74話:子供みたい(柊木鈴音)
昨晩、源の手により自分の髪は黒く染められた。
洗面所で髪を流された時、中学生ぶりに黒髪にもどった。
小学生のころ髪が真っ黒であり、おかっぱ頭だったこともあっていじめられていたことを思い出す。同じく鏡に映る源は出来栄えを見て、満足そうに頷く。
その表情に気持ち悪さ以外の感情はなかった。そして再びデッキまで戻ると再び長椅子に座らせられる。
結局この場所から抜け出すにはエレベーターか非常階段を下るしかない。
エレベーターは停電のため動いておらず、非常階段の前には出入りを封鎖させるためか、椅子の類が積み上げられており、隙をついたとしても時間がかかってしまいそうであった。
思考は疲労のためうまく回らず、結局彼に促されるままとなり、寝そべることなく眠りについた。
そして気を失うように寝てしまい、起きた時に源は海が見えるカウンター席に一人座り、街を眺めていた。
「──全く。日本ってやつは」
彼は自分が目覚めていることに気がついているのか分からないが、呟いた。
あたりを見回す。時刻は十一時を示していた。
彼は放送の中では正午ちょうどをリミットであると言っていたはず。その刻限が過ぎた時いったい何が始まるのか。
「鈴音ちゃん。君はこの国のことどう思う?」
彼はぐるりと首を回し尋ねてきた。どうやら目覚めていたことに気づいていたらしい。
「そんなの知らない」
「知らないか。冷たいね。でも君たちのような子供たちの意見も、僕としては聞いておかなければならないんだ。なにしろこの国を導いていかなければいけないからさ」
彼はすでにこの国のリーダーであるかのような物言いだ。
「少なくとも、あんたみたいなサイコパスがいたら国はおかしくなる、それは分かるけど」
「サイコパス。どうしてそう思うんだい」
「そんなのきまってる。龍を復活させて、鎌倉幕府とか将軍だとか、そんな訳の分からない計画を考え付くなんて頭がおかしいとしか言いようがないでしょ」
「そうかなぁ」
自分の突き放した一言など、全く気にも留めないかのように彼は陽気に返事をした。
「僕は至って普通だよ。僕は源家の末裔でさ。五頭龍が存在する事は前々から聞き伝わっていたんだ。でもさ、そんな話信じられるわけないじゃない? けど登鯉会の老人たちと会話をする中で、遠い昔から五頭龍を復活させて、幕府を再興。それこそ、僕の遠い先祖の頼朝さんだったりがしたように、もう一度この国の舵取りを、この地で行うための計画が、ずっと昔からあったんだって言うんだもん。そしたら、僕の代になった時に、復活の儀式を執り行う段取りが整ってしまったんだ」
「──どういうこと?」
「まず、五頭龍復活のための巫女の血を捧げるということ。これについては、女性で若い女であればあるほど意味があると教えられていた。それで、田村さんや桜井さん、土肥さんという二十代にいかない最高の世代が揃ったわけだ。まあ、入道に関しては独り身の老人だったから、そういった意味だと完璧な儀式の完遂まではいかなかったけどね。だがこうして五頭龍は動き出した」
「だから、何だって言うの」
源は立ち上がり、椅子に座る自分の前をぐるぐると回り始める。
「つまり、源家きっての悲願が、偶然僕が生きているこのタイミングでチャンスが回ってきてしまったわけだ。そして、同じ時に登鯉会によくわからない企業からも多額の資金も得られた。つまり、手段も力も揃ったわけ。例えばだけどさ、鈴音ちゃん。君が、皆を助けたいお医者さんになりたかったとする」
「そんなのなりたくないけど」
つれないなぁ、と源はへらへらと笑う。
「君のお母さんも昔から医者なることが夢だった。つまり、これは家族の願いでもあったわけさ。そんな思いを託された入試の時、ライバルだった人はみんな体調不良で欠席、つまり自動的に合格できることがあらかじめ分かった。そして、お医者さんになれると知った君は、さらにラッキーな事に優れた先生の下で指導を受け、最高の医療が提供できる環境が整えられ、それが準備されていることも教えてもらった。じゃあ鈴音ちゃんはどうする?」
「知らない」
「自分のこの国をよくしたいと思って、警察に入った。個人の力では何も良くならなかった。でも、まるで運命かのように、全てが揃ったんだ。自分がヒーローになれる大チャンスが。それが、先祖のみんなの思いでもあるならば、答えは一つ。そのチャンスを掴む。そう、僕はみんなの願いを叶えただけなんだ」
彼はそう言うと初めて視線を落とした。いや、落としたようにも見えた。
「これでも,君はサイコパスというのかい? 僕は願いに答えているだけさ。五頭龍もそれを分かってくれるはず」
源は窓の外を見て、牙を剥きこちらを見る五頭龍を見た。
「君だって、親のことは大切だろう」
「それは」
「柊木さん。あの人は不器用だけど、君のことを大切に思っていた。今回の事件だって鈴音ちゃんに危害が及ぶかもしれないと思って、全てを投げ出し捜査に挑んでいた。君が家を空け仕事三昧だったお父さんと結局のところ一緒に住み続けたのは、お父さんを愛していたからでしょ」
実際のところこの男言う通りかもしれない。母がいない中、運動会などの学校行事に父が来てくれたことなど数えるくらいしかなかった。一緒に食事をすることもほとんどない。もはや家族として生活しているなんて思っていなかった。しかし、家出を本気で行わなかった。その理由は、一つしかないのかもしれない。
「君みたいな若い子はやろうと思えば、なんだってできたはず。東京にでも一人で出ていってしまっている子供たちも沢山いるよ。強行手段に出ようと思えば、出られたはず。でも君はしなかった。意図的に、選択的に親の思いを汲んだのさ」
この男の言うことは確かに否定できなかった。
「確かに言っていることが突飛な事は僕も承知しているよ。けど、実にロジカルだよ。チャンスが来て、それを掴んだ。そして今、一族の悲願を遂げようとしている」
「──あなたは本当にこれがしたかったって事?」
まるで言い聞かすように演説を続ける源に告げる。
「もちろんさ」
彼は少し影を落とし返事をした。
「さて。話をし過ぎたね。そろそろ時刻だ。彼らの、現日本の返事を待とうじゃないか」
時計を見る。
刻限まであと五分が迫った時、急に屋外から轟音が響いた。五頭龍ではない。では。
すると、ドン。と凄まじい衝撃を感じた。そして、室内がぐらぐらと揺れる。
「なるほど。そうか」
源はくく、と笑って見せる。
「答えはNOというわけだね。ならば力ずくと行こうじゃないか」
彼はそういう時自分に近づく。
「鈴音ちゃん。少し我慢しておくれ」
そう言うと彼はポケットからスイッチを取り出す。そして、それを押す。すると首輪から昨日も感じた鋭い痛み。電気が体に走った。
「ぐっ」
「ごめんね。鈴音ちゃん。さあ。五頭龍怒るんだ。このまま陸地を目指せ。さもなければ愛しい天女様は痛みに苦しむことになる」
何とか目を開ける。
すると、展望台の一面に龍の顔があった。目を大きく見開き、黄色い瞳に源が反射する。
その目は怒りに満ち満ちていた。
そして。再びの衝撃。どうやら爆弾が落とされているようであった。龍はグルルと犬のように唸る。彼らも痛みを感じているのだろう。しかし、致命傷にはなっていないようで、さらにその目にさらに怒りが灯り始める。
そして。龍は活動を再開した。自分たちがいる展望台の横を通り過ぎるように、ゆっくりと。ただ、眼下に存在する人工物、自然を薙ぎ倒しながら陸地を目指す。
「さあ、鈴音ちゃん。僕たちも行こうか」
彼は目を爛々とさせながら言い放つ。




