64話:棟梁の正体(浅倉朝太郎)
日は落ち始め、美しく燃えるような光が江ノ島に差し込んだ。
念の為、車二台。純也とビアンカは車を近くに停め、そこから村尾毅の先導で江ノ島を登る。
会話はなく。ただ、それぞれが準備した武器を忍ばせ、坂道を登る。
自分はビアンカからもらった拳銃をズボンに差し込んでいた。周りは、海を眺めて楽しそうに談笑する人たち、買い食いをして歩く人たち、事態を知らぬ人が多く往来している。
その顔つきとは全く異なる五人が足を進める。十分ほど警戒しながら歩みを進め、江ノ島神社の近くまでたどり着いた。
敵は今のところ誰もいない。毅が歩みを停めた場所は、祭りの前に鈴音と共に一瞬立ち寄った祠。鉄格子がはめられた、ひっそりと存在している入り口であった。
「ここなのか」
「──そうだ」
毅は頷く。そして、彼は錠前に持ち合わせた鍵を開ける。
「この鍵は登鯉会の中でも犬猿雉しか持っていないものだ。儀式を行う場所、入道がいるのはこの奥だ。もう一つ岸壁にも出口があるが、あそこで待ち伏せされたら海に真っ逆さまだ」
彼は状況を淡々と伝えた。
──龍が眠っている。
鈴音はホテルで寝る前に、そう言っていた。どこまで伝説に入道は固執しているのか。その狂気染みた考えに恐ろしくなった。
「中は暗い。気をつけながら進むぞ」
毅は扉を開く。暗闇に満ちた洞窟が姿を現した。誘導するための電気は通っているようで、豆電球がぶら下がり、不安定な石の階段を灯す。
先ほどまでの雨のせいか、階段は濡れていた。順番に中へ入っていく。道は限りなく狭く、一人がぎりぎり通れる程度であった。
ぴちゃり、と水が滴る音を聞きながら、一歩ずつ奥へと進む。誰かと示し合わせることもなく、会話はなく、黙々と進む。
背後に差し込む夕日の光も消え、暗闇を歩く。次第に目が慣れ始めた時、風が吹き込みのを感じた。
すると、視界に巨大な空間が広がった。
体育館の何十倍もの大きさ。天井は暗闇のため高さが読めないほどだ。
「すげえ」
洞窟の中に入り、第一声を放ったのは村尾虎丸であった。
しかし声を上げるのも納得であった。巨大な鍾乳洞のように、石の氷柱がぶら下がり、漆黒の湖が存在している。
なぜ、ここが観光スポットになっていないのか不思議なくらいだ。江ノ島の中心に当たると思われる場所。こんなところがあるなんて気がつかなかった。
「──いた」
柊木純也は低く呟く。彼が指差す方向に、人影が一つ。またこの場にはそぐわない簡易ベッドがあった。
「あそこに土肥さつきが捕まっていたんだ」
毅は歩き始める。
「きたぞ。入道」
柊木は大きく声を上げる。その声は洞窟内を反響する。
「お待ちしていました」
湖に近づくにつれ、影の正体が明らかになる。
小さな腰を曲げた老人。彼はカンテラのようなものと、真っ赤な輸血パックのようなものを携さえていた。
老人の顔に白いものが反射する。彼が歯をみせ笑っていたのだ。
「本当にお前だけのようだな」
耳を澄ませる。音はきこえず、暗闇に姿を消している可能性も無くはない。だが、人の気配は自分たち以外に全く感じない。
「ええ。まず、一つ。ここまで来たことに正直驚いています。われわれは数年前からのこの計画を立てていた。しかし、儀式がここまで難航するとは思わなんだ」
入道はくく、と乾いた笑いをする。
「入道さん。俺たち登鯉会が行っていたことは、全てここの人たちには話した。もう、おしまいだぞ」
毅は言う。
「力を示す、などといった詭弁はたくさんだ。これはただの組織的な犯罪行為だ。未成年を狙い、自分達の主義主張を通すために、誘拐、殺人未遂、殺人そのもの。それらを行ったただの狂気じみた団体の犯罪行為にすぎない。このことは、ここにいるビアンカのCIAや、警察の本庁も気が付いている。これはただの犯罪だ。入道、お前を逮捕する」
柊木が彼に近づこうとする。しかし、入道は待ったをかけるように、手の平を向けた。
「柊木さん。あなたの言うことは一理ある。でもね。老い先が短い私が、ただ自分達の地位を守るために行ったこととお思いか」
「何をいっているんだ」
思わず、言葉を発した。
「藤井香織が桜井を殺した。そして、土肥や柊木も殺そうとした。そのことが正当化される理由なんて、何もないはずだ」
自分の言葉に対して、入道は頷きで返した。
「──正当ですか。朝太郎くん。面白いことを言いますね。では、村尾虎丸くん。あなたのお母さんが大企業の貨物線と衝突事故が起き、亡くなった。本来であれば、この事件は大々的に報じられ、世間から企業は糾弾され、責任を果たさなければならなかった。しかし、そうならなかったのはなぜだと思いますか」
「え。それは、企業が隠蔽しようとして、親父たちにも金を渡して、それで」
「そうです。ではこれは『正当』なんでしょうか」
「それは」
虎丸が瀕する。
「今回の事件、はじめに行われた儀式。そして今までにおいて、事件がうやむやとなり、桜井京子に至っては、警察は、『自殺』と報じた。残された家族も信じたくはないその事実に頭を悩ませた。これも『正当』なのでしょうか」
「それは、お前たちが賄賂を藤沢署に渡したからだろうが」
柊木は吠える。
「しかし、その賄賂を受け取り、私たちの指示通り動いたことも事実でしょう。私は山下浩子を車で轢いた。そして、警察の連携した上で、血を抜き取った。三人目。田村ゆかりも、体が弱く余命いくばくかで入院をしていました。彼女の入院先である院長に対しても、金を渡し、手術の際に血を抜き取らせてもらった。彼女は手術に耐えられず亡くなってしまったが、これも病院の連携なくして、実行できなかった。これらは、全て、私たちの誘いの当事者が『間違っている』と思い。誘いを断れば起きなかったこと。違いますか」
「──なるほど。そういう主張なわけですね」
ビアンカは冷徹に納得してみせた。
「すでに、ここ日本。このシステム自体が『正当』ではないのですよ。力によって、自らの行動原理すらも歪めることができるこの社会がすでに間違っているんです。私は老人です。もう、未来はない。しかし、本当の意味で、この国を変えることができるのは、確固たる決意を持った英雄と、自暴自棄になりながらも、願いを未来に託そうとする老人なのですよ」
「お前の言っていることを理解するつもりはない。だが、考えはわかる。しかし、それは間違っていることだ。結果的に、警察や、それらを登鯉会は抱き込んだのかもしれないが、今こうして、俺たちは敵として今、目の前に対峙している。お前を捕まえて、本庁やCIAに引き渡せば、この事件の真相は明らかになる。そしたら、わかるはずだ。お前たちが間違っていたということを。儀式なんてカッコつけているが、事件は事件として明らかになるんだ」
柊木は吠えた。しかし、入道はまだなお冷静でいた。
「登鯉会には、私たちの思いを信じた若衆は多い。彼らはこの国の力に負けた孤児の人たちだ。他にも、私が掲示板に投稿した朝太郎くんや柊木鈴音嬢を狙った人たちも生活に苦しむ者たちだ。彼らも被害者なんですよ。仮に今回の事件を明らかになったとしてもそれはそれで良いとも思っています。今回の事件に関わった人間は計り知れない。それらを全て警察が摘発できるならすればよろしい。でもそれで明らかになるのは、どこまで行っても力に人々は左右されたという事実ですがね」
入道は寂しそうに返事をした。
「──鎌倉時代。私たち登鯉会に力を持っていたその時、人たちは幸せだったと聞いた。義理や大義。人と人。思いと思い。それが密接に関わり合い、棟梁の下で日本という国の素地を作った。そして武士としての心は以降も引き継がれていった。しかし、海外からの経済という力学が働き、それらは無理やり崩壊させれらていった。『大義』といった正当な力は、『金』や『権力』といったものに代替され、なんの思いもなく『正当』である立ち振る舞いをしたんです」
「だから、なんだって言うんです」
自分の質問に対して、彼は答える。
「だから、私たちは間違っていないと今でも信じている。棟梁の言葉に、棟梁が目指すべきものに私は命をかけると決めたんですよ」
──棟梁?
「ちょっと待ってください。あなたが、登鯉会の棟梁でしょう。藤井や、村尾のお父さん。猿や雉と言われた幹部を引き連れ事件を起こしたんでしょう」
入道は大きな笑い声を上げる。それが洞窟内にしばらく反響する。
「やはり、話を聞いてみて思いましたがあなたたちは、いろいろと勘違いをしている」
「入道、お前何を言ってるんだ。あんたが棟梁なんだろうが。それで俺にも指示をしていた」
毅が吠えた。
「私は棟梁ではありませんよ。私は『犬』。あの寄合で、棟梁の眼前に並び、はじめの2つの事件を起こし、猿である藤井の事件を手伝い、桜井京子を海に放った。そして土肥さつきをさらったのは、この私。登鯉会の犬、入道です」
「なんだと」
毅が頭を抱えた。まさか、そんなことが。自分も頭がぐるぐると周り出す。
猿である藤井香織。雉は村尾毅。犬の正体は謎でありつつも、入道がリーダーである棟梁。そうではなかったのか。
「やはり。私の読み通りだった。ははは、痛快じゃな。これは」
入道はけらけらと笑う。
「それにあなたたちは、もう一つ大きな、大きな間違いをしている。この儀式はあくまでパフォーマンスの一つと捉えている。そうではないんですよ」
彼は片手にぶら下げられた輸血パックを湖に投げる。
「山の巫女である。山下家、水の封印である田村家、木の封印の桜井家、土の封印である、土肥家。そして最後の封印を破るのが、柊木鈴音嬢、そう思っているのでしょうが、それは違う。柊木の血はもっと違う意味がある。そういった意味では最後の封印は」
入道は遮られた空を仰ぐ。その首にはきらりと光る何かがあった。そして、しわくちゃな手で、それを取り出す。
そこには漆黒に光る珊瑚礁。もとい、竜の角がぶら下がっていた。
「まさか」
ビアンカは口を覆う。
「入道家。五頭竜の封印のうち、「道」の封印をした巫女の血族の最後の一人、それがこの私なのだ」
自分達の予想。それが、音を立てて瓦解する。
そう言って彼は血の入ったパックを湖に放り、懐からなにやら光るものを取り出した。
「ま、まずい!」
「完璧な儀式の完遂とはいかなかったが」
純也が、我を取り戻し走り出す。自分も一緒になって彼の元へ走る。しかし。
入道は自分の首元にその光ものを押し当て、さ、と引いた。それがナイフであったものに気がついたのは、彼の首から鮮血が噴き出た瞬間だった。
「うわ!」
村尾の悲鳴が洞窟に響く。彼の口から血がこびれ落ち、そのまま崩れ落ちた。
「く、くそ」
純也と共に、彼のもとまで辿り着いた時には、すでに息は絶え絶えとなっており服が真っ赤に濡れていた。
「あ、あとは、任せましたよ。『棟梁』。幕府再興の瞬間を天から見ております」
彼は背後に向かい、細い腕を伸ばした。そして、彼は息絶えた。
「でかした犬よ。あっぱれだった」
そして、背後から声が聞こえた。皆が、その声の元へ振り向いた。
「な、なぜ。お前がここに」
純也が目をおおきく開き、言葉を漏らす。
「朝太郎」
小さな声を漏らす、そこにいたのは柊木鈴音。
「お前ではない。いや、お前じゃないっすよ。柊木さん。今あなたの目の前にいるのはこの国を導く、鎌倉幕府の新たな将軍。棟梁なんですから」
そこにいたのは、刑事 源であった。




