8話:桜井京子とは(浅倉朝太郎)
あくる日の体育の授業。連日続く記録的な猛暑がさらに追い打ちをかけ、3日目にして一番苦手なサッカーで運動音痴であることが露呈することになった。
「浅倉お前って本当は全く動けないのな」
髪をかき分け汗を拭く村尾はあざ笑う。
「仕方がないだろ。その、ほら才能ってやつがないんだよ」
自分の心臓と肺は限界を訴えていた。この暑さもあり真面目に取り組んでいるのは一部の運動部だけで、かくいう村尾も日陰で涼んでいるのであった。
「なあ、あっち見てみろよ」
校庭はサッカーグラウンド一つ分の大きさだ。現在、男子組はその半分をつかいサッカーをしている。もう片面は女子がソフトボールを行なっている。
当然、男子と比較するとさらに女子は参加率が悪い。自分たちのクラスの女子、その中でも一際目立つのは例のごとくギャル集団だ。もちろん、その中には柊木も含まれている。
もはや体操服に着替えもせず制服のまま、手をうちわのように仰ぎ、それぞれが携帯電話を眺めている。
「よし、早速聞き込みだ。いくぞ浅倉。今日は体育を受け持ってる藤井も腹痛なのか、職員室に帰ったしな。今がチャンスだ!」
そう言い、彼は少し髪を整えたあと彼女たちへ歩みを進める。
昨日、例の異国人の女性が帰ったあと、浜辺から自分と村尾宛に連絡があった。
──ちーちゃんも協力してくれるって。
そのメッセージはつまり「了承」ということであった。村尾が言う、桜井という女子のインタビュー記事を一面とし、新聞を作ることを皆で決めた。
「おい浅倉。お前も行くんだよ。桜井のこと知ってるのは柊木のグループしかとりあえずはいないんだぜ」
「けど授業中だぞ」
「ほら、先生だっていないじゃんか」
確かに村尾の言う通り、サッカーに夢中であり気づかなかったが、体育を専門とする藤井教師の姿はなかった。
「クーラーの効いてる部屋に帰っちまったんだろ。ほら、動いた。動いた」
仕方がなく、彼女のもとへと歩みを進める。
木陰には柊木を含めた三人が座り込んでいた。
「なあ、ちょっといいか」
村尾の声がけに対して、じとりと怪訝そうな目線を送るのは柊木であった。
「あ、転校生」
一人ひょいっと立ち上がる。茶色い前髪をあげ一本で縛っている。けらりと笑うところに小さな八重歯がのぞいていた。
「ねね。私、佐々木ヒロコって言うの。ヒロぽんでいいよ。ねね。なに? 遊びの誘い。いいよ。私は全然おっけ」
佐々木と名乗る女子は、やつぎばやに自分ヘ話かけてくる。転校初日に例のインステグラムでの桜井と言われた生徒の写真を柊木に見せていたのは彼女だ。
「あ、抜け駆け」
垂れた目をしたゆるくパーマをかけた女子は近寄ろうとする佐々木を止める。
「私、水無月さとみ。五月蝿いバカつまんないでしょ」
そういって立ち上がる彼女。その振動で豊かな胸が揺れる。垂れた目の近くには黒子があり、随分と艶かしい雰囲気をしている。
「おいおい。話かけてるのは俺なの。浅倉じゃなくて、俺。村尾!」
「村尾はお呼びじゃないっての」
一蹴する水無月は毒を吐くかのように村尾に告げる。
「く、こいつら」
なんとか怒りを鎮めているのか小さく「落ち着け、落ち着け」と言い聞かせている。
「ねね。鈴音。あんたも自己紹介しときなよ。結構イケメンだしさ」
話を振られた柊木は、ちらりと携帯から目を離しこちらを見た。
「え。私はこいつのこと知ってるからいい」
「まじ? なになに。もう手出してたの?」
佐々木はぴょんと飛び上がる。同じような反応をしたのは村尾だった。
「な! なに!? お前らいつから知り合いだったんだよ」
村尾もまたいかがわしそうにこちらへ目を向ける。
彼女の今のセリフ。間違いなかった。やはり小学校のころよく遊んだ柊木鈴音。姿形は大変身してしまったが彼女本人だったのだ。
「覚えててくれたのか。柊木」
「別に。小学校が同じだっただけじゃん」
冷たく突き放す彼女とは裏腹に、傍らの女子たちは随分とはしゃいでいた。
「あ。珍しく照れてる鈴音みたかも」
水無月はふふ、と小さく笑う。
「照れてないって。こいつ結構陰湿だから気をつけた方がいいよ。根暗だし。運動音痴だから」
「おい、そこまで言う必要ないだろ」
柊木はぷい、と携帯に目をうつしてしまう。小学校のころの記憶はもうないが、彼女に対してそんなひどい仕打ちをした覚えはないのだが。
「なになに。感動の再会ってやつ? いいないいな。もう付き合ってるの?」
「付き合ってないってば。そもそもなに? 何の用?」
村尾は「あ」と思い出したかのようにひとつ咳払いをする。
「お前らさ、桜井の連絡先知らないか?」
顔を見合わせる三人。
「まあ、知ってるけど」
口を開いたのは水無月であった。
「俺たちに教えてくれないか」
「なに村尾。あんた桜井狙ってるの? やめといた方がいいよ。あいついろんな噂あるし」
「うわさ?」
自分の質問に対して佐々木が答える。
「桜井ねえ。今、男とどっか逃げてるっぽいんだよ」
そう一つ言っては彼女は携帯の画面を見せる。
それはこないだとはまた違う写真であった。
これまた暗い写真であった。自撮りなのか彼女しか写ってはいない。遠くに一つだけ街灯があるだけで、ここがどこなのかは一瞬では判別できない。
しかし、整った顔がただこちらを覗いている。笑いもせず、カメラを見つめている。
「なんか変な写真だな」
「外でしてたんでしょ」
水無月のするどい言葉。村尾は「え。まじ」と素っ頓狂な声を上げる。
「あ。そういうことか」
その写真を見て、あることに気がついた。彼女が伸ばした手は携帯を持っているのだろうが、その反対に彼女の腕を掴む大きな手があった。
「確かに、これは男の手だな」
「どれどれ」
村尾もその写真を覗く。
「なんか。桜井って子。一応昔の私たちのグループだったんだけどさ。その男癖がめっちゃ悪くてさ。もう疎遠も疎遠。しかも今、かなりやばい連中と連んでるらしいし」
「はあ」
と言葉にならない返事をしてみる。
「だから村尾もやめといた方がいいよ。絶対。あんたなんかボコボコにされて、逗子海岸に捨てられるよ」
佐々木の冷たい言葉を真に受けた村尾は口を押さえぶるり、と震える。すこし小突くと、正気に戻り彼はまたごほん、と咳払いをしては続ける。
「いや。違うんだって。彼女を取材するんだよ。俺たち」
「取材?」
水無月の質問に対して、村尾は「あ」と再び声を上げる。また何かを思い出したらしい。
「そうだよ。お前たちだって新聞部だろ。桜井のインタビュー記事で新聞を書くんだよ。じゃなきゃ廃部なんだって。そしたら俺たち真面目な部活入らなきゃなんだぜ」
「どういうこと?」
その質問をしたのは柊木であった。
今回の経緯について村尾は一通り説明をした。新聞記事を書き、全校生徒のほとんどが見たことのある新聞を作らなければ廃部になること。新聞の記事の内容は生徒の噂になっている桜井のインタビュー記事をかくこと。そして、その内容についても生徒会は了承していること。
「ははん。だいたいわかった。ねね。どうする鈴音」
部長からのメールを無視した話に村尾が脱線し始めた時、佐々木は尋ねる。
「私たちはパス。そもそも新聞部なんてどうでもいいし」
「は? 何言ってんだよ。そしたら柊木も夜遊びできないんだぜ」
「別に最初からしてないって。それに、そしたらまた適当な部活入るし」
柊木はわかりやすくさらに不機嫌になる。
「あのなあ。それでも、今よりも楽な部活ないんだからさ」
「いや。面倒だし」
「でも結局のところ、桜井に今回の真相を聞けばいいだけでしょ。それこそ、電話とかメッセージで聞けばいいんだし。簡単じゃない?」
「うん。それで今と変わらぬ生活が送れるなら確かに安い話ではあるとは思うけど」
佐々木の返事に対して水無月も続ける。
「どうせオチだってわかってるしさ。不良と逃避行してるって、そういうふうに書いてさ。あとは俺たちで『学校にはキチンと通いましょう』ってすらすらって書けばいいだけなんだし」
村尾は描いた結論をさらに説明した。
周りの二人は賛成しているように見えた。しかし、唯一反対の姿勢を崩さないのは柊木。やはり乗り気ではないらしい。
「ねね。すずはなんで嫌なの?」
「だって、なんか友達売るみたいで嫌じゃん」
──友達
その言葉が妙に心に刺さった。疎遠になったと佐々木は言っていたのではないのか。
「ねえ。すずちゃんだけだよ。そういう風に桜井かばってるの。あいつから裏切ったんじゃん」
「裏切った?」
自分の質問に対して柊木は答える。
「──別にその話はいいでしょ。私たちはこの話には乗らないから。勝手にやればいいじゃん」
そう一つ告げて遠ざかる柊木を追うことはできなった。終業のチャイムがけたたましく鳴り響いたためだ。
昼休みに入り、村尾とともにパンに齧りついていると、一人の女子が入ってきた。
服装は所謂、本当の世間一般で認知されている制服であり、白いシャツと紺のスカートを身につけた彼女が優等生であることは間違い無く、そんな彼女が生徒会の「ちーちゃん」であることは容易に予想できた。
「村尾くん」
「あ、あんた様は」
たじろぐ村尾にウインクしてみせる彼女が生徒会長、峰岸千里であった。
「あ、こっちは浅倉くんね。こっちの生活は慣れた?」
前髪を眉上に綺麗にそろえた彼女の小さな瞳がこちらを見つめる。
「名前知ってるんだ」
「うん。もちろん。北海道から転校してきたんだよね。話は、はまちゃんから聞いてる。新聞部に入ったって」
彼女はそして思い出したかのように手を合わせる。
「それでさ。例の話なんだけど、進捗状況はどうなの?」
「どうやら、不良の彼氏か何かと逃避行しているって噂だぜ。まあ、実際は親に黙って旅行に行ってるだけっぽい」
村尾の返事に対して彼女は首をかしげる。
「え、そうなの。聞いてる話と違う気がする」
「どういうこと?」
「私が教頭先生に呼び出された時に、桜井さんのお母さんもいたの。そしたら、その時最近は夜遊びとかもやめて、家業を継ぐために勉強するって宣言していたらしいの」
そして彼女は続ける。
「実際今までにこういったことは何度かあったみたい。二日帰って来ないこともあったって。けど、本当に最近はそういった遊びも全部やめたって言ってたらしいの。それこそ、危ない彼氏とも別れたって」
──矛盾している。
さっきまで柊木のグループと聞いた話と明らかに違っている。あの写真に写っていたのは男の腕だった。しかし、今の話だと彼氏はいないと言っていたという。
峰岸が聞いた話に偽りがないとしたら、その男は一体誰なのか。
「なあ、朝太郎どう思う」
村尾は頭を少し掻き尋ねる。
「わからない。けど事実として桜井さんの写真はインステに上がってたわけだし、そこに男らしき手も写ってた」
「ふうん。そうなんだ。となると、ますます分からなくなってきちゃうわね」
彼女はひとつ返事をすると、チャイムが鳴った。しかし、それは始業を示すものではなく、目の前の彼女を呼び出すものだった。
「──2年の峰岸さん。至急職員室に来てください」
声の持ち主は担任である藤井であった。
「あ、呼び出し」
「たぶん、この件だと思う。行ってくる」
そう言い残すと彼女はぱたぱたと駆けていった。
「俺は桜井がお母さんに嘘をついてたと思うけどな」
村尾は峰岸の背を目で追いながら呟く。
しかし、次に峰岸と会う時の言葉は自分たちの想像を遥かに超えるものであることをまだ、自分たちは知らない
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