7話:父の友人は異邦人(浅倉朝太郎)
例の彼女が働くコンビニに行ったが、その姿はなかった。
生活が同級生に見られてしまうと言うのは恥ずかしさもあり安堵していたが、それとは反対に何となく残念な気持ちがしたのは不思議であった。
結局、家に着いた時にはいつものごとく汗まみれであった。買い物袋をそのまま居間へ放り出し、シャワーを浴びる。
一瞬冷たい水が出てくるはどうにかしてほしい。汗を一通り洗い流す。
転校二日目にして、友人もできただけでなく、目標染みたものまで手に入れてしまった。
想像以上に順調であった。はじめは不安だった。
それこそ、北海道から来たことでイジメられたらどうしようと思っていたくらいだ。だからこそ、この順調ぶりが少し不安であった。出来過ぎ、とまでは言わないかもしれないが、奇妙な感覚に襲われた。
しかし温かなシャワーはその不安感をすぐに洗い流してしまう。鼻歌を少し歌いながら、シャンプーに手をかけた時、インターホンが鳴る。
はじめは違う家の音が聞こえてきたと思ったが何度も鳴ったため、ようやく自宅のものだと気が付いた。そもそもはじめて家のインターホンの音を聞いた。
「ああもう」
急いで体を拭き身支度を整える。髪は濡れているが気にしてはいられない。
どたどたと廊下を歩きドアを開ける。そして、思わず声を出してしまった。
「あ」
玄関先にいたのは女性であった。だが、異国人であった。
白人で綺麗な金の髪が胸元にかかっている。目のやり場に困る服装であった。
「ミスター浅倉はいますか」
彼女は流暢な日本語で問いかける。そして、朝の父の言葉を思い出す。
「あ、父の友人ですか。今日来るって言ってた」
一瞬の間があった。日本語が通じていないのだろうか。
「あ、そうです。ビアンカです。その、ミスター浅倉がロスにいた時の友人です」
父がロサンゼルスにいたことをはじめて聞いた。
「あの父はまだ帰ってきてなくて。その、上がりますか?」
「え、いいんですか。それじゃあ、遠慮なく。お邪魔します」
彼女は家に入り、周りを一つ見渡しては、綺麗にサンダルを玄関に並べた。
ふわり、と香水の匂いがあった。それにどきりとしながら、居間へ案内をする。
「ええと、ミスター浅倉の息子さん?」
「あ、はい。そうです」
「そうでしたか。それにバスタイムだったんですね。申し訳なかったです」
「い、いや。大丈夫です。すみません散らかってて。男二人で、最近こっちに引っ越してきたばかりなので」
「いえ。お気になさらず」
一つ頭を下げると女性は正座で座る。
──父とはどういう関係なんだ。
「ええと、お名前は?」
「あ、僕は浅倉、ええと、浅倉朝太郎です」
「アサタロウ。お父さんに似て武士みたいで格好良い名前ですね」
そして彼女は自分の心を見通したように言葉を続ける。
「ミスター浅倉とは私の父が同じ会社だったの。それで、時々日本の話をしてくれたんです。今は大学の夏休みだし、いい機会だったから日本に一人旅をしに来たの」
はあ、と返事にならない言葉が出てしまった。しかし、あの父に限っていかがわしい関係を疑った自分の馬鹿さ加減に少し嫌気がさしてしまった。
そして会話は途切れてしまい、一時間が経とうとしていた。客人が来てくれたからこそ、一人だけにさせて置くわけにもいかず、今や七時になろうとしている。
「早く帰ってこれるって言ってたのにな」
「あの」
何度目かのお茶を啜っては、異国人は話しかけてくる。
「ここ、鎌倉という街は随分と歴史がありますよね」
急な話題で思わずたじろいでしまった。
「ええ。まあ、一千年前からある街ですから」
「千年」
彼女はぽつりと言葉を残す。
「私は大学で民族学をやっているんです」
「みんぞくがく?」
まさか異国の人から知らない日本語が出てくるとは思いもよらなかった。
「はい。ええと、いろんな地域の伝承だとか、言い伝え、それに応じた人々の生活などを研究する学問です」
彼女は続ける。手は座るようにと促され、それに応じ、彼女の対面に座った。
「この鎌倉の名所に江ノ島という場所があるようですね」
「ええ。まあ」
「五頭龍伝説はご存知ですか。五つの頭をもつ龍の伝説、いいえ神話と言った方が適切かもしれません」
「ご、ずりゅうですか。すみません。その話は知りませんけど」
「そうですか。それは残念です。話はこうです」
彼女は続ける。白熱灯の光が通った鼻筋を照らす。お人形さんみたいな女性がちょこんと和室に座る、この光景があまりに異様であったため、話に聞き入ってしまう。
──はるか昔、鎌倉の湖に五頭龍がいた。
その龍は文字通り五つの頭を持ち、一つの胴体に繋がっている。龍がひとつ咆哮すれば、海はまたたくまに荒れ、嵐となる。街にすむ人々の多くはその天変地異に惑わされ、苦しんでいた。
人々はこの状況どうすれば、打開できるのか。あれやこれやと考えた。龍に弓や刀で戦いを挑むが、それは結局無駄死に終わるだけであった。
そうして村人はとうとう龍の怒りを鎮めるために、多くの生贄を捧げることにした。しかし、それでも龍の横暴は治らない。すると、ある日不思議なことが起きた。
そして、それを龍は見た。
江ノ島へ、一人の天女が光と共に現れた光景を。
「その後、五頭龍は、その天女に恋をするのです」
「はあ、恋ですか」
龍と女神様の恋。あまりしっくりこない響きだ。
「龍は求婚しますが、その恋は実りません。当然です。今まで人々を苦しめてきたのですから。それこそ暴力的な殿方などNGです」
「まあ、暴力的で済ませていいんですかね。天変地異っていうのは」
彼女は自分には返事をせず、なお続ける。
「龍はそして心を改めます。津波が来ては自分の体を張りせき止め、日照りにより農作物が育たない時は雨を降らせました」
「いい奴になったんですね」
小さく頷く。
「龍は自然を司る守り神とも言われています。だからこそ、天女から言われたんでしょうね。今度は人間に慈悲を与えるように、と。そうして今では神社では彼、五頭龍を祀った祭りもあるとか」
「しりませんでした。祭りは多い地域なので」
ふふ、と彼女は笑う。しかし、その次は再びの沈黙であった。
「あ、あの。なぜ、その話を」
「いえ。なんとなく気まづかったので」
「あ、そうですか」
その返事では、さらに気まずい雰囲気になってしまったことには彼女は気づいていないようだ。
「ミスター浅倉はまだお帰りにならない?」
「あ、そうですよね。ちょっと電話してみます」
早く帰ってくると嘘っぱちを言い残した父を呪いつつ、電話をしてみる。しかし、何度着信しても一向につながる気配はなかった。
「ダメですね。最近も帰りが遅いみたいなので、仕事が立て込んでいるのかもしれません」
「そうですか。それじゃあ、日を改めます。しばらくは近くのホテルにいますので」
そう言って、立ち上がる所作もまた美しかった。
再度の詫びを言い、玄関口まで送った時に彼女は振り返る。
「あ、そうだ。連絡先を教えてもらっていいですか」
「ぼくのですか」
「ええ。それこそ、友達になりたいですもの」
そういって、携帯電話を指し出す。それぞれの連絡先を交換すると彼女は満足したように微笑み、家を後にした。
刹那、送っていこうか迷った。九時ごろではあるが、父の失礼もあったので結局送ることを決め、ドアを開けた。
しかしそこには彼女の存在はなかった。まるで、煙のように夜の闇に消えてしまったのだ。
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