良いんだか。
何とか息子の手を再び握り、江ノ島の通りを歩く。通りからは楽しげな音楽を鳴らす車が走り、波の音が聞こえてくる。
──なぜ今こんなことを思い出すのか。
起動停止したイザナミ。自分の願いを叶えるために五頭龍を殺すために作り出した兵器。それは、自分の予想を超えるさらに巨大な力によって完全に敗北した。
自分で仕掛けたこの復活劇。倒せると算段したから実行したが、まさか敗北するとは予想していなかった。いや、本当は想像できていたのかもしれない。
妻が死に、あの日見た光景。続くはずだった未来は音を立てて崩れ去った。だからこそ、自暴自棄にもなっていた。たとえ、この計画が失敗したとしても、そもそもの五頭龍伝説が嘘だったとしても良かったと思っていた。
けたたましくなるアラーム音を切り、このブリキの人形の中で一人静かに泣いていた。だが。こんな絶望的な状況にはそぐわない軽快な音楽。そして花火の音が聞こえてきたのだ。
不思議に思い、再びイザナミを起動させる。
サブカメラはかろうじて生きていた。そして、その画面から映し出されたのは異様な、いや面白い光景であった。五頭龍を取り囲む様々な光。そして、黒く反射するのはヘリコプターだろうか。
まだ、五頭龍に立ち向かおうとする者がそこにはいた。
そして、悟った。これは息子が行っているということを。朝太郎が、五頭龍と対峙している。それは、親としての直感がそう言っていた。
父である自分が犯した顛末を、息子が拭おうと奔走しているのだ。
「あいつ」
朝太郎。母が死に気を落とした息子。
自分は一緒にいることが辛くなり、狂気じみた願望という逃げ道へ走った。
だが、彼は再び帰ってきた。自分の元へ。そして、それは運命かのように自分の計画を狂わす歯車の一つとして、そしてわが子から目を背けた父の近くにいてくれた。
五頭龍の首、一本。また一本が次第に勢いを無くしていっていく。
何が起きているのか分からない。しかし、彼が出来得ることを行なっているのは事実だと思った。
自分にとって、幸せな生活を蘇らせたい一心で計画を進めていた。
しかし。それは時間を巻き戻そうとしていると同義だ。
今、残された息子のことを考えず、いや。考えようとせず、自分の中で勝手に結論づけた幸せのために、ただ自分のために行おうとしていたのだ。
しかし、息子は違う。朝太郎はただ、この街を、この世界を救うために頑張っている。利己的ではなく、誰かのために。まるで自分の妻のように。
「そういうことか。そういうことだったんだな」
まさか、今このタイミングで思い知らされるとは。
父から子。父として何一つしてやれなかった自分。自分が思い描く幸せだけを願った父である自分。そんな俺が息子のために何かできるとするならば。
再びイザナミは立ち上がる。右腕は五頭龍に破壊された。足の関節も故障して思うようには動かない。
だが、立ち上がることはできた。歩くこともできるはず。空だってまだ飛べるはず。
「朝太郎。待っててくれ」
バーニアから再び炎が噴き出し、五頭龍の元へ、息子の元へと再び飛翔する。




