89話:五頭龍伝説の正体(柊木鈴音)
自分の体はフワリと浮き、夜闇が支配する江ノ島に降り立つ一人の女性を遠くから眺めていた。
これが夢であることは、なんとなくではあるが分かっていた。
目の前には五頭龍がいる。
彼らは自然を無視し、自らの種族の繁栄を目指した人間という存在に怒っていた。
光輝く衣を羽織る彼女がなぜここに降り立ったのか。その理由は彼らを宥めることに他ならなかったことも知っていた。
なんとも不思議な光景だ。
振り返ると日本史の資料集で見たことがある古い家屋がひっそりと海の近くのあちらこちら存在していた。電灯なんてものはなく、松明のゆらめく赤い光が見える。これは遥か昔の光景だ。
「五頭龍。あなたが怒る理由もわかります。人は、人という生物は動物としての本能と、優れた知能を持っている存在です。そんな存在が今までのこの地の秩序を乱しているのは事実なのですから」
「天女」
それぞれの龍は彼女に危害を加えようとすることはなく、ただ見惚れているようにも見えた。
「猶予を与えてもらいたいのです。人間という種族は、その本能と知能を持って自然との混じり合うための道もまた兼ね備えているのです。その可能性を信じる余裕を、名の知れた龍である五頭龍さんは持ち合わせているはずです」
「──それはそうだ。俺は八岐大蛇とは違う。ただ悪逆を行った奴とはな」
「ありがとうございます。では私に免じて、眠りについてもらえますか。この地の守護神として、ここに住まう人間達を見守ってほしいのです」
「だけどな俺たちは腹が減っているんだ。霞を食うだけでは寝られないぜ」
「では、巫女の血をもって、あなた達の腹の足しにしましょう。ですが生贄を捧げるつもりはありません。あなた達五本が、ゆっくり寝られる程度の生き血をあらかじめ分け与えてもらっています。これで満腹とは言わずとも満足はできるのではありませんか」
その申し出に龍は首を縦に振り答えた。
了承だ。
五本の首がばらばらと縦に動く姿が少し滑稽にも見えた。天女はそれぞれの頭に向かい宙に浮かんだ水差しから、わずかな血を注ぐ。
「ふう。たしかに満足だ。でも間違っても、同じ血を海に流さないでくれよ。味を覚えているから起きてしまうからな」
「──わかりました。では、この血族が流れることがないよう目印を与えたいです。あなた達の角の一部を彼女らに身につけさせます。それで忘れないように言っておきましょうか」
「わかった。そうだ。この五頭龍、最大の角は是非天女様に渡したい。いや渡させてくれ。この契りの証として」
「承知しました。理解してくださりありがとうございました」
そう言うと天女は再びフワリと浮き上がり、一本目と呼ばれた真ん中の巨大な龍のツノに触れ、ぺりと剥がれた一部を手に掴む。
「俺たちは龍だ。自然の原理に逆らうものに対処するのが俺たちの存在理由だ。決して人の可能性を信じたわけじゃあないぜ。俺たちは天女さまのその美しさに惚れた。あくまで惚れた女の願いを叶えただけだ」
龍は続ける。
「もし、万が一もう一度俺たちが目覚めることがあった時、それは人間が意図的に目覚めさせたってことになる。俺らの角まで巫女たちに目印を渡したんだ。仮にもし彼女たちの血が海に流れたとしたら、容赦はしないぞ。俺は人間なんて信じていないからな」
「では、賭けましょう。二つの伝説を残します。一つ目は、人間が自然と調和できる可能性を信じる契り。二つ目は五頭龍を蘇らせた者は願いが叶う。いえ。あなた達を打倒した者の願いが叶うでも良いでしょう。自然との約束を無視してでも、人間の願いを叶えんとする力学を与える伝説です」
天女は言う。
一つ目の伝説。それは、巫女の血をもって、天女の宥めにより、人が自然と調和し生きていく契りを行ったというもの。
二つ目の伝説。巫女の血を再び海に流すことで、五頭龍が復活。それを蘇らせ、打倒したものは願いが叶うという利己的な人間を突き動かす伝説。
結果的に、「やってはならぬ」タブ―を破ってまで、自然との約束を反故する人間が現れたら、天女の負け、ということか。
「この二つの伝説はいずれ混じり合っていくのかもしれません。ですが歴史の果てで万が一あなたが目覚めることがあった時、人間は人間の願いを叶えるために、あえて巫女の血を海に流す手段を取り、眠りについたあなた達を叩き起こしたことになる。今、この地が荒れ果てたように、はるか遠い未来に、この地が再び荒れ果てる可能性を考慮した上で、それでもなお、その人間は願いを叶えようと呼び起こしたことになります。それは、そもそもの人間の生活を破壊してでもなお、その自らの願いを叶えようとする主我の果てと捉えられますから」
龍は吠える。いや、笑ったようだ。
「そりゃあ面白い。いいだろう」
「ありがとうございます。これで、この地は平穏が訪れます」
龍は天女のその言葉を聞くとその巨大な体を折り曲げ、江ノ島の海に向かって沈んでいく。
その光景を天女が見送る中、彼女は急に自分の方へと振り向いた。
「──これが、五頭龍伝説の正体よ」
天女。煌めく羽織を着込み、黒の真っ直ぐな髪を携えた彼女は私を認識していた。
「私が見えているんですか」
「もちろん。柊木鈴音さん」
「なんで私の名前を知っているんですか」
もう一度尋ねるも彼女はふふ、と笑って見せる。
「一度、天から降りた者は二度と戻れないの。あなたは私の遠い子孫。そして、あなたと私が今こうして出会ったということは、私は賭けに負けたのね」
少し残念そうに彼女はつぶやいた。
「五頭龍は目覚めました。今、街はめちゃくちゃになっています」
「残念ね。やっぱり、私の読みが甘かったのかな」
「──それはわかりません」
先ほどまで自然豊かであったこの地に、突如ビルや家屋が芽のように大地からとび出し成長していく。そしてあっという間に今の、現代の光景が出来上がっていく。先ほど沈んだはずの五頭龍も、海から浮上しその大きな巨体で聳え立つ。
「五頭龍はきっと、人間に対して怒り狂っているでしょう。人間と自然の約束も破るだけでなく、天女の血を継ぐあなたを利用する者もあらわれ、そして五頭龍すらも利用しようして、『自らのみ』の願いを叶えようとしているのだから」
「そうなのかもしれません」
源は自分を人質に取り、鎌倉幕府の再興という誇大妄想を叶えるために五頭龍を蘇らせ操った。
「でもね。私はまだ、可能性を捨てきっているわけではないの」
「可能性。ですか」
彼女はこくりと頷く。
「人間の願い。それは決して悪ではないわ。その願いというのは『良くあってほしい』という希望だもの。人間の命は短い。その中で、何かを成し遂げるのは難しい。だから人は願うの。子供には良い生活を与えたい、遠い子孫が豊かに暮らせるようにと、技術や文化、思いのバトンを渡していく。こうありたい。こうあってほしいと願わざるを得ないのが人間なの。それこそ、文字通り『自然』の摂理よ」
天女はこの地を見渡し言う。
「五頭龍にもう一度、伝えるのです。人間は自然と共にあるということを」
「──今の彼らには、その話が伝わるとは思えません」
今この地に目覚めた五頭龍は怒り溢れている。それを自分は確かに感じる。
「一度、その怒りを鎮めてもらえば良いのです。そのための力が今、あなたのすぐそばにはある」
「すぐそばって、一体どこに」
「龍の怒りを鎮めたる力。『草薙の剣』。それは姿形を変え今もこの地に存在しています。剣そのもの姿ではなく、その者にとって真の武器『剣』と成りうる姿で、あなたの元に辿り着いています」
「──そんなの私、知りません」
困惑する自分に向かって、天女は再び微笑んでみせる。すると彼女が月明かりに照らされ、次第に姿が消えていく。
「五頭龍は江ノ島の地に舞い戻り。怒りに身を任せすべてを破壊する真の力を取り戻しました。今この時も彼らは力を溜め、それを解き放とうとしている」
五頭龍は雄叫びを上げると、とてつもない爆風が彼らから放たれた。その風の力でビルはおろか、山々の木々も全て吹き飛ぶ。
海はうねり、その波が大地を飲み込む。
「そろそろ時間のようです」
「ま、まって。私は」
消えていく腕を掴もうとする。しかし、それはするり、空振りしてしまう。
「あなたの近くにいる大切な人間。そのものが持つ力が、龍の怒りを鎮めることができるでしょう。私は信じていますから」
最後に彼女はそう呟くと、消えていった。
そして、目が覚めた。




