72話:侵入・シリウスインダストリー(浅倉朝太郎)
疲労が積み重なりもはや夢も見ることもなく熟睡してしまった。
朝日が差し込む窓は風でビシビシと音を立てる。
飛び起き、辺りを見回したところ、ドミニクとビアンカの姿はなかった。壁にかけられた時計を見ると七時を指していた。
眠りについた時刻は正確にはわからないが、本当にしっかりと寝てしまっていた。
まさか置いてかれたのか、慌てて小家を飛び出す。小家のそばには誰もいなかった。振り返ると、依然龍の姿があった。夢であって欲しかったがやはり現実のようだった。古屋から離れ、砂浜の方へ向かうと十人ほどの人が集まっていた。ほとんどが異国の人であり、ドミニクを中心に周りを取り囲んでいる。
「キーパーソンのお目覚めだ」
ドミニクは自分と目が合う。
「──お、おはようございます」
恐る恐る挨拶をする。
「朝太郎。おはようございます。すでにブリーフィングをしておりました。ここにいる人たちは、もとより潜伏、今回のミッションで来日したCIAの人間、その協力者です」
ビアンカは手を広げる。それに対し諜報員それぞれが敬礼をする。
年齢は様々、性別も様々。しかし、一様に鋭い眼光を放っている。昨晩、広げていた無線機で通信を取り合い合流していたのだろう。
「アサタロー。今回、羽田に備えていたメンバーから、孝太郎らしき人物が日本に帰ってきたという情報が入った。そして、彼は神奈川方面に下ったらしい。つまり、あそこに既にいる可能性が高い。そして今回の人選は俺が信頼している者に限った。俺たちに裏切り者がいるのかもしれないが、こいつらはそうじゃないと信じている」
ドミニクは沿岸に浮かぶ工場を見つめる。
「この後あの工場に行く。当然、本国の了承はない。だが、ミッションを完遂する上で必要判断と考える。おそらくあのドラゴンのせいで、両国それどころじゃあないはずだしな」
「あと。朝太郎くん。あなたには私たちの人質になってもらいます。別に拘束をするつもりもありませんが、浅倉孝太郎に接触するために、貴方が必要になるかもしれません。そのために、CIAで貴方を保護していることにしてもらいます」
ビアンカは自分の肩に手を置く。
「わかりました。俺も親父と話がしたいのは変わりませんから」
彼女は頷く。
「それじゃあショータイムと行くか」
ドミニクは高らかに宣言をした。
数分後、砂浜には三台のボートが並べられた。ゴム製で二、三人が乗れるモータ式の物だ。
「これで、工場へと向かいます。ドミニクと私のボートに朝太郎も同乗してください」
「わかりました」
そして、彼女らは大きなリュックサックを担ぐ。最終チェックなのかボートの中で、それを一度開く。
物々しい火器がその中には無数に入っていた。相手は武装しているというのか。緊張が走る。
「源が言った十二時まで、残り四時間ばかしだ。時間がない。行くぞ」
ドミニクは耳につけた無線機に伝えると、各々のボートが発進する。
天気は異様であった。海は五頭龍から放たれる暴風の影響でしけている。しかし、この街一帯は快晴であり、少し離れた場所には巨大な入道雲の壁がつくりあげられている。まるで台風の目にいるかのように。
ジェットコースターさながらの上下運動に頭も揺れる。
「一度先発隊が海上保安庁の名を騙り警告を打つ予定です。その拍子で沖合の方にある輸送船の発着場に我々は上陸します」
ビアンカは手筈を語る。
「相手はアメリカの秘密情報をぶんどるような大立ち回りをする連中だ。おそらく抵抗もあるかもしれない。朝太郎。覚悟しておけ」
ドミニクは最早、ビーチボーイズの店長という顔は捨て去ったようで、仕事完遂のために命をかけるプロの目になっていた。
「抵抗、つまり銃撃戦ってことですか」
「その可能性はある」
「わかりました」
「やけに潔いな。大和魂ってやつか」
彼は鼻で笑う。
「違います。昨日一度経験しているだけです」
「いざとなったら、渡してあるコルトを使ってください」
ビアンカは自分の膨らんだポケットを指差した。
「僕は戦うつもりはないです」
渡された拳銃を使うつもりはなかった。使い方は一応教えてもらってはいたが、人を殺める覚悟までは決まってはいない。
そして、工場の近くまでたどり着いた。仰ぐように見ると丘から見えたよりもずっと巨大な工場であった。
高層ビルのようなクレーンが、高く築かれたコンクリートの岩壁から生えており、おそらく端から端まで歩くのに十分以上はかかるほどの大きさだった。
先鋒を務めていたボートだけ残り、二つは工場をそれぞれが旋回して裏手に回る。自分たちは時計回りを描くように反対側へと進んでいく。
ちょうど時計でいう九時あたりに差し掛かった時、拡声器の音が響いた。
「海上保安庁です。シリウスインダストリー日本支社に立入検査の指示が出ています。ご協力をお願いしたい」
流暢な日本語で工場へ問いかける。しかし、反応はない。
「いくしかない。チームアルファもそのまま進め」
ドミニクは無線を通し、指示を出す。
「五頭龍の一件で皆逃げたのかしら」
奇妙なほど無音な工場をビアンカは見上げる。
「繰り返します。海上保安庁です」
何度目かの警告を行うも以前反応はない。そうこうして裏手にたどり着く。
本来であれば大型貨物線が停泊する場所でもあるためか、人がそのまま乗り入れられそうな場所はなかった。その代わり落下した人が這い上がるための梯子は備わっていた。
「ここから行く」
ドミニクは立ち上がり、何十キロもあるであろうリュックをそのまま担いだ。
彼を先頭にその後にそれぞれが続く形で一段一段梯子を登る。
工場の甲板に上がるまでに十メートル以上は登る必要があった。
風は高さに比例して強くなるようにも感じた。塩の滑り気もあり、少し踏み間違えたら海へ真っ逆さまだ。
緊張を維持しながら、ヤモリさながらに壁を登ると、ようやく甲板にたどり着いた。
まるで映画で見た空母のように巨大な空間が広がっていた。ここで機材の搬出入をしているのだと思われるが、今は何もない。既視感の正体は、自分たちの校庭かもしれない。
「異様ですね」
ビアンカ懐から拳銃を取り出した。その動作に呼応し、甲板に上がった他の諜報員も構える。
自分はその後ろについていく格好となる。警戒しつつ、甲板の端を進んでいったが、入り口まではすんなりと進むことができた。相変わらず海上の部隊は通告をしている。当然返事はない。
「開いているのか」
三メートルほどの搬入用の扉をドミニクは引くと軋む音を立てながら数センチ動いた。
「本当に親父はここにいるのか」
思わず呟いてしまう。ドミニクと、もう一人でその扉を最後まで開けると、屋内の搬入通路が現れた。高い天井には工場内を運搬するためのクレーンがそのままぶら下がっていた。
非常灯が光るだけで、屋内はよく見えない。しかし、扉は複数あることはわかった。まだ道は続いているようだ。
全員が入り、進もうとしたその時。
「ぐっ」
自分の隣に立った男が低い唸り声と共に崩れ落ちた。
「え」
思わず間抜けな声を出してしまった。それと同時に小さく乾いた音が数回鳴る。
そしてドミニクにの前に立っていた女が倒れた。
「オポーネント、ライトヒア!」
ドミニクは叫ぶ。すぐさまコンテナの背後に散り散りに隠れた。自分も慌ててビアンカがいる方向へと走った。
その間もパン、と数回の音が鳴り鉄が弾かれる音が響く。
「これで確定しましたね。お父さんはここにいる」
敵。武装している何者かが自分たちを狙い発砲したのだ。この工場は避難されたわけではない。むしろ襲撃に備えていた。たかが一企業ではないのか。親父は一体どんな事をしているというのか。
「おそらく相手は数人。私たちを捕捉したので援軍が来るはず。それまでにここを打開するか。逃げるかしかありません」
ビアンカはニヤけるように笑う。
「ど、どうするんですか」
彼女は視線を反対側にいるドミニクに向ける。視線を受け取った彼はハンドサインを送る。それに対し、ビアンカは理解を示したようで、ふ、ふ、と力強い呼吸をし始めた。そして。
ビアンカはコンテナから躍り出た。それと同時にドミニク。他にも、後ろに隠れた男たちも飛び出た。
その瞬間先ほどまで単発であった銃声ではなく、ビー玉をひっくり返す、その何倍もの大きな爆音と共にそれぞれに向かい発砲。マシンガンだ。
狙いが複数のためなのか、それとも彼らの動きが素早いのか弾は当たらず、ビアンカはそのまま壁を勢いよく駆け上がり、二階に当たる場所へと数秒でたどり着く。そして彼女の手元が数回光る。
それと同時にドミニク達も火花をあげた。すると、一瞬にして静寂が戻る。どうやら、彼らは相手を撃退したらしい。殺した、のだろうか。
「朝太郎。早く」
二階に上がったビアンカは自分を手招く。リュックを握りしめ、彼女の見様見真似でよじ登る。段差もないところ駆け上がり、二階の床に手をかけ用とした時、つるりと滑った。
──しまった。
落ちると思いきや、その手をビアンカは掴み取り、ぐいと自分の体を持ち上げた。
「朝太郎。運動音痴だったりしますか?」
「自分ではそうは思ってないんですけど」
そのまま彼女の後ろをついていく。デッキのようなこのフロアは途中で合流する場所はなかった。ここで二手に分かれる形となった。ビアンカと自分。そしてドミニクたち四人。
別々の扉の前に駆け寄る。すると、物陰には唸っているヘルメットを被った男がマシンガンを片手に倒れていた。
その男の頭を彼女は強く蹴る。すると、ぐうと低い唸りをあげた。動きは止まる。
「殺したの?」
「いえ。気絶させただけです」
ビアンカは男に一瞥もくれず、扉に手をかけた。
「ドミニク。ここからは交信が途切れるかもしれません。私は朝太郎を援護しつつ、上を目指します」
交信を終えると、彼女は扉を勢いよく開け銃を構える。
「こちらはクリア」
長い廊下は無人であり、不気味なほど静かであった。
「警戒して進みます。ですが、これで分かりましたね」
先ほど発砲してきたことは少なからず、自分たちのような来客があることを想定していたのだ。
「親父はここにいる」
思わずつぶやいた。




